犬のうんちとわかりあう

第22回

大丈夫は貪欲に

2025.04.14更新

 自動ドアがあいた先は、ずいぶんふかっとした絨毯で、一瞬足がおびえました。

 スーパーの2階にある医療モールの一角とは思えないホテルのような内装に、やっぱりちょっと他の病院とは違うのかあ、とひるみながら、私は受付をすませ、問診票を長々と書き込み、椅子に座って待ちました。呼び出し用の番号がかかれた小さな紙を、手の中でくしゃっとしては、まっすぐにのばすことを何回も繰り返しました。名前じゃなくて番号で呼ばれるのも、声が漏れないように診察室が遠くにあるのも、待合室で他の人がいないのも、なんか全部それっぽい、とらしさに納得することで気を紛らわせていると、診察室へ通されました。

 映画やライブへ行くと暗闇の中で逃げ出したくなる気持ちが行き過ぎて、どうしたら良いかわからなくなり、思い切ってメンタルクリニックに来てみたのでした。

 こないだ見に行った映画でも、たくさんのお客さんと暗闇と高い天井の下、冒頭のシーンでどうしてもむずむずと居心地が悪くなり、腕をつねりながら耐えていたところ、つねったあとが数日たっても消えず、見かねた夫から、他人を少し頼ってみたらと受診を勧められました。

 そして結果、ものすごくよかったのです。なにがよかったのかというと、医者の人との話し合いで、「大丈夫」という言葉をたくさんもらったのですが、知らない人からもらう「大丈夫」に、力を抜いて寄りかかってみるとずいぶん楽になるんだな、という発見があったことでした。

 大丈夫という言葉は、使う場面と本来の意味がかなり離れてしまっていると思っていて、自分で「大丈夫」と言うときは強がったり無理をしていることが多く、他人から「大丈夫」と声をかけられるときは気休めや気遣いであることが多いな、と感じます。今回、次々と繰り出されてきた「大丈夫」は、忖度のない、強靭なもので、これが本物の「大丈夫」なのか〜と、私は非常に感慨深く思ったのでした。

 診察室に入ると、柔和でしゃべりやすそうな、男性の医師が待っていました。その、映画館やライブで逃げ出したくなる気持ちについて、細かい問答があり、動悸があるが冷や汗までは出ないこと、何分か耐えれば乗り切れるがその何分かがつらいこと、映画館やライブ会場はダメだが電車や歯医者は暗くないから平気なこと、自分の体をつねってみたり、「リラックスの素」というサプリを飲んだりしてどうにかしていること、等々伝えました。すると、つねるのは痛いので良くないと思うが「リラックスの素」を飲むのはすごく良いと思う、良いです、大丈夫! とまず最初の大丈夫が与えられ、今までの私の対処の仕方を肯定されました。サプリについては成分ではなくサプリを飲んでいる、という事実が自分を安心させるために重要みたいでした。加えて、つらい気持ちになり逃げ出したくなったことがあるという過去の経験が不安の呼び水となっているので、何回か映画やライブをつらい気持ちにならずに見た、という経験をすれば大丈夫です、と今度は励ましの大丈夫がきました。診察前には、そもそも映画やライブに行かなきゃいいじゃん的なことを言われたらいやだなあ、と思っていたのですが、医者の人は私の問題を聞くと「そうですか映画やライブを楽しめない感じですか......」と悲しそうな顔になり、私が「いや冒頭を乗り切ればいけるんですけれども」というと「そうですか、冒頭だけ!」とパァッっと顔が明るくなり、私がどうしたら冒頭から映画やライブを楽しめるかの手立てを一緒に考えてくれました。現場で気持ちを整えるための実践編アドバイスみたいなものもいくつかもらい、特に良かったのが、深呼吸できると良いのですがつらいときに深呼吸というのは大変なことなので息を吐くといいですよ、吐くと自然に吸えますから、というもので、診察室で実際に息を吐いてみると確かに意識せずとも息が吸えて、こういう簡単なことも一人で対処してると気づかなかったな、と思いました。そして、「とりあえず今のやり方に加え、これらのことをやってみれば大丈夫、大丈夫ですよ!」とにっこり笑顔で最大級の大丈夫がやってきました。

 診察が終わる気配を感じた私は、これが今回もらえる最後の大丈夫なんだ......と少しあせりました。これで十分なんだろうか。いやでも! と思いました。どうせ、どうせというのもどうかと思うのだけれど、できたらもっと丈夫で、たくさんの大丈夫が欲しい。できるだけ頑丈な大丈夫を持ち帰りたい。すでにたくさんの大丈夫をもらったにも関わらず、私は大丈夫の味をしめ、大丈夫に対して、とても貪欲になっていました。神妙なおももちで、「でも、明日とってもだいじなライブがあるんです」と言いました。すると、医者の人も「だいじなライブ......」と反芻しました。うっかり自分が演奏する側みたいになってしまい、恥ずかしくなりましたが、あとにはひけませんでした。あとにはひけないし、仕事で関わっているバンドのほんとにだいじなライブがありました。

 無理は承知で、「念のためでいいんですけど、即効性があって気持ちを落ち着かせるお薬なんてないでしょうか」と聞いてみると、医者の人は、「ありますよっ」と軽やかに言い放ちました。そして、どれがいいかな〜と薬が列挙されているパソコンの画面をスクロールし始めました。ほっとする反面、あまりの軽やかさに面食らいました。でも、ここでしぶられたら私は薬に対して罪悪感を抱いてしまったと思うので、あえての軽やかさだったんだろうなと思います。

 「これにしましょう。これを半錠ずつ10回分出しておきます。すぐ効き始めるのでつらくなったら飲んで、飲まなくてもお守りがわりに持っておくとよいと思います。癖にならないほうがよいとは思いますが、ライブのときだけですしね」医者は、また「大丈夫」とにっこり笑いました。

「みんな飲んでます、演奏する側も見る側もみんな。だから、大丈夫ですよ」

 最後の大丈夫は特によくて、みんな飲んでます、の詳細や根拠はあまりわかりませんでしたが、私以外にも大丈夫じゃない人なんて世界にいっぱいいるんだなあ、と、しみじみしました。みんな、という言葉から、明日行くライブで、私も、隣に座っている人も、ステージの人も、開演前に薬をぽいーんと口に放り込んでいる様子を思い浮かべました。そうしてもう、大丈夫じゃなくても大丈夫なのかもしれない、と思いながら診察室をあとにすることができました。

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三好 愛

三好 愛
(みよし・あい)

1986年東京都生まれ。 イラストレーター。ことばから着想を得る不思議な世界観のイラストが人気を集め、装画や挿画を数多く担当するほか、クリープハイプや関取花のツアーグッズなども手がける。著書に、エッセイ集『ざらざらをさわる』(晶文社)、『怪談未満』(柏書房)がある。ミシマ社が刊行する雑誌『ちゃぶ台』8号、9号、10号に「絵と言葉」を寄稿。

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