犬のうんちとわかりあう

第20回

近所の早い店長

2025.02.17更新

 買い物の支払いで、スマホのコード決済ばかり使うようになりました。QRコードが表示された、もしくは会計額を打ち込んだ画面を差し出してスキャンしてもらう、あるいはお店の端末にかざし、決済が完了すると、スマホからいつも通りの、憎らしいくらい間の抜けた決済音が鳴ります。

 近所のコンビニの店長は、私のスマホが決済音を鳴らすよりも先に「完了でぇす」と、言います。「完了でぇす」と言われると「完了したんだな」と思い、私は自分のスマホをコートのポケットにしまいます。ポケットにしまわれたスマホからは決済音がいつもより小さく、遠慮がちに響きます。たぶん、レジ側では先になにかが表示されていて、店長は決済が完了したことを私より早くわかるんだと思います。他のお店ではそういうふうに、決済音が鳴るより先に、決済完了が人によって伝えられることはないので、私は自分のスマホが決済音を鳴らすのをなんとなく見届けてからポケットにしまいます。端末の違いなのか、お店によっては画面をスキャンされてから、決済音が鳴るまでに、小さな思考が巡れるくらいのわずかな間があくこともあり、私はなんとなくスマホを握りしめたままお店の人の前でたたずみ、お店の人もじっとしています。ものを買う手続きをしたのに決済音がまだ鳴っていないと、スマホから許可をもらっていないような気持ちになり(あんなに間抜けな音なのに)、落ち着かないからです。決済音が鳴ると、私は心を取り戻し、お店の人からレシートを受け取ります。いまいちこの微妙な時間をどうすれば良いかわからないのですが、現金で支払っていたころは、お金を渡すとものが受け取れるという仕組みが、ただただ交換という形で、とても素直だったというか、スマホでの決済の場合、お店の人と私とのあいだによくわからない仕組みがはさまっていて、そのよくわからなさみたいなものが、あの一秒にも満たない隙間の中に詰まっているなと感じます。

 でも、近所のコンビニの店長はちがいます。私のスマホの決済音が鳴るのを待たずに、すかさず「完了でぇす」と言います。だから、私と店長のあいだに妙な時間は生まれなくって、物の売買がとどこおりなく進行します。時間の短縮にもなります。私がほんのり感じているシステムのよくわからなさなど、ものともせずに「完了でぇす」を駆使する店長には、スマホ決済の澱みから救い出してくれる頼もしさがあります。その一方で、疲れてコンビニに寄ったときとかは、その食い気味な「完了でぇす」にちょっとウッとなったりするのでした。

 そのうち、店長の指導がほかの店員の人へも行き渡って、気づけばどの時間帯に行ってもすべての人が「完了でぇす」と言うようになり、私は最近引っ越して、そのコンビニに行くことはなくなってしまったのですが、様々な声質の「完了でぇす」が頭の中から去ることはなく、今日も引っ越したばかりの街のコンビニで、コード決済をしては、生まれた沈黙の中にあの街の「完了でぇす」を思います。

20250217-1.jpg

三好 愛

三好 愛
(みよし・あい)

1986年東京都生まれ。 イラストレーター。ことばから着想を得る不思議な世界観のイラストが人気を集め、装画や挿画を数多く担当するほか、クリープハイプや関取花のツアーグッズなども手がける。著書に、エッセイ集『ざらざらをさわる』(晶文社)、『怪談未満』(柏書房)がある。ミシマ社が刊行する雑誌『ちゃぶ台』8号、9号、10号に「絵と言葉」を寄稿。

編集部からのお知らせ

三好愛さん初の絵本『ゆめがきました』を刊行しました!

yumegakimasitashoei.jpg

2024年11月18日に、三好愛さんによる初の絵本『ゆめがきました』をミシマ社より刊行しました。

とらえどころのない気持ちや経験を見事にイラストにし、エッセイにも注目が集まる三好愛さんが描く、初の絵本。おやすみ絵本に、あらたな傑作が誕生です。

「よぞらでゼリーをたべるゆめ」「おかあさんがふえるゆめ」「ねことおんせんにいくゆめ」…、今日はどんなゆめがやってくる?

本の詳細はこちら

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • パンの耳と、白いところを分ける

    パンの耳と、白いところを分ける

    若林 理砂

    みなさま、お待たせいたしました。ミシマ社からこれまで3冊の本(『絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話』『気のはなし』『謎の症状』)を上梓いただき、いずれもロングセラーとなっている若林理砂先生の新連載が、満を持してスタートです! 本連載では、医学古典に精通する若林さんに、それらの「パンの耳」にあたる知恵をご紹介いただきます。人生に効く、医学古典の知恵。どうぞ!

  • 『RITA MAGAZINE2』本日発売です!

    『RITA MAGAZINE2』本日発売です!

    ミシマガ編集部

    3/18『RITA MAGAZINE2 死者とテクノロジー』が発刊を迎えました。利他を考える雑誌「RITA MAGAZINE」=リタマガが創刊してから、約1年。『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか?』(中島岳志・編)に続く第2弾が本誌です。

  • 松村圭一郎さん推薦文「答えを出すのではなく、踏みとどまるために」

    松村圭一郎さん推薦文「答えを出すのではなく、踏みとどまるために」

    ミシマガ編集部

    2024年12月に刊行された、後藤正文さんと藤原辰史さんの共著『青い星、此処で僕らは何をしようか』。本書を読んだ、人類学者の松村圭一郎さんから、推薦コメントをいただきました。『うしろめたさの人類学』や『くらしのアナキズム』の著者であり、後藤さん・藤原さんと同世代である松村さんは、どんなことを思われたのでしょうか?

  • 想像以上に口笛の世界は広い!『口笛のはなし』発売のお知らせ

    想像以上に口笛の世界は広い!『口笛のはなし』発売のお知らせ

    ミシマガ編集部

    本日2025年2月20日(木)より、ノンフィクションライターの最相葉月さんと、口笛奏者の武田裕煕さんによる対談本『口笛のはなし』が、全国の書店で発売になりました。本書は、口笛世界チャンピオンの武田さんに、吹けないサイショーさんが徹底的に訊く、対談ノンフィクション作品です。

この記事のバックナンバー

03月14日
第21回 鼻の交換 三好 愛
02月17日
第20回 近所の早い店長 三好 愛
01月15日
第19回 転んだもっちりおばあさん 三好 愛
12月17日
第18回 うんちを落とす私たち 三好 愛
11月14日
第17回 贈るの苦手 三好 愛
10月14日
第16回 つぎのおそとにさようなら 三好 愛
09月16日
第15回 ありがとうどん 三好 愛
08月16日
第14回 なめらかなテレサ 三好 愛
07月17日
第13回 上司の獰猛なうんち 三好 愛
06月18日
第12回 ふところにおじさんを 三好 愛
05月20日
第11回 祖母がころころ 三好 愛
04月17日
第10回 こうして「母」を身につける 三好 愛
03月18日
第9回 私の私を 三好 愛
02月19日
第8回 うんちとの距離 三好 愛
01月19日
第7回 おじさんのだし 三好 愛
12月13日
第6回 ぷよぷよの扱い 三好 愛
11月21日
第5回 楽しみぞろぞろ 三好 愛
10月17日
第4回 おならとふたり 三好 愛
09月18日
第3回 うんちは世界を吸いこんで 三好 愛
08月17日
第2回 おすしのおしり 三好 愛
07月17日
第1回 ハラミ出かける 三好 愛
ページトップへ