第18回
うんちを落とす私たち
2024.12.17更新
いつかこの日がやってくるんだろうな、とは思っていましたが、ついに、子どもがトイレでうんちをしました。正確には、トイレでうんちができたのは保育園での話で、お迎えにいったときに保育士さんが「今日、トイレでうんちができたんですよ。」と教えてくれました。少しうんちが出かかったところで、「トイレでやってみる?」と問いかけ、便器に座らせ、完遂したそうです。
帰り道に「うんち、どうだった?」と聞いてみると、子どもは、「おちた。」「トイレにうんち、おちた。」と答えました。
私はそれを聞いて、確かにおむつの中でするとうんちって落ちないもんな、と妙に納得しました。おしりのそばにとどまる感じだよな。子どもは、うんちをしたという行為全体には、やってやった感をしみわたらせていて「うんち、できてよかったね。」と言うと「うん!!」と力強くうなずいていましたが、うんちが落ちたことに関しては、自分の予想の範疇を越えてたらしく、すこし呆けたような顔つきで 「おちた。」と言っていました。
その日から、私もうんちをするたびに、うんちがトイレに落ちることについて考えるようになりました。そして、おしりの穴からトイレの水面までの距離って、案外長いのかもな、となんだか心配になってきました。そのときのうんちの大きさにもよりますが、確実に自身の大きさよりも長めの距離を飛び降りています。自分が、自分の身長よりも高いところに登って飛び降りることを想像するとそれなりに足がすくみますし、しかも、自分から飛び降りるのではなく、他者の勢いで発射されています。となると、毎回出している様々なうんちに、けっこう怖い思いをさせているのではないだろうか、と思いました。やや硬めで出にくいうんちのときなどは、りきんで徐々に徐々に出していくけれど、なんかそれもまた、うんちにとってもはせまりくる落下を焦らされる恐怖というか、いつ行くのかな......そろそろかな......みたいな変な緊張がありそうです。
そう言えば、友達の子どもは、うんちをするのが怖くて、トイレでおしっこはできるのにうんちはおむつを履いてするのだ、と言っていました。その話を聞いたときは、うんちをするのが怖いという感覚がまるでわからなかったけれど、ひょっとしたらその子は、うんちに怖い思いをさせるのが、怖いのかもしれません。そして、同じようなことをうちの子どもも感じたのかもしれないな、と思いました。
これまでは、うんちが出ても、うんちは子どものおしりとともにありました。子どもが自己申告したり、私たちがにおいをかぎつけて、おむつを変えることを促すまで、出されたうんちは、おむつの中で子どもに寄り添っていました。しかしこれからは、子どもは強い意志を持って、おしりからうんちを落とさなければいけません。トイレで順調にうんちができるようになることは、もちろん成長の証だけど、でも、やっぱり、うんちを「出す」ことって、すごく大きな変化で、それは、今までおしりに寄り添ってきたあたたかい存在を、冷たい水面に突き落とすことなのだと、それに慣れていくのがうんちができるようになることなのだと思うと、なんだかまだ、おしりとうんちの寄り添いを見守っていたいような気がして、あんまりまあ、焦らなくてもよいのかもなあ......と、思うのでした。