第5回
情報は食べられない
2020.05.12更新
東府中駅を出てすぐのところにあるビジネスホテルの部屋にいる。8階で、窓のすぐ下に自動車教習所のコースが見える。最近はどこにも行けない状況なので、ずっとつつじヶ丘のアトリエで農耕民族としてジャガイモなどを育てながら過ごしているけれど、狩猟民族としての自分が活動したがっているのを感じたので、2日ほどホテルで仕事をしてみることにした。最近巷のビジネスホテルでは新型コロナウイルスでリモートワークをする人向けに「デイユース」というプランも用意されていて、日中も比較的安く利用することができる。ビジネス/ホテル/コロナ/ウイルス/リモート/ワーク/デイ/ユース/プラン。カタカナが並んでしまった。
世間でハイな空気感がずっと続いているせいか、色々なことに集中するのが難しくなっていた。文が書けない。展示のプランが考えられない。未来に向けての制作にまつわる事柄がうまくできない。一時期は本も読めなかった。ただし料理はできる。ジャガイモの間引きや土寄せはできる。生活のことはできる。
家には、外側がある
5月に入るころから少し気持ちが落ち着いて、ドローイングを描き始めた。アトリエの敷地内を歩き回り、1日1枚くらいのペースで描いている。ガスメーター、電気メーター、ドクダミ、エアコンの室外機、多肉植物、ドア。
ステイホームが連呼され、家で過ごすことが良しとされ、家で踊ったり歌ったりする様子をみんながSNSで共有しているようだけど、映っているのは家の中だけだ。みんな忘れてしまっているのかもしれないけど、家には外側もある。壁で守られている屋内は人間でいうと内臓のようなものだ。人間は外から水や食物や酸素を内臓に取り込んで、栄養に変換して排泄することで命を保っている。外のものを入れないと内臓も死んでしまう、というか、外のものを取り込むために内臓がある。家も電気やガスや水を取り込んで住人の栄養に変換して下水に排泄している。ということで、家も中から見るだけでは不健全で、外にいる者ども、雑草や虫などもちゃんと見たほうが良いのではないかということで、ドローイングを始めた。
それと、ジャガイモの成長をアクリル版に記録している。これは気がついたらやり始めていた。ジャガイモが毎日むくむくと育っていることがよくわかる。ここ最近は新しい情報がどんどん流れて「現時点」ばかりが目に入ってきて、時間の連続性を感じることが少なくなっていたので、こうやって成長が目に見え、時間が確かに積み重なっているのを確かめられるとホッとするものがある。歴史の中にいるということを思い出さねばならない。
(ちなみにこのアクリル版は、ジャーナリストの神保哲生さんが自身のインターネット番組の中で自作していた「飛沫防止装置」を真似して作った。神保さんの番組は、今目の前で起きている出来事を歴史の一部として大きく捉えることの救いを教えてくれる)
ジャガイモ畑の土には、僕が秋に温床を作るために発酵させた落ち葉が肥料として混ざっている。落ち葉を集めていた日々が懐かしい。遠い昔のことのように感じる。ウイルス騒動でステイホームしているうちに、葉の緑が一年で最も綺麗な時期が過ぎた。この春に芽吹いた葉の色は、これから濃くなっていき、毎日の気温も少しずつ上がっていく。蝉が主役になる時期には外に出るのも嫌になるけど、時々冷房をつけながらやり過ごし、再び過ごしやすくなった頃には主役の虫が変わっている。鈴虫や蟋蟀の声を聴いて、落ち葉を踏みながら散歩をするのは、春の夜と同じくらい気持ちが良い。葉がすっかり落ちた頃には、虫の声も聞こえなくなっている。雪が降り、それが溶けるころ、木はまた芽吹く。政府は関係ない。
生産と消費の距離
知人たちとメールをやりとりする中でジャガイモを育てていることを伝えると、自分もやっていると言われることが多い。もともと畑をやっていた人もいるし、新しく始めた人もいる。数人の知人と、収穫したら交換しましょうという話をしている。ジャガイモの他にカブ、パプリカ、バジル、トマトなど。そういえばアトリエの隣の家の人もキュウリを育て始めたらしく、そこにも交換を持ちかけようと思っている。全ての野菜を自給自足することはできないけれど、国を介さずに、できる範囲でお互いの成果を交換したほうが良いなと思う。今はそれが自然にできる。
この騒動のなかで、スーパーではなく、豆腐屋や肉屋や八百屋などで買い物をするようになった。近くに商店街は無いので、豆腐屋は北に歩いて20分、肉屋は南に歩いて1時間という距離だけれど、それを頭の中で一本の道として考える。最近これを「一人商店街」と呼んでいる。そうやってお金を、目に見えるところに流したいと、今まで以上に思うようになった。パッケージに入った乾麺ではなくて、麺屋で生麺を買うようになった。出汁を顆粒ではなくて昆布と鰹節から取るようになり、その昆布と鰹節をどこで買うべきかについて考える時間ができた。この「時間ができた」というのが大事だと思う。これまでがあまりに忙しすぎた。生産と消費の距離はできるだけ近いほうが良いという当たり前のことを思い出す機会になった。
僕たちはお互いの仕事を交換するために分業体制を敷き、共同で生活を営む社会的な動物である、ということになっている。しかしグローバル化のなかでその分業の範囲が世界中に広がり、複雑になりすぎたために、自分たちが共同して生きているということを実感できなくなっているように思う。僕は無数の人々の仕事に助けられながら自分の生活を営んでいるはずなのに、その実感が持てない。誰かによって敷設されたということを意識することなく道路を通り、誰かが育て、運び、仕入れたことを意識することなく野菜を買うということを毎日繰り返している。店頭に並んだ安いものを無意識に選んでいる。 スーパーで買った野菜には、当然それを生産した人がいて、その人にも生活がある。「私はこの野菜が食べたいから買う」とは思っても「この野菜を育てた人の生活を支えるために買う」というようなことは、通常は意識されない。
実は上の段落は、二年前に書いた「広告看板の家プロジェクト」の企画書の文である。最近の新型ウイルス騒動によって、僕が広告看板の家を通して考えたかったことが炙り出されている。生産と消費はできるだけ近いほうが良い、ならば看板を家に取り込んでしまおうということだ。
広告看板の家プロジェクトのためのドローイング(2018)
広告+看板+家?
最初はコンビニの看板がきっかけだった。コンビニの看板というものは、大抵は高いところにある。それまでは「ずいぶん高いところにあるなあ」なんてことは考えたことがなかった。ただ「あそこにコンビニがあるな」という「情報」としてのみ、看板は目に入っていた。ある日とても低い位置に看板を掲げたコンビニが目についた。自分の目線の高さにある看板を見て「こんなに大きいのか」と思った。それまでは情報としてのみ受け取っていた看板が、体積を持つ物体であり、その中に「空間」があることに気がついた(これは数年前の話で、最近は低い看板が増えているように思う)。
「情報」が「空間」を持っていることを考えるとザマーミロという気持ちになる。看板は情報を表示することが目的なので、理想的には質量を持たずに、情報だけをそこに設置したいはずだ。空間を持った物体である必要はないはずだ。だけど現実はバーチャル空間ではないので、空間に情報を置くためには、どうしても物体を介さなければいけない。これは僕という人間が、情報だけでは生きていけないことと似ている。僕は普段からインターネットを介して色々な情報を摂取している。特に最近は新型コロナウイルス騒動のおかげで新しい情報が次々と流れてきて、自分が情報の中に生きているような錯覚を覚える。僕は自分の目でウイルスで倒れた人間を見たわけではないし、ウイルスも目に見えない。ただこのような事態がいま起こっているという「情報」があり、新型のウイルスが出てきたという「情報」があるだけだ。でも僕は情報ではない。僕は看板と同じく、存在するためにはこの世界の中で一定の空間を占める必要があり、ジャガイモやパプリカや米や味噌など「食べ物」を食べなければ生きていけない。
広告という仕組みも不思議だ。YoutubeやFacebookなど、今世界中の人々が利用している主要なウェブサイトの収入源は「広告収入」だという。なんだそれは。インターネット上でコマーシャル映像や商品画像を"見ただけ"でお金が発生するというのは、一体どういうことだ。
そんな不思議な仕組みで収入を得ている人たちも、人である以上は食べ物を食べなければ命を保てない。野菜や米などを買うために支払うのも広告収入で稼ぐのも同じ「お金」であるなら、「看板の外側」の広告収入で稼いだお金を使って食べ物を買い、「看板の内側」に作った居室で生活すれば、この社会を表すモデルが提示できるのではないか、と思った。そしてそれは家にいることそれ事態が稼ぎになるという、普通の家とは反転した状態が作れる。前回までの連載で書いた「移住を生活する」を通して、僕は「住むことのバージョン」を一つ増やすことができたと思った。それと同じように、もう一つバージョンができるのではないか。考えはどんどん進んでいった。さっき書いたように、家には「外側」がある。「家の内側」は私的な空間であるとして、壁一枚隔てた「家の外側」は街の景色という公共空間に属している。公共空間であれば、広告は機能する。「家の外側」で広告収入を稼ぎ、その広告収入を使って「家の内側」で生活をする。それで経済がまわれば、いわば「一人経済循環」ができるのではないか。それはある種のアナーキズムとしても面白い試みになるのではないか。
ただこの実現は簡単ではない。「移住を生活する」は一人で始めることができたけど、これは一人ではできない。看板を立てる土地と、そこに広告を出してくれるスポンサーが必要だ。さらに看板は、少なくとも中で大人一人が眠れるくらいの大きさでないといけない。僕がイメージしたのは、マンションやビルの屋上にあるような白い看板だった。
2016年に大阪のある建築家と知り合い、そこでこの看板のプロジェクトの話をしたら
「うちの屋上に使ってない看板がある。そこなら使っていいですよ」
と言われた。屋上に連れて行ってもらうと、そこにはちょうど2畳分くらいの面積のある真っ白な看板が立っていた。中は鉄骨だらけで、住むには色々と工夫が必要そうだけど、ぎりぎり寝られそうだ。ここがこのプロジェクトで初めて手を動かした場所になった。まずはスポンサーを募らなければいけないので、モップと黒いペンキを買ってきて、「広告募集」と書いた。
(この看板は大阪市の上本町4丁目交差点のそばのビルにある。グーグルのストリートビューで見ることができる)
しかし荒々しく書きすぎたせいか、これを書いてから数年経った今でもスポンサーは現れていない。広告を検討してくれる問い合わせはあったようだけど、予算に届く金額には至らず。どうも最近はスマートフォンの普及によって、主な看板の敷地は現実世界からディスプレイ上に移り、街中にある看板の価値が下がっているらしい。
同じ頃、東京都世田谷区の松陰神社前駅からすぐのところにある商業施設「松陰PLAT」の経営者と知り合い、そこの車1台分ほどのスペースを使っても良いという許可をもらった。街を面白くしていきたいということで僕の話に乗ってくれて、「土地は使っていいけれど、無料で貸すよりも1ヶ月100円の賃料で契約書をちゃんと作って貸したほうが面白いんじゃないか」などと盛り上がった。
(松陰PLATのプロジェクトのための模型、図面、敷地模型)
それから模型を作り、図面を引き、人づてに紹介してもらったいくつかの企業などを相手にプロジェクトの説明をして、スポンサーになってもらえませんかと話をしてまわった。2018年春にある企業の人が「面白い」と話に乗ってくれ、一度は実施が決まりかけた。が、ある事情により立ち消えてしまった。その後もスポンサーは見つかっていない。
そんな顛末でなかなか実現しないプロジェクトをずるずると引きずっていた僕の元に昨年、香川県の高松市美術館からある展覧会への招待メールが届いた。
(続く)
編集部からのお知らせ
村上慧さんの絵本『家をせおって歩く かんぜん版』(福音館書店)が第67回産経児童出版文化賞 産経新聞社賞を受賞されました!
『家をせおって歩く かんぜん版』村上慧(福音館書店)
住む場所は自由。家の新しいかたちは、これ!
みなさんは、どんな家に住んでいますか? アパート? マンション? それとも一軒家? アーティストの村上慧さんは、発泡スチロールで作った小さな白い家をせおって歩いて、日本各地を移動しながら生活しています。さらに、このくらしをするために韓国やスウェーデンへも行きました。お風呂はどうするんだろう? トイレは? 食事は? どんな寝心地? 何だか大変そう、でも楽しそうな、小さな家とのくらしを紹介します。(福音館書店ホームページより)