自分の地図をかきなおせ

第18回

清掃員たち

2021.05.16更新

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 男性が橋の下を見下ろしている。この写真を見て何を思うだろうか。公園の清掃員が息抜きに川を見下ろしているところか、あるいはほかのストーリーを思い浮かべるだろうか。僕はこの写真を最初に見る人のことが羨ましい。なぜなら僕はこの写真のネタを知ってしまっているからだ。一度知ってしまったらもう以前と同じ見方には戻れない。この写真が何なのかをこれから書いていこうと思うのだけど、それを承知したうえで先に進んでほしい。

 僕はこのゴールデンウィークに、静岡で毎年行われている「ストレンジシード静岡」というイベントに参加してきた。これは静岡市が主催している野外演劇祭で、20組以上のアーティストが4日間の会期中、8つのステージを中心にそれぞれのプログラムを上演する。僕は演劇作品を手がけたことはないのだけれど、今までの制作活動を見てくれていた運営スタッフから光栄にも招待してもらい、作品を発表した。

 最初に「ストレンジシード」の新型コロナウイルス対策のことを書いておきたい。僕は大学時代に「フェスティバル/トーキョー」という演劇祭に出会い、演劇の可能性の大きさに衝撃を受けた経験があったので、今回演劇のイベントに初めて呼んでもらえたのが嬉しくて、楽しみに準備をしてきたのだけど、僕が住んでいる東京都はもろに緊急事態宣言の最中であり、現地に入れるか不安だった。しかしストレンジシードの事務局は野外で行われるイベントであるという点に安住せず、スタッフや参加アーティスト全員に徹底した感染拡大防止策を講じさせた上でイベントを行っていた。おかげで僕と、制作補佐として同行してくれたアーティストの内田涼も、イベント開始前に二度のPCR検査を行ったうえで現地での制作に臨むことができた。

 僕は「清掃員たち」という作品を発表した。これは僕が2013年から断続的に制作している「清掃員村上」というプロジェクトを、一般市民を巻き込んで行う形に作り替えたものだ(ちなみに「清掃員村上」は、インターネット上で見ることができます)。

 「清掃員村上」とは、僕が清掃員のアルバイトをして発見した二つの事実をもとに作った作品である。

 一つ目は、清掃員はほとんどの人間にとって透明人間のような存在であるということ。清掃員は路上や公園や商業施設など都市のいたるところにいる。しかし意識せずに暮らしていると、最後にどこで清掃員を見たか、その人がどんな格好をしていたか思い出すのは難しいと思う。

 二つ目は、そのように透明な存在であるが故に、それが"本当の清掃員"ではないとしても、清掃員に見える服を着て「清掃中」と書かれたあの黄色い看板を立てさえすれば、清掃員に見えてしまうということ。「清掃員に見える服」はネットや作業着のお店で誰でも買うことができるし、「清掃中」の黄色い看板も普通にホームセンターで売っている。

 この事実を武器に、僕は「清掃員村上」という作品の中で、美術館やデパートや公園などいろいろなところに入っていき、勝手に掃除をした。デパートの店員や警備員が僕を不審に思って声をかけることなど一度もなかった。それどころかトイレの清掃中にお客さんから「トイレットペーパーの予備はどこにありますか?」と聞かれたりした(ただし、その現場を受け持っている本物の清掃員にはバレてしまうので、彼らが現れたら速やかに撤退する必要があります)。これに味をしめた僕は「清掃員村上2」と「清掃員村上3」を制作、そこでは掃除をせずにゴロゴロしながら携帯をいじる清掃員や、激しく体を動かして「清掃ダンス」を踊る清掃員を演じたりしてきた。

 今回の「清掃員たち」は以下のような募集案内文を掲げて一般参加者を各日8人ほど募り、「清掃服」を着てもらいながら、駿府城公園という静岡市の中心部にある公園内で2時間ほど各々好きに過ごしてもらうという形にした。

「清掃員たち」の出演者求む!

こんにちは。参加アーティストの村上慧です。
私は今回ストレンジシードで「清掃員たち」というプロジェクトを敢行します!「清掃員に扮した大勢の人々」が駿府城公園に繰り出し、過ごしている風景を出現させたいと思っています。「清掃員の服」はこちらで用意します。
役者、学生、会社員、個人事業主、主夫・・・年齢も性別も職業も問いません。親子での参加も大歓迎です。
清掃員の服を着て「清掃中」の看板を持ち歩けば、誰でも清掃員に見えてしまう。
これは演劇でもあり、ある種のダンスでもあります。
この地味ながらアバンギャルドなプロジェクトに参加してくれるあなたの応募を心からお待ちしております!

 案内文にも書いたとおり、こんな地味な作品に参加してくれる人がいるのか不安だったのだけど、蓋を開けてみれば延べ24名の「清掃員」が集まってくれた。参加者はまず駿府城公園入り口の東御門に設置された詰所に集合し、「清掃服」に着替え「清掃員たち」となる。いくつかの注意事項を共有してから各々「清掃カート」を持ち、公園内に散っていった。

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 2時間ずっと落ち葉を集め続けた人、ふらふらと歩き回ってはときどき思い出したように手近なものを拭く人、親子連れと話しこむ人、ほかのアーティストの公演を観る人、芝生に寝転んでいる人、通行人からゴミをもらっている人、パントマイムをやっている人、踊る人、チャンバラをする人など。事前に想定できなかった多様な「清掃員たち」がいた。最初に見せた写真も「清掃員たち」の一人である。僕は公園内で彼らを追いかけながら写真を撮っていたのだけど、そのときに、自分が「清掃員たち」のことを「パフォーマー」として見ることしかできない事実に気がつき、少し落ち込んだ。「清掃員たち」という作品の本当の面白さは、彼らが正規の清掃員ではないということを知ってしまっている僕にはわからないのかもしれない。何も知らない通行人たちもそのうち、彼らの様子がおかしいことに気がつき、注意深くみているうちにこれが演劇祭の作品だと知るだろう。その途端に彼らのことを「パフォーマー」としてしか見れなくなってしまうだろう。この認知のどうしようもなさ・・・そんなことを思っていた。

 駿府城公園では、「ストレンジシード」と同時に「SHIZUOKA PICNIC GARDEN」というイベントも開催されていた。静岡の飲食店が屋台を出して食べ物や飲み物を売っていたり、マルシェが開かれたりしていた。なのでこの公園には、ただ散歩に来ていた親子連れやカップル、部活帰りに公園に寄った学生などのほかに、「PICNIC GARDEN」の出店者とその客、「ストレンジシード」の関係者とその客がいた。それぞれ別の目的・役割を持つ人が公園という同じ空間で過ごしており、その中には「清掃員たち」という作品のことを知っている人と知らない人がいる。知らない人の中にも、なんだか様子がおかしいぞと勘付く人もいれば、何も目に入っていない人もいるだろう。というか、そもそも公園とはそういう場所のことを指すのではないか。子供の頃に過ごした公園と大人になってから過ごす公園では目に入るものが違うし、犬の散歩をするのか友達とフリスビーをするのかなど、目的によっても違うだろう。それでも確かに同じ公園ではある。公園とは、実はスゴイ場所なんじゃないか。僕は「清掃員たち」を通して気がつけば公園について考えていた。

 おまけに「清掃員たち」からすると、誰が自分のことを知っているのかわからない。通りすがりの人から「おつかれさまです」と言われても、それが「清掃員というパフォーマンス」に対しての「おつかれさま」なのか「清掃活動」に対しての「おつかれさま」なのかわからない。この公園にいる人々が同じ場所にいて、同じ「清掃員たち」を見ていることは確かだけれど、それぞれが認知する「清掃員たち」は全然違う。そんな混沌とした状況に目眩がした。

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 この認知のバラバラさは活動後のミーティングを通して明らかになった。芝生に座り込んで「清掃員たち」に参加してみてどうだったか、それぞれに聞いてみたのだけど、先程の「おつかれさまが何に対してなのかわからない」という話はそこで出てきたものだ。他にも「掃除をサボっていたら子どもから『もっと働きなよ』と言われた」という人もいれば、「サボっていたら正規の清掃員らしき女性が話しかけてきて『そんなに休んじゃって大丈夫なんですか? どこの会社の方? わたしもそっちに転職したいわ』と言われた」という人もいた。「自分は人見知りだと思っていたけど、清掃員になったらいろんな人と話すことができて、人と話すのが好きだったんだなあと気づきました」と、自分の認識まで変わってしまった人もいた。

 参加するモチベーションも人それぞれで、通行人からゴミをもらい続けてカートが山盛りになってしまった人もいれば、ゴミを渡そうとしてくる人に対して「清掃員ではないのでゴミは受け取れません」と言って意図的に相手に考えさせようと試みる人もいれば、「通行人からゴミをもらっているのをみた屋台の出店者から『うちのゴミももらってくれないか』と言われたので、代わりにワインの試飲をさせてもらいました」という人もいた。この作品を職業体験だと認識し「色々な職業を体験することは大切だと思いました」という人までいた。

 「清掃員たち」とはなんだったのか。「清掃員」に限らず、「警備員」も「店員」も、もっと広く言えば「労働者」も、人が役割を持つとき、それらしい服装をして、それらしい振る舞いをすることがその立場の表明になっている。街で暮らしていると、そんな役割を了解することに無意識のうちに慣れてくる。それに慣れすぎると役割としての認知だけが先走ってしまい、相手が人間であることを忘れ、終いには自分も人間であることをやめてしまう。僕は清掃員のアルバイトをしているとき「自分はいま人間ではないな」と思っていた。そこで、これもミーティングで出た話なのだけど、「ホームセンターに買い物に行くと、服装によって店員に間違えられることがある」ような間違いが重要になってくる。店員じゃないけど店員に見えてしまうような、そういう存在が一人いるだけで、他の全ての「役割を与えられた人間」が怪しいものに感じられてくる。その瞬間に人間としての認知がはじまるような気がしている。

村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

satoshimurakami

編集部からのお知らせ

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