第22回
白菜を育てていたつもりが、いつのまにかモンシロチョウの幼虫の家族を養っていた
2021.12.10更新
今年の秋は近年では久々に長く感じられたと思う。僕の主観的には「秋」と言えば、夏が終わって涼しくなってきたなと思って過ごしているうちに気がつけばもう冬になっていて、そうなってから初めて、あれは秋だったのだなと後からわかるようなポジションなのだけど、今年は、ああ、秋だなあと現在進行形で思うことが多かった。
現在12月3日でもまだ東京の木々の葉は落ち切っていないし、気温はだいぶ下がってきたけれど日差しには秋が残っている。それでもついさっき路上で雪虫が飛んでいるのを見かけて、やっぱり冬はもうすぐそこまで来ているらしい。秋のうちに秋にやったことを書いておきたい。
「珠洲」という街
僕は今年の秋をほとんど(8月末から10月末までのほぼ二ヶ月間)を能登で過ごした。日本海に突き出た能登半島の一番先端にある
あるいはコインランドリーの前に車を停めてノートパソコンで仕事をしながら乾燥を待っていたら、見知らぬおばあちゃんが助手席の窓の目の前に立っていて、驚いて「こんにちは」と声をかけたら「なんかしとるとこ悪いんやけど、ちょっと教えてもらえんか」と言うのでついていくと、布団を二つ洗いにきたが、初めて来たから使い方がわからないと言われ、そのおばあちゃん夫妻に洗濯機の使い方を教えるような街(おばあちゃんたちが洗濯物を入れていたふたつの洗濯機のうち一つは調整中という手書きの紙が貼られていたから「これは調整中なので隣に移さないといけません」と言った。乾燥機の使い方も軽く説明して去ろうとしたら百円玉を一枚差し出し、「すいませんねえ、あんた仕事しとったのに。こどもに小遣いやるような感じやわ」と笑った)。
あるいは夜道を踊りながら歩いていたら知らないうちに誰かに目撃されていて、「村上さん、踊ってたでしょう」と後から言われて少し恥ずかしくなったり、どこの飲食店に入っても知り合いに会ってしまうようなところ(僕は自分が出向いたところを誰かに見られるのが苦手なので、滞在しているあいだは時々、匿名の存在になれる都市が恋しくなったりもした。耐えられなくなった時は3時間かけて金沢まで行ってチェーン店のカフェに入ったり、デパートに入って無意味にぷらぷらしたりしていた。でも珠洲から帰り、こうして東京で過ごしていると、街全体で一つの家族のような、あの「最
以前この連載でも書いたように、冬の能登はとても気候が厳しい(雨と雷と雪と雹と風が1日で全部体験できる)のだけど、秋は穏やかで気持ちがよくて、海と空が溶け合うような夕焼けと、北陸特有のダイナミックな雲模様と、信じられない数の星は何度見ても飽きなかった。僕は「あみだ湯」という銭湯の裏側でとっておきの星空スポットを見つけて、よく通っていた。そこは砂浜沿いの道路で、何故か外灯が一本も立ってなくて、下半身が暗闇に溶けてなくなってしまいそうな中を歩いて、ほんの5、6分空を見上げているだけで流れ星を見ることができる。
とにかくそんな、東京とは原理の異なる街で、僕は《移住生活の交易場》というプロジェクトをやっていた。
拾った物と生活費を交換する
発泡スチロールで作った家を肩に担いで移動生活をするプロジェクト(詳しくは過去記事をご覧ください)の中で拾った石や貝殻やプラスチックのゴミなどをガラス瓶に詰めて「生活費と交換」していた(「売っていた」とも言う)。
「拾ったゴミなんか売れるわけないだろう」という声が聞こえてきそうだ(実際にそう言う人は何百人もいた)けど、50個くらい出品して、会期中に40個以上売れた。これはもちろん「芸術祭」という独特の場がもたらした結果ではあるのだけど、それでもお客さんは僕が拾った物に価値を見出し、お金を払ったというのは事実だ。
ここで僕は例えば石粒ひとつ30円とか、貝殻一枚1750円とか、ばらつきのある値段をつけていた。この値段の根拠は僕の生活費だった。
珠洲市で滞在しながら出たレシート(スーパーの食品代とか、8番ラーメンで食べたラーメン代とか)の金額を、拾った物につけていた。購入者はその拾った物に加えて、それが落ちていた場所の写真と、その値段の根拠となったレシートがもらえるという仕組みだ。つまり単に「拾った物を売る」のではなく、僕が過去に食べたものや、購入した生活用品代と「交換」するという形にしていた。貝殻を買ったらラーメン家のレシートがついてくるという捻れた構造を使って、お金を支払うという行為を錯乱させたかった。
上記のことを何も知らない客としてここを訪れると、まず「村上が移住しながら拾った物を生活費と交換するSHOP」という看板が目に入り、その下にはガラクタの入った瓶と写真、レシートが並んでいる。それ以外は何の説明もない(そして客からは見えていないが、この什器の裏には僕が座っている)。ここで人はまずタイトルをヒントにこれは一体なんなのかを推理する。そしてこれが何なのかを理解した途端に口にする反応がそれぞれに違って面白かった。「こんな石ころのどこに1000円の価値があるん?」とか「こんなゴミによく値段つけられるな」といった攻撃的な物言いの人が多い。しかし中には非常に面白がって、「面白い色の石ねえ」とか「自分、錆びた金属が好きなんですよ」と言って普通に物として買っていく人もいた。当たり前だけど同じ物でも人によって価値は違うし、それを高いと思うか安いと思うかも違う。そういうことがよくわかる場所になっていた。普段からアートギャラリーなどを見てまわっている人はこれらを芸術作品と見なし、「え・・こんなに安くていいんですか?」と驚いて木の枝にお金を払い、台湾から来たという人は「お土産」として石や葉っぱを3つも4つも買っていった。
この「拾った物ショップ」の隣では、僕が描いた絵をプリントしたTシャツやポストカードやトートバッグなど、いわゆる「普通のグッズ」も売っていたのだけど、そちらの売り物に関しては、「このバッグのどこに千円の価値があるん?」などと言われることはなかった。この違いはどこから来るんだろう、なぜ落ち葉を1000円で売っていると違和感があり、バッグを1000円で売っていると違和感がないのか。「値段をつける」とは一体なんなのか、お金とはなんなのか、考えてみるのも面白い(お金の問題に関しては、NHK出版から出ている『エンデの遺言』という本がとても良いのでお薦めしたい)。
思いこみはこわい
始める前は、ここまでの問いを突きつけてくるプロジェクトになるとは思っていなかった。僕は単に、滞在費を少しでも浮かすために拾った物を売ってみようと思い、その値段は生活費と対応させるのが妥当だろうというところまでは考えていたのだけど、まさか拾った鉄屑が「こういうのを集めてるんです」という人の手に渡るようなことになるとは予想できなかった。こういうところに実践の面白みがある。
僕はここの店番をやりながら同時に白菜も育てていたのだけど、ここでも同じようなことが起こった。
会場の隣に「道の駅」があるので、会期が始まる前に近所のホームセンターで白菜の苗を二つ買ってきて、施設で余っていたプランターに植えれば、会期が終わる頃には収穫できるだろうから、世話になった人たちと一緒に鍋でも囲みたいなと思って育て始めたのだった。木の板に「白菜」と書いて土に差し、毎日のように水をあげた。白菜の成長スピードは驚くべきもので、葉っぱはほぼ1日ごとに一枚ずつ増えていき、最初は手のひらよりも小さかった苗は、あっという間に腕で抱えても溢れてしまいそうな大きさになった。
その頃、モンシロチョウがひらひらと飛んできて、葉っぱに卵を産みつけているのを目撃した。その黄色い卵は米粒よりもずっと小さく、それがそこにあると知らなければ肉眼で見つけるのは難しいほどだ。僕はそれを放っておくことにした。卵はあまりにも小さかったので、それがとても脅威になるとは思えなかったし、多少食べられるぶんには痛くも痒くもないだろうと高を括っていた。
白菜は順調に育った。最初は横に広がっていくばかりだった葉が徐々に丸まり始め、あの白菜のフォルムに近づいていくのが日に日に感じられた。僕は油断していた。例の蝶を目撃してから数日経ち、緑色の芋虫が何匹か現れ、すこしずつ虫食いの穴ができてはいたけど、全体の中では微々たるダメージだった。その頃から僕は所用で平日の店番を休むことにして、週末だけ会場に来るようになっていた。時々水をやりには行っていたけれど、白菜は外見では元気そうだったので、中をそれほど注意して見ていなかった。
そんななか数日ぶりに会場に来て水をやろうとしたところ、それはすっかり穴だらけ、というか外側の硬い葉を残して、中身はほとんど芯しか残っていない状態になっており、大勢の芋虫たち(数えたら20匹以上)がいた。彼らの食べっぷりは「容赦がない」の一言に尽きる。そこにある餌を、病的な必死さでひたすらに食べ続け、糞を出す(底には大量の丸い糞が溜まっていた)、それだけの生き物たち。見ているとなんだか愛おしくなってきて、僕は木の板に「白菜と、モンシロチョウの幼虫」と書き足した。鍋にすることは諦め、この幼虫たちが無事羽化して蝶になれるよう注力することにした。僕は芋虫たちを適当に一郎とか三郎と呼び、彼らのために水やりをするようになった。白菜の様子ではなく、芋虫たちの様子を見るようになった。
てっきり、自分は白菜を育てているものだと思っていたのだけど、いつのまにか芋虫の家族をせっせと養っていたのだった(一体いつまで白菜を育てていて、いつから芋虫を育てていたのか)。
それから会期が終わるまでの間、蛹になったものがいないか注意していたつもりだったのだけど、結局最後まで一匹も見つけることはできなかった。20匹以上いた芋虫一家もいつのまにかいなくなっていた。いったい彼らはどこに行ってしまったのか。
もしかしたら僕は、芋虫を育てていたつもりが、カエルを育てていたのかもしれないと、骨だけになった白菜を片付けながら思った。
編集部からのお知らせ
村上慧さんの展示が京都で開催されています。
--
ALLNIGHT HAPS 2021「彼は誰の街に立つ」
会期:2021年8月1日(日)〜2022年2月5日(土)
企画:河原功也
出展作家:
#1 鈴木昭男《p i n t o 2021》
会期:2021年8月1日(日)~9月11日(土)※終了しました
#2 小川真生樹《今はここです、はいもう見えません》
会期:2021年9月18日(土)~10月30日(土)※終了しました
#3 村上慧《広告収入を消化する》
会期:2021年11月13日(土)~12月18日(土)
#4 鬼海弘雄
会期:2021年12月25日(土)〜2022年2月5日(土)
展示時間:18:00〜9:30(翌日朝)
会場:HAPSオフィス1F(京都市東山区大和大路通五条上る山崎町339)