ミシマ社の話ミシマ社の話

第100回

おもしろいは止まらない
――韓国出版交流記(1)

2024.08.27更新

 この一週間、韓国での時間を温めている。
 韓国滞在三日目、ミシマ社ラジオを南大門市場で収録した。その日の夕方には、さっそく日本にいるFさんがアップしてくれたので、寝る前にツイートした。

 以来、韓国での途中報告はしていない。もちろん、おもしろくなかったわけでも、充実しなかったからでもない。逆である。超充実の四日間だった。

 と記したのは、三泊四日の韓国ツアーから帰国し、一週間が経過した7月17日。それから早、一カ月が経とうとしている。世間ではパリ五輪がおこなわれ、個人的には夏休みに北海道を旅した。全国各地で猛暑が襲い、私の住む京都でも40度近い日々がつづいた。気温もさることながら、京都は湿度が異常で、7月27日に地元の商店街で開催された小さなお祭りでは夜でも気温が下がらず、風ひとつなく、サウナ内をずっと歩いている不快に見舞われた(お祭り自体はとても楽しかった)。屋台の店々で料理される熱が暑さを助長したのは言うまでもない。同時期にあった祇園祭には一歩も足を踏み入れなかった。
 思えば、同じ露天のお店でも、韓国のそれはなんと快適だったことか。
 京都では毎日、35度越えが当たり前だった時期、韓国ではせいぜい30度前後から30度前半。少なくとも、小一時間歩くだけで熱中症寸前になるなんてことはない。
 冒頭の記述のとおり、韓国三日目、私は南大門市場にいた。
 前日までの二日間、到着直後から取材、トークイベント、打ち上げ、打ち合わせ兼昼食、取材、トークイベント、打ち上げとハードなスケジュールがつづいた。それを終え、韓国出張中に初めて味わう「観光」タイムだ。二年連続での訪韓だが、昨年は観光の時間はなかった。
 徳寿宮トクスグンをひとりでまわったあと、地下鉄の1番出口で、ハセガワ、スミ、そして朴先生と待ち合わせた。次のしごとを考え、セーブしなくていい。いっぱい食べるぞ! と意気込んで南大門市場へはいった。
 ここには大学生のころに一度行った記憶がある。そのときは多くのちいさなお店の店頭で豚の頭がずらりと並んでいた。あれから四半世紀がたち、屋台を含む韓国のあらゆるお店で現金のやりとりがすっかりなくなったように、豚の頭もどこかへ消えてしまっていた。
 それでも、学生時代に行った豚足屋さんと変わらぬ佇まいのお店を見つけたときは、嬉しかった。チヂミ、豚足を注文し、ああ、たのしみたのしみ、と旅行客のような気分でいると、目の前のコップにビールが注がれた。
「どうぞ」
(あら、ひるまから飲むつもりはなかったんですが)
 隣にいるのは、拙著の翻訳を手掛けてくださったうえに、今回の取材、イベントすべての場で通訳くださった朴東燮先生である。
「いやあ、おいしいですね」
 朴先生のうれしそうな表情を見ていると、飲まない選択肢など最初からなかったように思えてくる。ここは韓国、先生のやり方についていくのみだ。
 その後、何ビンも追加、焼酎まで注文され、すっかりええ感じになった。
「今回、通訳していて、ひとつ、とても反省したんです」
 朴先生はチヂミや豚足にはあまり手をつけず、何杯もコップを傾けつつ言った。
「何を反省するのです? 二日間こんなに充実したのは先生のおかげですよ」。
 事実、朴先生の通訳は、終始、完璧以上というほかないすばらしいものだった。完璧以上というのは文字通り。こちらの発言を過不足なく通訳してくれるのを完璧というなら、朴先生のばあい、内田樹先生や森田真生さんの通訳をされているときに感じたことだが、話者に憑依される傾向がある。私に対しても同様で、その結果、「韓国滞在中の予定は?」といった本人じゃなくても答えられる質問や、僕がすこし疲れてきたときなどにルーティンの質問があった際、以前の僕の回答をふまえて朴先生のほうですべて答えてくださることがあった。もちろん、僕がリクエストしたわけではない。朴先生の自主的判断で、そうされた。それがあまりに的確な内容かつタイミングで、僕も取材者も、いい気分になる。完璧以上というのは、こういうことをさす。
 その朴先生が反省しているという。
「昨日も言いましたが、ミシマさんが使う『おもしろい』を、『おもしろいこと』と訳してしまったんです」
 拙著『ここだけのごあいさつ』の韓国語版タイトルについてである。
『おもしろいことをやっていればどうにかこうにか回るーー小さな会社が持続可能に働く方法』
 おもしろいことと訳したことを後悔されているようだ。
 それにしても、このタイトル自体、おもしろい。出版社のUU出版の皆さんがいっぱいアイデアを出し合って考えてくださったと現地で聞いて、さらに嬉しくなった。みんなでタイトルを決めるなんて、ミシマ社と一緒じゃない! そうした点も嬉しさを増した。

 朴先生は、滞在2日目のある瞬間、突然気づいたように、私に尋ねてきた。
「韓国では、『おもしろい』ということばはないんです。おもしろさ、おもしろいこと、はあるんですが、ミシマさんは、『おもしろい』じゃないといけないんですよね?」
「うーん」。正直、無意識で使っていたので、そうでないといけないか、瞬時にはわからない。ただ、おそらくそうだろうという直感のもと、「まあ、そうですね」と返答した。
「それはなぜですか?」
 おもしろい。形容詞でないといけない。その理由は? 問われて初めて考えたわけだが、考えだすと、自分でも気づいていなかった意味があるように思えてくる。
「おもしろさ、おもしろみ、など体言止めのことばは、それで完結していまいますよね。それが答えです、以上、みたいになる。おもしろい、だと完結しておらず、そこから始まる、動き出す。開かれた感じがします」
 なるほど。
 おもしろいは止まらない。というわけだ。たしかに、名詞を使った瞬間、「おもしろい」は固定化され、もはや「おもしろい」ではなくなっている気がしないでもない。
 朴先生にこのように答えると、自分でも長年確信してきた考えのような気がしてきた。が、そんなことはない。いま、この瞬間の気づきである。
 いい質問が精度の高い答えをみちびく。
 よく言われることだが、朴先生とのやりとりで幾度も痛感した。
 朴先生にかぎらない。取材、イベントを通して、何度も、自分自身が更新された。ふだん何気なく、空気のように使ってしまっていたことばの解釈を深めることができたのだ。それはひとえに質問のすばらしさによる。
 本は、書き手を離れ、読み手の「読み」によって新たな命を得て、育つ。
 韓国でお会いした方々の読み込みの深さが、私に考えたこともなかったことへ思いを至らせてくれた。

「自転車操業」ということばの解釈もそうだ。
「おもしろい」を会社という組織のなかで継続していくために、どうすればいいか? その一つの方向性として、「自転車操業」ではないかと述べた(『ここだけのごあいさつ』)。
 それまでは小舟に例えることが多かったのだが、直感的に自転車と思ったのだった。小舟との違いでいえば、自転車は各自が漕ぐ。それぞれの漕ぐ力によってしか進まない。
 石油、石炭エネルギーも使わないし、これからの時代にもあっているだろう、と我ながら気にいっていた。
 が、よくあることだが、書いて満足ということもある。このばあい、満足したというより、方向性が見えた、と安心した気持ちが勝り、発刊後、あまりこれについて考えなくなっていた。
 ところが、事前にいただいた質問のなかに二つもあったのだ。
 
「自転車って一人で乗るものですよね。なので会社を自転車に例えていたのでちょっとそれがわからないんです。自転車のメタファーについてちょっと具体的に説明していただけませんか」――「朝鮮日報」ファン・ジユン記者(*1)
「「自転車操業」というやりかたを出版社に適用するとは、具体的にどのようなものでしょうか。新しい運営のやりかたに満足していらっしゃるかどうかもお聞きしたいです」――「私的書店」ジョン・ジヘさん

 私はこれらの質問をソウル行きの飛行機のなかで確認した。
 そしてはたと気づいたのだ。今、自分が身をおく機内の状況を鑑み、実感した。
「こりゃ逃げられん」
 飛行機は一度乗れば着陸まで身の自由はないのだ。「同じ舟に乗った者同士」と言うが、途中下船ができない以上、仲良くやるほうがいいし、協力するほうがいい。飛行機も船も、乗車員であれお客であれ、個人の寄り道は不可能だ。
 対して、自転車ならできる。
 時間も空間も、漕ぐ人次第でアレンジ可能。チームで共有した目的地へ、期間内に全員が集まることができればとりあえずはオーケー。寄り道だってかまわない。そんな働きかたを想定して自転車操業と言ったのだが、思っていた以上に自由度が高そうだ。
 自転車操業、めちゃいいじゃない。と自分でも初めてはっきり思えたのだった。

 もうひとつ。
 Smallbranderという女性ふたりで運営している、ちいさな、かっこいい会社で取材を受けた(*2)
「おもしろいこととミシマさんは言いますが、あきてこないですか? 私たちは、会社のスタートアップを応援しているのですが、最初おもしろいことを始めた会社がそれを持続しつづけるのはむずかしい。おもしろいにはエネルギーも要りますし、疲れますよね。ずっとやることは可能ですか?」
「ありがとうございます。とてもいい質問だと思いました。おもしろい、と言うと、わっと明るくなるような瞬発力のあるものを想像しがちですが、むしろ、仕事を継続していくうえで大事なのは、「しずかなおもしろさ」だと思います。べつに派手なおもしろさがあるわけではないと思いますが、しずかなおもしろさがより大事で、これが継続の土台となります」
 しずかなおもしろさ――。自分で言ってはっとした。一冊におもしろいを入魂する。こういう表現をすれば、ものすごく温度の高い塊を注入しているように思える。実際、そういうイメージでいるのだが、ただ、その実現は日々のしごとを通して可能となる。日々のしごと、つまり、そのおもしろいは平熱の蓄積にほかならない。瞬間の高熱もときにはあろうが、大半は、平熱の蓄積なのだ。それは、しずかなおもしろさとも言い換えうる。
 
 南大門市場でほろ酔いになりながら、そんなことを考えていたのを思い出す。
 一カ月が経ち、韓国での時間がじんわりと重力をともなってきた。その重力は、私に一本の線を与える。線上には、一年半前に考え、書いたことと、韓国での気づきがいっしょに並ぶ。
 しずかなおもしろさが、自転車操業を支え、おもしろいは止まらないを導く。
 朴先生、ジユン記者、ジヘさん、smallbranderの二人・・・自分に気づきを与え、思考を深めるきっかけとなった数々の質問、そうしたいっさいが、かけがえのない贈り物であった。そのことを今さらながら実感している。
 韓国の3泊4日でお会いしたすべての方々のことを思い出しながら、自分のなかで出版というもの、出版社というものの捉え方がずいぶんと進んだことに思い至る。
 訪韓初日に対談したタートルネック出版のキム・ボヒさん、現地でお会いした編集者の方々、そしてなんといってもUU出版のステキな面々! 
 その方たちのことを書き留めねば、という熱い思いがいま、私の体内を巡っている。

(つづく)


*1 朝鮮日報の記事はこちら
*2 Smallbranderの記事はこちら

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)、『パルプ・ノンフィクション~出版社つぶれるかもしれない日記』(河出書房新社)、新著に『ここだけのごあいさつ』(ちいさいミシマ社)がある。自分の足元である出版業界のシステムの遅れをなんとしようと、「一冊!取引所」を立ち上げ、奮闘中。 イラスト︰寄藤文平さん

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