第4回
知らぬ間に! がん治療の革命前夜(2)
2018.09.05更新
話は前回の冒頭に戻ります(いきなりすみません)。聖路加に来たがん専門医の話では、最近数年の間に、あのがんの免疫療法が驚くほど進歩して、がんが全身に拡がり余命いくばくもないといわれた患者の身体から、病変がすっかり消え、長期間生存するといった事例が出てきているというのです。
その先生に、なぜ急に進歩したのかと尋ねたら、それまでの免疫療法では、自分の身体の免疫をいかに強くするか、どうやってがん細胞を攻撃するように仕向けるか、ということばかりに関心が向いていましたが、ここ数年に出てきた薬剤は、がんが免疫を麻痺させている仕組みに注目し、免疫を目覚めさせる薬を開発したところ、それが劇的に効いた、とのことでした。
がんをマフィアに、免疫を警察にたとえてみると、従来の免疫療法の考え方は、警官に強力な武器を与え、特別な訓練を受けさせ、マフィアに対する攻撃力を高める、という方法論でしたが、新しい考え方では、マフィアと警官が手を握っている、その汚職(?)を厳しく取り締まり、警官とマフィアの裏の交友を断つ、警官による目こぼしを一切許さなくする、というものです。これで職業倫理に目覚めた警官は、マフィアを一網打尽にし、撲滅まで追い込むわけです。
がん専門医の解説によると、PD-1という分子を介して、免疫細胞とがん細胞が結合する、つまり手を握ってしまうと、免疫細胞が攻撃を止めてしまうとのことでした。私はこのPD-1という名前にうっすら聞き覚えがありました。たしかあれは15年ほど前、まだ学生だった頃に門を叩いた、あの本庶先生たちのチームが発見し、当時その働きを調べていたのではなかったっけ・・・調べてみると果たしてその通りでした!
本庶先生たちは当初、この分子が暴走して自分自身に刃を向ける免疫細胞の働きを止め、そのような細胞を死に至らしめるような働きを持っていることを発見し、Programmed cell Death(計画的な細胞死)という単語を略したPD-1という名前を付けました。警官のたとえを使うなら、無辜の市民に銃口を向けるような暴力警官をやっつけるようなものですが、この仕組みをがん細胞は巧みに悪用していたわけです。
2018年現在、PD-1をブロックするがん免疫治療は、皮膚のがんに始まって、肺がんや胃がん、大腸がんなど次々に保険適応が認められ、理屈の上ではあらゆる種類のがんに効くはずだ、ということになっています。しかも、いままで手の施しようがなかった全身に拡がるがんに治療の望みが出てきたわけで、本庶先生は利根川進博士にすんでのとこで及ばなかった数十年前の雪辱を果たし、ノーベル賞を獲るのではないかと噂されています。
一方で、この「夢の治療」にもいくつかの問題点が指摘されるようになってきました。ひとつは、費用の問題です。一人当たり年間数千万円ともいわれるコストを、いまの国民皆保険の制度は支え切れるのか、という点です。もう一つは、副作用の問題です。たくさんの患者さんに使われるようになり、抗がん剤による化学療法とは全く異なる性格の副作用があることが分かってきました。「暴力警官」をやっつけるPD-1の働きを止めてしまうことで、身体の中に「暴力警官」が増えてしまい、免疫が自分の体を傷つける状況ーーすなわち自己免疫疾患と同じような病気を作り出してしまいかねないのです。
抗がん剤は「毒を以って毒を制す」というような治療だとすれば、PD-1の免疫療法は「病を以って病を制す」というべき治療です。リウマチや膠原病の治療を専門に選んだ私たちも、がん治療に関わらざるを得なくなっている、そういう時代になってきました。
さらにもう一つの問題点として、PD-1をブロックしても、全く何の効果もない患者さんも一定数存在しており、そういった人たちにたいする新しい治療薬の開発が急がれています。聖路加のがん専門医の先生が研究されていたのもその点にかんすることで、自己免疫を引き起こす病気のなかに、新しいがん免疫治療のヒントがあるのではないか、とお考えになって、私たちのところに協力を求めてこられたということだったのです。
はやりすたれの時代の波は、否応なく多くの人々を巻き込んでいきます。
自分は関係ない、と思っていても、突然「渦中の人」になってしまうかもしれません。そのときにうまく応えるには、日々の研鑽が大切です。さて、私たちは皆さんのご期待に応じられるでしょうか・・・がん免疫治療の物語はまだまだ先が長そうです。
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