第7回
定規で引いた線
2023.03.23更新
「勉強できる人は定規を使わなくたって、真っ直ぐに線が引けるんだよ」
小学校高学年の頃、同じクラスだった女子生徒にこんなことを言われた。彼女は、私がやる事なす事に何かしらケチをつけてきた。私にはそれが不思議で仕方なかった。
「筆圧が強い人って、勉強できないんだよね」
下手なだけでなく、ものすごく黒々しい字を書く私に、こんなことも言ってきた。
自分が勉強ができないということに、私は高校生になるまで気が付かなかった。「勉強、苦手だな」「勉強、あまり好きではないな」とは思っていたけれど、そのことを他人と比べるなんていう考えがこれっぽっちもなかった。しかしこんな私でも、彼女より勉強ができないことくらいはわかっていた。彼女は、御三家と言われる中高一貫校や、誰もが知っている大学の系列校に合格したくらい、勉強ができた。毎日のように塾に通い、土日は模試を受け、寝る間も惜しんで机に向かう彼女。かたや漫画と小説ばかり読み、アイドルになることを妄想して遊んでいる、毎晩9時ごろには布団に入る私。同じ土俵に立つどころか、全く違う星で生きている異星人として、お互いがお互いを観察し合うような、それくらい違う生き物だったのだ。それなのにどうして彼女は、「あなたは勉強ができない」と遠回しに何度も私に言ってきたのだろう。
「勉強できる人は、線をまっすぐに引けるものなのか〜。たくさんグラフとか書いているから、慣れているのかな?」「勉強できる人は、筆圧が弱いのか。確かに、筆圧が強かったら勉強するたびに鉛筆の粉で手が真っ黒になっちゃうもんなあ〜」と、頭の中で感心していた。ぼーっとした顔で嫌味を聞いている私の姿も、彼女にとっては面白くなかっただろう。
とは言っても、私は彼女のことがとても嫌いだった。性格が悪いなあと思っていたし、私ばかりに何かを言ってくるのも気に食わなかった。「昨日は夜中の3時まで勉強していたんだよね」とか「学校に来ている時間が無駄〜」などと私に言ったところで、何かが解決するわけでもないし、同情も尊敬もしなかった。
こうやって思い出してみると、彼女が言ってきた言葉を私は結構覚えているが、その中でひとつ、毛色が違うものがあった。
「死にたいと思ったことある?」
その言葉を聞いたとき、身体がドクンと、波を打ったような気がした。想像したことがないどころか、遠く離れたところにある、それこそテレビのニュースのなかだけの言葉だと思っていた。それが今、自分の隣に居る人の口から出てきたこと、しかも同じクラスの女の子からだということにも、びっくりした。
私は動揺しながらも、それを悟られないように「ないよ」と答えた。すると彼女は「え〜! うそ〜! みんな一度くらい思ったこと、あるよ」と言った。
本当にそうなのだろうか。ドキドキしながらしばらく過ごしたが、いつの間にかそんな会話があったことも忘れ、学校生活を送った。しかし私は今でも、子どもの自死のニュースを知るたびに、彼女とのあのやり取りを思い出す。
中学生になり、私は学年の女子のボスをはじめとする数人から、無視されたり陰口を言われたりして過ごした時期があった(2021年発売の『ちゃぶ台7』に詳しく書きましたのでご覧ください)。たいして傷ついたりしていないので、私はこれをいじめだとは思っていないのだが、今考えると、そのボスの家庭環境は少し複雑だったように思う。
どんな理由であれ、誰かを攻撃していいという理由にはならない。しかし、子どもが自分の力で家庭を含め、様々な問題を解決していくことはものすごく難しい。
私は誰とでも仲良くなりたいわけじゃないし、他人に嫌われてもあまり気にならない。誰かとの関係が拗れた時にそれをほどく努力を、はなから放棄するタイプだ。しかし今、私はあの頃の彼女たちの心の背景にものすごく興味がある。
あの頃の私は、ただ事が過ぎ去るのを待っていたけれど、あのときに彼女たちが今置かれている人生に耳を傾けていたら、どんなことを考え、想像しただろう。
中学でボスだった子とは、中学3年生のころから少し会話をするようになり、今でも近況はちょこちょこ耳に入る。しかし小学校時代のあの彼女の行方を知る人は、不思議なことにひとりもいない。
話をしてみたいという気持ちとちょっとした好奇心から、もう10年くらい彼女を探しているのだが、誰もがインターネットですぐに繋がれる時代であっても、なんの手がかりもないままだ。