暮らしと浄土

第10回

生きている瞬間(2)

2022.07.04更新

内田健太郎さんによる「聞き書き」最新話、後半をお届けします。まずは前半「生きている瞬間(1)」からお読みください。

ーー生きててよかったと思う瞬間をつくる。それ、すごく大事な言葉だね。ところで介護保険のことを全く知らないんだけど、どんなことができるの?

 いろいろあるけど、お掃除、洗濯とか。身の回りの家事っていうものと、看護師さんとか、リハビリの人が来て、医療的な処置をしたりとか。

 最低限生活するのに必要なことを、半分税金と半分保険料みたいな形で、補助を出しますよ、だから、利用者さんとか負担するのは1割ぐらい。ていうようになっているのが、介護保険。

 だからその中には、食べる。トイレ行く。お風呂に入る。清潔なところで暮らす。最低限の医療的な処置を受ける。ていうのは、だいたい含まれていて。それ以外のことに関しては、基本的にはサポート対象外。

 だから、こないだ大田さんと行ったようなお寺に行くこととか、お墓に行くこととかもちろんだめ。スーパーに買い物に一緒に行くっていうのがだめ。買ってくるのはいい。ヘルパーさんが頼まれたものを買ってくるってのはできるけど、一緒に買い物に行って選んでもらうとかっていうのは、基本的にはできない。

 だから、それももちろん生活する上では大切なんだけど、家で暮らす、ああ生きてて良かったなあと思ってもらうためには、それ以外のこともやっぱり支援しないと、そうは感じてもらえない。

 ただ、ご飯食べてお風呂に入ってトイレに行けたら、あなたは生きてていいでしょって言われても、そうは思えないんじゃないかなと思う。僕もそう言われても、うーんって思っちゃうかな。論理的にはそれで生活できるんだけど、やっぱり論理を超えてくるなあと思って。やっぱりやりたいことがあるし、誰かの役に立ってるっていう実感が欲しいし、だから、そこはほんとになんか、なんていうか・・・人間だなと思う。

 よく考えたらちょっと、非合理じゃない? 寒いときに、こないだみたいにお墓参りに行って、コケるかもしれない危険を冒して、お墓を掃除して、帰ってくる。疲れている。危険も冒しました。

 介護保険のような考え方になると、それはやる意味ないんじゃないか。ということになる。だから介護保険的なサポートだけ受けてたら、そういう圧っていうのかな? こうやって生きていれば十分でしょっていうようなことを言われてないまでも、そう感じちゃう人が多いなと思って。

 だから、生きることに絶望しちゃうお年寄りが多い。諦めちゃう。今の80歳代。90歳代の人ってけっこう我慢強いから、諦めっていうのもすごいもう身に付いているから、やっぱりこう見てると、ああ諦めたんだなっていうのはすごい感じるんだけど、いや、まだ大丈夫よっていうのはすごい言いたいな。そんな顔して生活しなくても、もっと大田さんみたいな顔して、生きててもらいたいなっていうのはすごい思う。それに価値を感じるような社会になってもらいたいなっていうのが一番。

 今はそうじゃないから。お年寄りがお墓に行くこと。価値なんてそんなにないよねっていうのが、今の世の中の考え方のような気がして。そうじゃない世界観は、ちょっとでも作れたらなっていうのはすごい思う。僕も年とっても多分やりたいことあると思うんだよね。それは最後までやりきりたいなと思う。生きててもしょうがないやって思いたくないからね。

ーーちょっと昔の話も聞いていいかな。そもそも理学療法士として病院に勤めようと思ったのは、何かきっかけが?

 高校生のとき。親父が医療事務、病院で勤務していたから。それで進路を迷ってるときに、こういう仕事もあるから見に来たらって言って、親父の病院に見にいったのが一応きっかけ。
 だけど、そんときは多分そんなに深く考えてない。手に職が付いたらいいなっていう、
 それぐらいだったんじゃないかな。だから学校も、身を入れて勉強した記憶がない(笑)。
 実習もそんなに楽しかったっていう記憶はないな。どっちかっていうと単位取らなきゃいけないとか。卒論とかもやらなきゃいけないからやってた。ていう感じだったね(笑)。

ーーでも実際に病院に入ったらどうだった?

 入ってからは、敗北続きだよね。理学療法士としてできること。対象の人にどれだけ影響を与えられるか。どれだけ良くできるかっていうのは、全然かなわなくて。

 よくできてない、その人の人生をよくできてない。

 一生懸命に病院で頑張って歩く練習して歩けるようになったところで、家で歩けない。やっぱ病院と家と環境が違う。

 まず、老いていくよね、年と共に。普通に考えて80歳90歳でスタスタスタスタ歩ける人の方が珍しい。けどその人たちを歩けるようにしようっていうのが、まず自然の摂理に逆らってるなあって。やっぱ歩けなくなるよね。いつかは。いつかは目も見えなくなるし、耳も聞こえなくなるし。なのに、回復を、・・回復するっていう前提で、関わらなきゃいけない。

 というのが、理学療法士として求められていることだった。

 ・・でも、もっと・・目を向けなきゃいけないことがあるんじゃないかと思う。それはなんか本当に働き始めてずっと思ってて。僕らが関わることで、余計に歩けないっていう事実に、無理やり目を向けさせてるような気がしたんよ。ほら歩けないでしょ歩けないでしょって。リハビリの練習をすることで、逆に思わせちゃう。

 歩けるようになればいいんだけど、そうじゃない人もいる。その場合には、歩けないっていうことを受け入れて、これからの人生、何を、何に生きがいを見いだして生きていってもらうかっていうことに気づいてもらうとか、それを感じてもらえるような家の環境を作ったりとか、家族と話し合ってそういう状況を作っていくっていうことの方が、大事なんじゃないかと思ったんよ。回復することよりも。

 だから、逆効果なんじゃないかって。そういう意味では、そこにゴールを置いたときには、自分がやってることが逆効果なんじゃないか。そう思って、あんまり好きになれなかったよね、理学療法士っていう仕事。

 だけど・・今はすごい感謝してるよね。あのときの病院で得た知識とか経験とか、ていうのが、生きててよかったと思ってもらえる瞬間を作るためにその専門知識を、使える。

 ていうのはすごく嬉しいこと。でも、良かったんだなって思えるのはほんと最近になってから。

 だからやっぱりどっかで理学療法士辞めたいなってのはずっと思ってたんだと思う。でも辞めるんじゃなくて、生かす方法を自分で作れたっていうのは、すごいラッキーだった。

ーーこの「ねっと」を立ち上げたときも、思いつきで立ち上げたわけじゃないでしょう? 理学療法士やってる時からも、アイディアを考え始めていた?

 あったね。・・・でも一番は、やっぱり関わる人たち。

 関わる人たちが、自分で自分の仕事を作ってる人が多かった。ずっとサラリーマンだったわけだよね、病院で働いていた僕は。

 それだけだとやっぱり思い付かなかったことを・・・あ、こういうことやってもいいんだっていうのは、まず一番大きいこと。こういう表現していいんだなって、仕事で。

 保険という制度の中で生きてると、やれること決まってるから、基本的にそのクリエイトするってことではない。下請けだよね。国の下請け。だから、まずそんな発想にならなかった。

 だから、そういう発想をさせてくれた友人には、本当に感謝してもしきれない。ていう感覚がある。

 ていうのとあと、お年寄りが多い(笑)。

 周防大島は日本の人口動態のやっぱ20年先30年先を行ってるから、そこに課題が多かった。だからその課題解決が自分の仕事になったっていうのは、ラッキーだった。それはすごい環境としては良かったかな。

 それとあとね、島には自分が生きててよかったなと思う瞬間が何なのかっていうのを、しっかり持っている人が多いと思う。

 ちょっとだけでも、みかんの木を自分が育てるってことに生きがいを感じる人もいるし。先祖代々の田んぼをいつまでも自分が作ってるってことに生き甲斐を感じる人もいる。庭仕事ができるとか。お寺に行く、お墓に行くってことにそれを感じる人もいるし。ただ自分が生まれ育った家で暮らすってことが、俺にとっては大事なんだっていう人もいる。

 僕ができるのはそれをサポートすることだけだなと思う。

ーー大田さんは、どんな人なのかな?

 芯があるのはすごい芯がある。ほわっとしてるけど、自分がやりたいこととか、大事にしてることとかっていうのはすごい明確だし、嫌なことはやっぱり嫌。

ーー大事にしてることっていうのは? お墓参りとか?

 とか。お寺とか。

 (この前、一緒に行ったお寺で買った)お守りも家族が健康でいられるようにっていうようなお守りなんじゃないかなと思う。誰かのための願いだよね。それを大事にしてるっていうのは、すごいはっきりしている。

 ・・・あんまり自分のためには生きていないような。生きてないというか、家族の幸せとか、
ご先祖様のこととか、自分以外の人に常に気を配ってる。

 ていうか、そことの繋がりとか関わりの中で自分が、ようやっと浮き上がってくるっていう感覚がね、多分ある。言葉の端々とか行動を一つ一つとっても、やっぱ感じるなと思うね。

 何か私がこれやりたいっていうのはもちろんそうなんだけど、その理由は、他の人たちとか、社会とこういう繋がりを持って、周りがもっと良くなるようにって思ってるから、私はこれをやりたいっていう感じに思えるかな。

 お寺行くのも自分のためよりか、ご先祖様とか家族のため、お墓もそうだよね。。

 庭に甘夏の木があったじゃない?

 あれもすごい美味しいんよね。味が良くて評判が良く。で、とれたら、自分はあんまり食べない(笑)。もう家族とか、親戚とか、近所の人にあげる。そういう人ですね。

ーー花が好き?

 花が好き。花の知識がすごい。すごい教えてもらったけど、あんまり覚えてない(笑)。

 でも、3年目になるともうやっぱりこの時期に、皇帝ダリアが咲くんだとか。こっちもわかってくる。この時期にこの剪定しとけばいいんだなとか。あと僕が育ててもあんなに綺麗に咲かないから枯らしちゃうから。何か違うんだろうなって思いながら、見ている。

 すごい人だと思う。自分が96歳のときあの生き方ができるかと言われたら、多分できない。

 本当に手入れを欠かさないよね。(この前たくさんあった)ゴミ袋、あれ全部、ほとんど草よ。取った草とか剪定した枝とか。天気にもよるけどほぼ毎日、庭に出て手入れしている。それで教えてくれる。最近寒いからこうなってるとか。気候が今年はこうだから、この花は咲きにくかった。とか。

 やっぱりそういう世界との繋がり方を知ってる人だから。見えてる世界がやっぱり全然違うなと思う。そういう生き方がしたいね。

 どうしても、結果ばっかり気にしちゃう。僕も自分の庭やるけど、できるだけ早く草がなくなるとか、できるだけ早く松の木が剪定が終わるとか、最終的にこうなってればいいっていう、そういう、考え方になっちゃうけど、多分大田さんは違うよね。毎日手を入れて、返ってくるもの。それが多分毎日違うはずなんだよね。それを感じてるっていうのは、大田さんにとってはすごい大事なんだと思う。だから結果的に庭が綺麗だったらそれでいいでしょっていうことではない。

 だから自分でやりに行くんよね。で、できないことだけ僕に頼む。

 過程が大事なんだと思う。日々を穏やかに大田さんみたいに、過ごすためには、そういうことも学ばなきゃいけないかもしれない。それを教えてくれる。偉大な存在だよね。
すごい人。

***

 墓地の中に、石を擦るタワシの音が響いている。
 末弘くんは汲んできたバケツの水をかけながら、何度もタワシでゴシゴシと石を磨いている。
 周りにある他の墓石と比べても、手入れをされた大田さんの墓は長い間大切にされていることがわかる。
 大田さんは墓石の脇に腰を下ろしている。座りながらも、手の届く雑草を引き抜いている。末弘くんも同じように、墓の中に生えている雑草を抜いて綺麗にしていく。
 墓石の周りは砂で覆われていた。
 雨や風で少しずつ削られていくのだろう、墓の周辺の砂は所々少なくなっており、その間から墓石の土台が顔を覗かせている。あまり気をつけて見たことがなかったが、島のお墓は都会と違って、コンクリートや石で覆われてはおらず、どうやら砂地に立っていることが多いようだ。
 持ってきたカゴから、砂を撒き始める末弘くん。寄せ植えで使うような、コップを斜めに切ったような形のシャベルで、丁寧に砂を撒いていく。すると、砂の間から見えていた石が再び砂の中へと消えていった。
 なるほど。砂はこのためだったのか。
 大田さんの指示のもとで末弘くんがゴミを拾い、草を抜き、石を磨く。そして砂できちんと整地する。てきぱきと動く末弘くんの様子をじっと見つめている大田さん。

 全てが綺麗になり、片付いたその後で、お墓で線香の煙が上がった。
 大田さんは座ったままの姿勢でお墓へ手を合わせ、静かに目を瞑っている。
 今までいったい何度こうして手を合わせてきたのだろう。
 その祈る姿にご主人が亡くなってからの70年という時間の重みを考えないではいられなかった。

 お墓の間の細い道を手を繋いで帰る、末弘くんと大田さん。
 その足取りはとてもゆっくりだ。
 一歩一歩を確かめるように、二人は歩いていく。
 墓地のすぐ裏にある山の木が大きく風に揺れた。あれは楠の木だろうか。
 一羽のカラスが声を上げて、飛び去っていった。

内田 健太郎

内田 健太郎
(うちだ・けんたろう)

1983年神奈川県生まれ。養蜂家。東日本大震災をきっかけに、周防大島に移住。ミシマ社が発行する生活者のための総合雑誌『ちゃぶ台』に、創刊時よりエッセイや聞き書きを寄稿している。2020年より、周防大島に暮らす人々への聞き書きとそこから考えたことを綴るプロジェクト「暮らしと浄土 JODO&LIFE」を開始。2024年、みつばちミュージアム「MIKKE」をオープン。著書に『極楽よのぅ』(ちいさいミシマ社)がある。

MIKKE

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第10回 生きている瞬間(2) 内田 健太郎
07月03日
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