第5回
内藤正典×中田考『イスラムが効く!』著者対談 「今の世間の常識をイスラムの知見からみると?」
2019.05.10更新
2019年2月23日、イスラム地域研究者の内藤正典先生と、イスラム法学者でムスリムでもある中田考先生による対談本、『イスラムが効く!』が発刊となりました。
昨今の世間を賑わすあのニュースも、イスラムの知見を用いると全く予想外の見え方が・・・? 3月21日に京都のかもがわカフェにて行われた著者対談より、一部を抜粋してお届けします。
(構成:中谷利明・野崎敬乃)
イスラムの知見から見たゴーン事件
内藤 ゴーン会長の事件ね。あれがどうして事件なのかが、イスラム教徒一般にはわからないと思いますよ。中東の人間だったらもっと理解できないと思います。ゴーンさんが金を渡した相手ってサウジアラビアやオマーンの人じゃないですか。ああいうお金のやり取り、取引と言っていいかどうか知りませんが、個人の信用が大前提にあって、いろんな人が間に入って用立てながらチェーンみたいにつながって人とお金が動くんですよ。
だからゴーンさんがなんのためにやったかはわからないですけど、結局そういうつながりになってるんだろうと思います。ということは、特捜部がいくら調べても、金の動きはわかっても、何のためなのか、当事者が口を割ることはない。あの人たちはこれまで千年、二千年と信用をもとに生きているので。ゴーンさんのやったことを聞いていると、典型的な中東の商人という感じがしますね。
―― へ〜中東の商人のやり方なんですか。
内藤 ゴーンさんってレバノンに縁のある人ですよね。典型的なアラブ人、というかレバノン、シリアあたりの商人だなって思いました。あれだけ働いたんだから俺がお金使って何が悪いっていう考えだと思います。
もし、誰かがその内容を喋っちゃったらその人は二度と現地で商売できないってことですからね。だからゴーンさんがお金を何に使ったかは、そもそもわかりっこないんです。
―― なるほど。
内藤 日本の警察にとっては犯罪であっても、中東ではだれも犯罪だとは思わないでしょう。
―― それを今、日本の法律で裁こうとしているわけですね。
内藤 無理ですよね。
日本の上下関係、イスラムの上下関係
―― 日本だと、「上司」「部下」という序列があり、会社という枠の中で上司から部下への「教育」みたいなこともあったりします。それが厳しくなると「パワハラ」になって、最近の日本ではそれを法律で制限したり、逆に「弱者を守る」というかたちを採る方向に動いていると思うんですが、そういうことはイスラム圏でも起こってるんですか?
内藤 いくらイスラム圏の社会とはいえ、やはりアメリカやヨーロッパの社会のようになっている部分もあるので、それは起こっています。ですが、イスラム圏で日本のパワハラみたいなことをやり続けようとすると、どこかで破綻するんです。
上下の人間関係がうまくいっている組織の、上に立っている人の言動を聞いていると、下の人を人間としてちゃんとリスペクトしたうえで、仕事のある部分に対しては指摘することもあります。ただ、決して「下」というふうには見ていないです。最初から相手を下に見ているかのような態度をとる人は相当な恨みを買うので、そもそも生きていけない。周りから「狂ってる」と思われるんじゃないですかねぇ。
セクハラの話でも同じことで、中田先生はこの本のなかで「狂人として社会から抹殺されます」と言っていましたよね(笑)。これを日本で考えると、我々はそういうことは「よくないことだ」と頭ではわかってるわけです。でも、人間がいくら理性で「ハラスメントはいけません」と言われても、実際にハラスメントが無くなるか、防止効果があるかというと、やっぱり疑問なんです。そこでイスラムがすごいのは「所詮人間がそんなこと約束したって守れやしないだろ」と突き抜けている点ですね。
イスラム圏に行ったって痴漢がいないわけじゃないですけど、そういうことをすると天国が遠のくか、地獄行き。神様はお見通しなんです。日本だと、「相手が訴えなきゃいいだろ」ということになるからよくないんですよ。
中田 イスラムには、「人間は平等である」という考え方はないんです。地域差はありますが、基本的にイスラム世界の方が日本よりも明らかにトップダウンなんですね。
でも、下の人間には責任がありません。言われたことをやるだけですから、責任の転嫁のしようがないんです。日本のパワハラというのは結局、「お前はなぜできなかった」と言うわけですが、「できないのは能力がないから」、それだけの話です(笑)。能力がないから下にいるわけで、わざわざそんなことを言いません。無理な課題を出してもできないんですから(笑)。
下の人間ができなかったら上の人間がダメなんです。下の人間はただぼんやりと言われたことをやるだけです。もちろんその分給料は安いんですけど、責任がないから楽なんですね。その点がやっぱり日本とは違います。日本には「人間はみな平等だ」という変な意識があるんですよね。
内藤 上に立ってる以上は下にいてぼんやりしてる人よりも能力が高いんですから、そのぶん責任が増えちゃうんですよね。その責任を全うせずにただ下に命令するだけでやってると、下克上じゃないですけど、いつかはひっくり返されるんです。
家庭が一番! 社員はすべからく派遣です。
中田 イスラムはそもそも会社に帰属意識がないんですよ。家庭が一番大切なんです。会社に勤めていても、まずは家に属してるんですね。そういう意味では派遣社員として会社に行っている感じです。あくまでも自分が所属するのは家なので、会社なんか嫌だったら辞めればいいんです。
「退職願」のように、会社を辞めるために許可を取らなきゃいけないという発想がまったく理解できないんですよ。「行かなきゃいい」というだけだと思うんですけどね。イスラム圏だと事後報告すらしないことがいくらでもありますからね。「なんで昨日来なかったの?」「行きたくなかったから」(笑)。という話なんです。
内藤 会社の話の流れで言っておきたいんですが、職場にイスラム教徒がいたら、仕事終わりに飲み会に誘うというのはやめたほうがいいですね。飲み会に限らず、仕事が終わった後の時間に職場の人のつながりを強要するようなこと、あるいは誘うということはやめたほうがいいです。そんな文化ないので。中田先生が言われた通り、基本は家なので。
「家から派遣社員で出てるだけなのに、なんで派遣の仕事が終わった後に派遣社員同士でつるんだり、どこかに行ったりしないといけないんだ」というのが感覚ですから。とっとと家に帰してあげるというのが基本でしょうね。
気長に待とう。インシャーアッラー
―― 会場のみなさんからの質問をお受けしたいと思います。
(質問) お話のなかで「約束」について、「行きます、インシャーアッラー」と言えばいい、という話がありましたが、イスラムでは約束ができないということなんでしょうか?「ご飯を食べようよ」とか、「明日どこに遊びに行く」とか、「来週どこに行きましょうね」という約束ができないということですか・・・?
内藤 大抵は約束が成り立ちますよ。大丈夫です(笑)。よんどころのない事情がある場合だとか、本音としてははっきり言って好ましくない気持ちがあって行きたくないという場合にはそう使ったりします。「あんた嫌いだから行かない」と言ったら角が立つじゃないですか。だから断るには「インシャーアッラー」を付けたらいいんですね。
別の例で言えば、イスラム圏で家を借りて、大家に「あそこを直してくれ」と言うと、「わかった! インシャーアッラー」と言って、何ひとつ直らないとかありますね(笑)。そういうときはこっちも、大家の「家賃払え!」に対して、「インシャーアッラー」と答えたらいいんです(笑)。でも長年の経験からいうと、やっぱり気長に待ったほうがいいと思いますね。
人間、完全じゃなくてあたりまえ
(質問)自殺の問題も話に挙がっていましたが、私の周りでもうつ病の診断がついて精神科にかかっていた人がいます。イスラムの考え方を知るうちに、そんなに自分を責めなくていいんだ、と思うようになったんですけど・・・、イスラムの世界でうつ病や、精神疾患というのはあるんでしょうか?
中田 もちろんある程度の人はうつ病になっていると思います。でも基本的には非常に少ないと思いますね。というか、そもそも病気なんて単に名前なので、名前をつければあるし、名前をつけなければないんです。そういうものですから、「あぁ、そうなったんだね」で終わりですよね。だから、うつ病ならうつ病でいい。
内藤 そうですよね。うつ病というのは、英語ではmood disorderのひとつです。ムードを自分でコントロールできないから、「ムード・ディスオーダー」なんですよ。「気分障害」と言いますけど。
精神科医にも聞いたんですけど、中田先生もおっしゃったようにうつ病がないわけじゃないんだそうです。ただ、ストレスの原因がちがうんですね。
どっちかというと家族の問題のほうがストレスが大きくて。仕事じゃうつ病にならないです。上司に認められても、認められなくても、仕事が終わったら、さっさと家に帰ればいいんです。だから家が大事だと言ったんです。
帰ってくるところがあるというコンセンサスができてる社会は、いいですよね。逆に、自分が家から出たっきり、戻るところがないという状態になれば、大変なストレスがかかることは明らかですよね。
学校でいじめの問題があったら、家族が出ていって教師をぶん殴るというニュースが、トルコあたりでも結構あります。我々はそういうのを見ると野蛮だと思うかもしれませんが、実はそうやって、救う道が何通りにも作られているんです。仮にうつ病になったとしても、そこから先に自殺を選ぶかどうかということになるとかなりイスラム自体によってブレーキがかかっていることは確かだと思いますね。
中田 人間、完全じゃないというのはあたりまえなんです。50のものを60まで上げるのって、あまり時間はかからないんですよ。ところがです、95のものを100にする。あるいは99.9にするというのはものすごい時間がかかるわけなんです。日本ではそれを求められているんですね。基本的にイスラム世界って、いい加減なんです。本当にものをつくるのも早くて。拙速なんですよ。
内藤 10が20か30くらいになったくらいで満足すればいいんですよね(笑)。
中田 世の中のことというのはほとんどそれでいいんですよね。命に関わることとか、精密機械を作るとかだったら話は別ですが、それ以外のことはどうだっていいわけなんですね。1分遅れたっていいんですよ、電車なんてね。
(終)
西洋でもなく、東洋でもない、第3の選択肢としての「イスラムの知恵」。もっと詳しく知りたい方は、ぜひ『イスラムが効く!』(ミシマ社)をお手にとってみてください。
プロフィール
内藤正典(ないとう・まさのり)
1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、現在、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『となりのイスラム――世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』(ミシマ社)、『イスラム――癒しの知恵』『イスラム戦争――中東崩壊と欧米の敗北』『限界の現代史――イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序』(以上、集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム――共生は可能か』(岩波新書)など多数。
中田考(なかた・こう)
1960年岡山県生まれ。東京大学文学部イスラム学科卒業。カイロ大学博士(哲学)。同志社大学一神教学際研究センター客員フェロー。83年イスラム入信。ムスリム名ハサン。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム協会理事などを歴任。著書に『帝国の復興と啓蒙の未来』(太田出版)、『イスラーム入門――文明の共存を考えるための99の扉』(集英社新書)、『イスラームの論理 』(筑摩選書)、『みんなちがって、みんなダメ』(KKベストセラーズ)など多数。