第16回
つぎのおそとにさようなら
2024.10.14更新
電車の窓から外を見ていた子どもが「つぎのおそとばいばい、つぎのおそとばいばい、つぎのおそとばいばい」と早口で繰り返しながら、手をふっていました。子どもはどうやら、電車の速さで次々と過ぎる景色に、お別れを言っているようでした。
私たちは電車に乗っているとき、私たち自身も電車の速さで運ばれていることを知っています。だから、景色は本当は動いていないことを知っています。子どもはたぶん、それに気づいていませんでした。自分は今ここにとどまっていると信じていて、目の前を走っていく景色すべてを順番に送り出していました。いつまた出会えるかわからないから、あらわれたばかりの新しい景色を一瞬で惜しんでは、急いでお別れを言っていました。そしてだんだん、早口のばいばいも追いつけなくなって、あきらめてしまった横顔に、世界との向き合い方がなんて律儀なんだろう、と思いました。
月を見るときもそうでした。保育園の帰り道、少し歩いて違う位置で見上げても月があり、さらに歩いてもっと違う位置で見上げても月がありました。すこし考えた子どもは「つき、いっぱいあるね」と空のしくみを決め込んでいて、目の前にある月が、まさか声が届かないような、空よりずっと高いところにあるなんて思ってもいないようでした。
私は、大きな世界の中に自分がいると思っていたけれど、子どもは、自分と世界は同じくらいの大きさなのだと思っていそうでした。私よりもずっと、世界と仲が良さそうでした。それは、私にはもうわからない感覚で、とてもうらやましいことだ、と思いました。