第2回
生き物係だった
2022.10.23更新
動物に対しての感情がだいぶ薄いようだと気付いたのは、大人になってからだ。道ですれ違うイヌを見て、友人たちがかわいいと言って近づいていったり、SNSの画面に映る見ず知らずのネコを見て「いいね」を押す光景を見るたび、宇宙人を観察しているみたいな気持ちになる。私の心の中には、そのような感情がない。
そんな私は小学生の頃、生き物係だった。
人気があったわけでもなく、勉強も運動も苦手な私は、クラスのヒエラルキーの〈中の下〉か〈下の中〉くらいのところにいたように思う。グループ分けで最後まで残るわけではないけれど、私のことを進んで欲しがる人はいなかった。そのことに不満や疑問を持ったことは一度もなく、それなりにそのポジションを楽しんでいた。
委員会やクラブ、係、体育や理科の班決めなど、学校生活ではしょっちゅうグループ分けがあった。私は今も昔も、他人にどう思われるのかが良くも悪くもあまり気にならない。なので自分がやりたければ、人の顔色なんてうかがわずに立候補する。じゃんけんやくじ引きだったら問題ないのだが、多数決や推薦、早い者勝ちなんかだと、私は劇的に弱かった。要領がよくないし人望もないので、楽しそうなものや面白そうなポジションは人気者や世渡り上手な人々がサッとさらっていき、私はあまったものをやった。ポジティブすぎるお気楽人間なので「私ってヒロインなのかもしれない! ヒロインに逆境はつきもの!」と、思い通りにならないことも人生のひとつの課題というふうに前向き捉え、一生懸命に取り組んでいた。
生き物係になったのも、そんな理由だったと思う。生き物係は、動物の世話で休み時間が潰れるし、朝早く登校したり、長期休暇も学校へ行かなくてはならないので人気がなかった。
先に生き物係に決まっていたのは、将来の夢がトリマーの女の子だった。元気な笑顔が魅力的な、男の子にも女の子にも人気がある彼女は、積極的にウサギの世話をしていた。ウサギを抱っこしたり、撫でながら餌をあげる彼女を横目に、私は小屋の掃除をしたり、草や水を換えたり、自分のできる仕事を地道にたんたんとやった。私にはウサギの感情がちっともわからなかった。本当に餌が欲しいのか、撫でて欲しいのか、わからない。わからないまま希望的観測みたいな感じで接するのは、暴力的なことに思えて、距離をとっていたのかもしれない。
動物に対しての感情が薄いのは今に始まったことじゃなく、幼い頃からそうだった。家で動物を飼っていたり、それこそ家族のように一緒に育っていれば、私ももう少し動物に関心があったのかもしれないが、我が家では何も飼っていなかった。
そういえば3歳か4歳くらいの時、生まれて初めてサンタクロースにお願いしたのは赤いサカナだった。クリスマスの朝、靴下にサカナは入っていなくて、リビングの天井にサカナの形をした大きな赤い風船がぷかぷか浮かんでいた。日が経つにつれしぼんでいくサカナが、今でも記憶に残っている。
生き物係だったある日、クラスにカメがやってきた。ピアノが上手な女の子が家から持ってきて、教室で飼うことになった。私はどういうわけか次の学年でも生き物係になり、その間にピアノの子はカメを置いて転校していった。
夏休みが迫ったある日、休みの間は誰がカメの世話をするのかという話になった。誰も家に持って帰りたくなさそうで、皆が口々に「これは生き物係の仕事だろう」と言うので、なぜか私は一カ月以上の間、カメと生活することになった。
少しでも掃除をサボると、夏の暑さでドブ臭い匂いを放つ水槽。夜中になると水槽から出ようとして音をたてるカメ。何かを続けることが苦手で、夏休みの絵日記も最終日にまとめて描くような私だったけれど、平等な命に公平な食事を与えるのは義務だと思ったので、欠かさず餌はあげたし、掃除もした。そうやって長い時間を一緒に過ごしていても、相変わらずカメの気持ちはわからなかったけれど、少し親しみのようなものを持ちはじめていた。夏休みが終わり学校が始まって、退屈な授業中に水槽のカメを見ると、なんだか心がふわっと軽くなった気がした。
小学校高学年の頃、祖母の家で飼っていたネコが死んだ。このネコは人間との接触をとことん嫌うネコだった。私が生まれる前からいたけれど、一度もふれたことがなかった。ときどき目が合うと、ふたりで固まったまま数秒間が過ぎ去った。ある夜、祖母から電話がかかってきて、母が出た。私は大好きなTVチャンピオンを見ていた。
「エマ、モモちゃんが亡くなったって」
私は「ふーん」と言って、テレビ画面を見続けた。それからしばらくして番組が終わった瞬間、私の目からはポロポロと涙が出た。自分でも不思議な涙だった。
大人になった今、私の友人の多くはネコを飼っている。友人宅に遊びに行くとネコもいるので、何度も会っており一緒に時間を過ごす。なんとなく情のようなものが湧いてきているのを感じる。このネコたちが死んだら、私の心はあの時のようにぎゅっとなるのかなあと想像したりする。
保育園の頃、抱っこしたらフンをしはじめたウサギと。