第13回
上司の獰猛なうんち
2024.07.17更新
私はそのときじりじりと、上司のうんちを待っていました。これから出版社との打ち合わせに向かうのだというときに、上司はお腹が痛くなりました。最寄駅についてから、トイレを借りに入ったコンビニはすでに3つ目で、約束の時間が迫っていました。あやつることのできない他人の便意を、こんなにもどかしく思ったことはありませんでした。私はコンビニの雑誌コーナーでぎゅっと目をつむり、心の中で、上司の獰猛なうんちを一生懸命いなしました。私の人生に訪れた転機かもしれない打ち合わせの行く末を、いま、目上のおじさんのうんちが握っていました。
はじめてちゃんとしたイラストの依頼が来たのは、新卒で入った会社の2年目のことでした。大学院を出てデザインの制作会社に就職し、会社ではあまり使えないデザイナーとして働きながら、家に帰ってイラストの制作をして、コンペに出したりしていました。Gmailの受信箱に舞い込んだのは大手出版社からの雑誌の挿絵の依頼で、これをきっかけにイラストレーターになる、そしていつか会社をやめる、と私はおおいに意気込みました。
とは言え、副業なんて人の道を外れてるやつがやることだ、というのがその会社のモットーだったので、こっそりこの仕事を引き受ける度胸は到底ありませんでした。挿絵の仕事をして実績は残したいけれど今の段階では会社と穏便にやっていきたい......と思ったわたしは、今回の依頼のことを直属の上司に話し、会社の仕事として受けさせてもらうことにしました。そうすれば、挿絵のギャラは会社に入ることになりますが、依頼は堂々と受けることができます。出版社にも確認したところ、支払い先が私個人になるか私が所属している会社になるかは、どちらでも問題なさそうでした。上司も、会社のために仕事をとってきてくれてありがとう、という感じだったので、依頼を受ける体制は無事整い、でも、気がかりだったのが、会社の仕事になったため、出版社との打ち合わせに上司が同行することでした。打ち合わせなんてひとりで行けるのに、親がついてくるみたいな気恥ずかしさがありました。上司は上司で、大手出版社にうちの会社のデザインを売り込むんだと張り切っていて、それだけは本当にやめてほしいと思いましたが、わたしに止める権利はなく、張り切り過ぎた上司は、出版社の最寄駅についたとき、緊張でお腹を壊していました。
結局、上司の腹痛は、出版社に着くまでおさまらなくて、でも、時間にはギリギリ間に合いました。受付の人に名前を告げて、「14時にお約束の三好さま、いらっしゃいました」と編集部宛に内線をしてもらい、編集部までの道のりを教えられ、エレベーターホールへと向かいます。エレベーターホールには何機ものエレベーターが行き来していて、待つ必要もなさそうでした。途中でひやひやしたけれど時間通りに来れてよかった。そう思ったのも束の間で、「ごめん、おれちょっとトイレ行くから待ってて」と、エレベーターホールとは別方向にあったトイレへ、上司は、吸い込まれるように消えていってしまいました。
おそらく実際は5分ほどでしかなかっただろうと思いますが、あのときの上司のうんちを待っている時間は、とても長い長いものでした。受付の人から電話を受けた編集者の人は、あれ三好さん遅いなあ、なかなか来ないなあ、と不審な念をいだいているに違いないと思いました。不審な念をいだかれるところからスタートしては、今回の挿絵の仕事を成功させるハードルがあがり、イラストレーターになる夢はますます遠のいてしまうと焦りました。私がひとりで絶望していると、上司がずいぶんすっきりした顔つきでトイレから出てきて、腹痛を解消できたのだと知りました。
急いで乗り込んだエレベーターのドアが目的のフロアで開きました。目の前には編集者の人とデザイナーの人が待っていて、とてもにこやかに挨拶をしてくれました。遅いからエレベーターまで迎えに来ていたのだと思いますが、受付からここに来るまでなんでこんなに時間がかかったかなんて、まったく聞かれませんでした。私は、こんなに時間がかかったのは上司のうんちのせいなんです、本当は時間通りにきてたんです、ということをどうしても伝えたかったけれど、そんなことはできませんでした。やたら晴れ晴れとした顔つきの上司の横で、ただひらすらぺこぺことしているだけでした。この忙しい世界では、5分間の空白なんて、誰も気にしないふりをしていて、上司の獰猛なうんちは、エレベーターの隙間にすとんと落っこちたまま、二度ともどってきませんでした。
上司は、ここに来るまでうんちを何回もしていたことなどおくびにも出さず、挿絵についての打ち合わせが終わると、鞄から会社案内を取り出し、堂々と会社のデザインを売り込んでいました。この出版社にパッケージデザインやインテリアデザインがあまり必要ではないことを、上司はわかっていませんでした。私はそのあいだずっとうつむきながら、今ふたたび獰猛なうんちが、上司のお腹にはいあがってくればいいのに、と考えました。
その挿絵の仕事自体は幸いうまくいきましたが、次の仕事にはつながらず、そのあと数年間、私のもとにはどこからも新規の依頼は来ませんでした。私の中にきらめいた、いつか会社をやめてやる、という希望などかなわないままだらだらと毎日は続き、そんな日々とくらべると、上司のうんちをじりじりと待っていたあの時間はずっと切実で、色鮮やかなものだったと思います。あのときの、上司のうんちへのやるせなさは今でも手に取るように思い出せるし、これからもずっと忘れることはなさそうです。生きていることの実感というのは、誰にも共有できないああいう時間にこそ、詰まっているのかもしれないな、と思うのでした。