第6回
【緊急寄稿】イランで今、なにが起きているのか? 内藤正典先生に解説していただきました
2020.01.14更新
イランとアメリカの対立が連日テレビで報道されています。ウクライナの飛行機がミサイルによって撃墜されたと報じられるなど、日増しに緊迫感が増しているようです。
本日のミシマガでは、『となりのイスラム』と、『イスラムが効く!』(中田考先生と共著)の著者でイスラム地域研究者の内藤正典先生に、この対立について解説していただきました。
イランとアメリカは戦争?
前に書いた『となりのイスラム』では、相次ぐ暴力や戦争のせいで、欧米でイスラムへの偏った見方が強まるなか、イスラム教徒の素顔を知ることの大切さを説いた。ところが、新年早々、アメリカとイランの衝突。こういうことが起きると、マスメディアからは「戦争になりますか?」と尋ねられる。戦争になってほしい訳はないが、当事者の対応がちょっとでも狂うと、戦争になりかねないから困る。
去年の終わりごろから、イランの革命防衛隊に近い集団が、イラクのアメリカ大使館や基地などを攻撃したり、襲撃したりしたので、アメリカはこの集団の黒幕、ソレイマニ将軍をドローンで爆殺した。
イランは激怒して報復を誓い、イラクの米軍がいる基地にミサイルを撃ち込んだ。人的被害は出なかったので、トランプ大統領が、妙に満足したような記者会見をやって、これ以上エスカレートさせないようなことを言いながら、しかし、やられたらやり返すという。イランからの攻撃があった日に、イランの首都テヘランを飛び立ったウクライナ航空の旅客機がイランのミサイルで撃墜されてしまうという悲劇まで起きた。
悪者がイランの将軍なのに、なぜに挑発はイラクで起きていたか?
「ソレイマニはなぜイラクで殺されたか?」
「イランはなぜイラクにある米軍の基地にミサイルを撃ち込んだか?」
理由を詳しく書く余裕はないけれど、これだけ並べれば「なんでイラクで?」という疑問は誰もが抱く。そこから今起きていることを読み解いてみよう。
イランとアメリカは敵同士だが、半世紀も前に国交断絶していてイランにアメリカ人はいない(大雑把に言えば)のである。だから、衝突するなら、イランと同じシーア派のイスラム教徒が多数をしめていて、それにアメリカ軍が5000人もいて、アメリカのビジネスマンもいるイランの隣国イラクが戦場になる。イラクにはひどく迷惑なことだ。
メディアを賑わせたソレイマニ将軍というのは、イランの最高指導者ハメネイの手下。ハメネイは直属の軍隊である革命防衛隊をもっているのだが、その対外戦略の司令官がソレイマニだった。
ソレイマニの仕事というのは、まわりのシーア派地域で軍事作戦をやって、反対派(スンニー派やアメリカ軍)を攻撃して潰すことだった。簡単にまとめると次のような仕事をしていた。
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同じシーア派イスラム教徒が人口の過半数を占めるイラクで米軍を攻撃する。
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その西隣のシリアで、ソレイマニはアサド政権軍を立て直し、反政府勢力(多くはスンナ派の武装組織)を潰すと同時に、反政府勢力がいる街を破壊して途方もない数の住民を虐殺した司令塔。
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さらに西のレバノンでは、シーア派の過激な組織ヒズブッラー(ヒズボラ)の後ろ盾となってしばしばイスラエルを狙う。
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パレスチナのガザ地区でも、過激なハマスやイスラミック・ジハードという組織に武器や資金提供を取り仕切っていた。
ソレイマニの評価は真っ二つに分かれる
ソレイマニはシーア派の人たち(イラン、イラクの一部、シリアの一部、レバノンの一部)からは、清貧な軍人、己を律した崇高な軍事指導者で敬虔なシーア派イスラム教徒、さらには最高指導者ハメネイの子飼いの部下だから、カリスマ的な軍人として絶賛されていた。こういう人を殺したから、あの大群衆が涙ながらに葬列に加わるという大変な悲しみと怒りを引き起こした。
逆に、スンニー派の人たちは、ソレイマニ暗殺で大歓声をあげ、お菓子を配ってお祝いムード。シーア派のソレイマニ率いる革命防衛隊関係の武装集団の犠牲になった人にとってソレイマニ将軍とは「極悪人」だったのだ。
今回、報道を見ていると分からなかったのはこの点。中東では評価が真っ二つに分かれていた人物なのに、欧米や日本のメディアでは、妙に高潔な軍人として持ち上げられた。アメリカの報道が、ソレイマニ将軍が大人物で慕われていたことを伝えたのは、国内の主要メディアはトランプ大統領に批判的で、そのトランプが殺害を命じた人だったから持ち上げられてしまったのである。しかし、テロリストを殺すのは仕方ないにしても、あんなに大きな怒りを引き起こすのでは、落としどころをどうするのかという疑問の声が米国内でも吹き上がった。
ソレイマニは、なぜそんなに重要人物だったのか?
イラン国内の力関係というのは、わかりにくい。大統領と最高指導者、どっちが偉いかといえば、最高指導者のハメネイ師。ロウハニ大統領はハメネイ師とはあまりうまくいってないらしいから、いろんなことの決定権を握っているのはハメネイとその側近の坊さん集団である。
坊さんといっても、正確にはイスラム学者のことである。シーア派はイスラム教徒全体の1割ぐらいしかいないから、集団を率いていくためには、イスラムの先生は重要政策の決定までする必要があるから、政治家でもあり、軍のトップでもある。絶大な権限を握ることになり、大統領は彼の言うことをきかないとやっていけない。
日本との関係は、ロウハニ大統領の下にいて、外交を仕切っているザリフ外相が表に出てくるが、彼にはたいした力がない。外交にしても、最高指導者が指示したとおりにしゃべる以外にない。
ソレイマニは、最高指導者ハメネイ師が指揮している軍隊の革命防衛隊(イラン国軍より強い)の対外戦略を仕切っていたので、実質的に、国防大臣と外務大臣を兼ねるぐらいの勢いだったことになる。
二重構造がわからないとメッセージを読み間違う
イランで力を持っているのは最高者ハメネイ師⇒革命防衛隊⇒対外部門のクドゥス旅団(ソレイマニが指揮官)というライン。ロウハニ大統領⇒ザリフ外相は、二級の指揮系統ラインにすぎない。これが、イラン、シーア派の国に独特の力関係なので、そこを読んでいないと何が起きているのかわからないことになる。
去年、安倍首相がイランに行って、トランプ大統領との仲介しようとして失敗したばかりか、ペルシャ湾で日本のタンカーへの攻撃まで起きてしまった。あの事件、その後うやむやになってしまった。ロウハニ大統領やザリフ外相までは、日本政府の言い分を届けることができたが、最後にハメネイ最高指導者と会ったら、やたらと機嫌が悪くてとりつくしまのない対応だったことをご記憶の方も多いだろう。
ハメネイ師はトランプとの仲介話なんかを持ってきたので、かなりイラっとした。そこで、これは推測にすぎないが、革命防衛隊に手をまわして、甚大ではない程度のダメージを日本のタンカーに与えたのかもしれない。
当時私は、日本の首相が訪問しているときに、後ろから背中を刺すようなことはしないだろうと思っていたが、今は、少し見立てが違う。客人の国(日本)のタンカーを攻撃することで、セカンド・ラインのロウハニ大統領やザリフ外相の顔を潰してみせるぐらいのことはやりかねないと思っている。最高指導者はアメリカと交渉することなどありえないときっぱりと示したのである。
最高指導者と彼を取り巻く坊さん軍団が何を考えているかを理解するには、シーア派神学、法学の知識に加えて政治的なビジョンも理解しなければならないから、これは相当に難しい。
それに加えて、相手のアメリカが、歴代大統領とちがって、もっとも予測不能な動き方をするトランプだから、何をするかさっぱりわからない。これが今回の衝突が、一つ間違うと中東全体を巻き込む大戦争に発展しかねない最大のリスクだろう。
プロフィール
内藤正典(ないとう・まさのり)
1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、現在、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『となりのイスラム――世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』『イスラムが効く!』(ミシマ社)、『イスラム――癒しの知恵』『イスラム戦争――中東崩壊と欧米の敗北』『限界の現代史――イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序』(以上、集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム――共生は可能か』(岩波新書)など多数。