はやりすたれの医療学

第2回

これからは発生学の時代だ

2018.06.25更新

 大学に入った時、私は今のような臨床医ではなく、医学の研究者を目指していました。ミーハーな少年時代の私の心をとらえていたのは、1987年に日本人初のノーベル医学生理学賞受賞、という出来事でした。利根川進博士が、免疫学という学問分野で大発見をしたのです。免疫学とは、人体がさまざまな微生物が引き起こす病気から、どのようにして守られているのかを明らかにする学問です。

 その始まりは、英国の医師、ジェンナーによる予防接種の発明です。古代から人間を苦しめてきた疫病の一つに、天然痘という感染症があります。高熱を発して全身に膿を持った発疹が現れ、死亡率は20%~50%にのぼり、命が助かっても顔面や目立つところにアバタとよばれる発疹の痕が残ります。ジェンナーは牛の天然痘(牛痘)に感染した人は重症のヒト天然痘にかからないことに気づき、牛痘の膿を皮膚に接種して予防する方法を編み出しました。のちにワクチンと呼ばれるこの方法は、改良を重ねられながら全世界に普及し、ジェンナーの発明から200年足らずの1980年に、天然痘は撲滅を宣言されました。

 しかし、ワクチンはすべての病気を予防してくれるわけではありません。天然痘のワクチンは天然痘しか予防してくれませんし、麻疹の予防注射は麻疹以外の病気には無効です。このことから、人間のからだはある病気の病原体が入ってくると、その病原体のみを正確に見分けて退治する物質(抗体)を作るらしい、ということが分かってきました。

 20世紀半ばになって、生命の設計図であるDNAの構造と働きについての理解が進み、すべての細胞がひとつの同じ設計図から作られていることが明らかにされると、免疫学の分野では一つの大きな謎が持ち上がってきました。この世には星砂の数ほどの種類の病原体が存在し、絶えず体の中へ侵入する機会をうかがっているわけですが、それらすべてに対応して抗体を作るには、その設計図も山のように必要なはずです。ところが、すべての細胞は同じ設計図をもっているので、抗体を作る細胞も他の細胞と同じ設計図をもとにして、自分自身や抗体を作るよりほかないわけです。いつ必要になるかもわからないのに、莫大な種類の抗体の設計図をすべて備えているのでしょうか? それはあまりにも無駄なことですし、進化や変異を起こして姿かたちを変え、抗体の攻撃対象から逃れようとする病原体に即応できません。

 この謎を解いたのが利根川博士だったのです。抗体を作る細胞は、なんと自らのDNAにはさみを入れてシャッフルし、ほとんど無限に近い種類の設計図を用意できる、という特殊能力を持っていたのです。この発見は今でこそ常識ですが、両親から受け継いだDNAは、生まれてから死ぬまで変わることがないと信じていた人々に衝撃を与えました。そのころ私は10歳でしたが、常識が崩れ、そして次々にいろいろなことが解き明かされる様子に心惹かれました。幸運にも京大に入学でき、第一線の免疫学者にあこがれて、研究室の門を叩きました。

 当時、研究室を主宰していたのは医学部長の本庶佑先生で、利根川博士と研究を競い、ほぼ同等の発見をしていたという有名教授でした。本庶先生は右も左も分からずのこのこやって来た私を見るなり、「君は発生学の研究を始めなさい」と言われました。

 え〜! 本庶先生だから免疫の研究テーマをくれると思ったのに―! と内心思いながら、やむなくポスドク(博士号を持つ研究員)の指導で、生命のかたち作りにかかわる遺伝子の働きを調べる研究のお手伝いをすることになりました。

 毎日、授業が終わった夕方から研究室にこもり、培養細胞を顕微鏡で覗いたり、組織からDNAを取り出して酵素で切断し、その断片を電気泳動という方法で調べたり、PCRという方法でDNAの解読をしたり、深夜までいろいろな実験をすることができました。今にして思えば、大変に恵まれた環境であったと思います。同じ時期に入門した理学部の学生は、一年後には立派な論文を書いてそれが新聞の記事になるほどでした。私といえば最後まで発生学という学問に興味が持てず、ものになりませんでしたが、研究室で過ごした一年は無駄ではなくて、いま病院で行われている専門的な検査を理解するうえで大変役に立っています。

 あのとき本庶先生が免疫の研究をするよう言ってくれたら、いまも医者をやらずに研究をつづけていたかもしれない、そんな風に思わなくもなかったのですが、2012年、日本人2人目のノーベル医学生理学賞受賞のニュースを聞いて、「親心、子知らず」であったことを悟りました。山中伸弥教授は、すでに大人になってしまった体の細胞の遺伝子を改変し、受精卵に近い状態に戻す方法を発見したのです。こうすることで細胞はもう一度形作りをやり直すことができるようになり、さまざまな組織を再生することが可能となります。「もう免疫学はすたれた学問だ。これからは発生学の時代だ」本庶先生は10年以上も前に、一流の研究者としての勘でそう見抜いて、私にアドバイスしてくださっていたのかもしれません。

 たしかに学問としては開拓されつくしたのかもしれませんが、免疫の病気で苦しむ人がいなくなったわけではありません。そしてより良い治療の仕方についての研究が今日も続けられています。しかも私が入門する数年前に、本庶先生たちが免疫細胞の研究で発見した新しい分子がここ数年で大変に脚光を浴びており、「次のノーベル賞は本庶先生ではないか?」と名前を取りざたされるようになってきました。この話の続きは長くなるので、次号にしたいと思います。

津田 篤太郎

津田 篤太郎
(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒業。医学博士。聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長、日本医科大学・福島医科大学非常勤講師、北里大学東洋医学総合研究所客員研究員。日本リウマチ学会指導医、日本東洋医学会漢方専門医・指導医。NHKの人気番組「総合診療医ドクターG」の医事指導を担当。著書に『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』(ポプラ新書)、『漢方水先案内』(医学書院)。共著に『未来の漢方』(森まゆみ、亜紀書房)、『ほの暗い永久から出でて』(上橋菜穂子、文藝春秋)がある。

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