過去の学生

第8回

テスト勉強

2023.04.23更新

 今年の3月から、韓国・ソウルの学校に通っている。

 語学堂と呼ばれる教育機関で、朝鮮語(韓国語)を母語としない人を対象とした語学学校だ。K-popや韓国映画、ドラマなどの影響もあって、アジア圏だけでなく世界中から学生が集まっている。学校や寮、その周りを歩いていると、ここが韓国だとは信じられないくらい、多様な肌の色の人々とすれ違うし、さまざまな言語が聞こえてくる。外国人のみならず、韓国にルーツを持つ学生も多く、私が通っている語学堂には、現在1800人を超える学生が在籍しているらしい。

 韓国では国立、私立問わずさまざまな大学に語学堂が設置されている。三ヶ月弱で1つの級が修了し、テストの点数、出席率などの条件を満たせば進級でき、次の学期ではまたひとつ上の級で学ぶことができる。上級まで受講し資格などの条件を満たせば、韓国の大学で学ぶ機会を掴むこともできる。外国人を学費無料で受け入れる大学もあるという。

 私は1年ほど前から週に1度1時間だけ、近所のマンツーマンの韓国語教室に通っていた。小説の執筆の追い込みと教室に通い始めた時期が重なっていたが、「何もやっていないよりはマシだろう。自分に甘いから、独学だと3日坊主にもならなさそうだし...」と、勢いで申し込んだ。この1年、宿題や復習などは一切やったことがなく、本当にただ"通っているだけ"だったけれど、初心者に毛が生えたレベルくらいにはなっているような気がしたので、入学テストを受けてみたのである。そうしたら、自分の実力よりもおそらく少し上のクラスに入ってしまったのだ(そうは言っても、たいして上のクラスじゃないのだが)。

 入学して最初の1週間は、本当に大変だった。

 まず、当たり前なのだが授業が全て朝鮮語なので、それになかなか慣れない。聞き取って黒板を写すだけでも大仕事なのに、一人ずつ先生から質問されたり(何を聞かれているのかがわからないので答えられない...)、テキストを音読させられたり(私ひとりだけ、お経でも読んでいるのかな? というくらいゆっくり&つっかえる)、場違いも甚だしい感じだった。予習と復習、宿題を、毎晩夜中の2、3時くらいまでやっても終わらず、夜ベッドに入っても、頭の中でぐるぐると考え事をしてしまって、結局3時間くらいしか眠れない日々が続いた。

 最初の1週間が経った日、私は先生にひとつ下の級に落としたいと申し入れた。すると「大丈夫、大丈夫。日本人の子は、結構みんなそう言うけれど、慣れると思いますよ。授業で言っていること、全部まるっきりわからないわけではないなら、大丈夫ですよ」と言うのだ。「この結論に至るまでに、私がどれほど悩んだのか、先生はわかっていない!!泣」と思いながらも、「先生がそう言うなら、大丈夫なのかな?」と、私は現状維持を選択してしまった(最初は三ヶ月で帰国するつもりだったので、進級できなくてもまあいいや、と軽く考えていた)。

 韓国へ来る前に、父親と食事をした際「絶対に背伸びをするな。恥ずかしさなんてどうだっていいのだから、基礎からやりなさい。誤魔化すのがいちばんの遠回り」と言われたのに、果たしてこれでよかったのだろうか。反発したい気持ちなんてこれっぽっちもないのに、初めて父親に反抗したような気持ちだ。

 それから一ヶ月ほどが経ち、あっという間に初めての中間テストがやって来た。このテストで60点以上を取らないと、進級できないことになっている。事前に過去問題を先生が配った日、私は全く歯が立たず、このままでは40点くらいかもしれないと青ざめた。私には積み重ねたものがないので、みんなが理解できる単語や文法も知らないことがよくある。その度に調べ、学ばなければならないので、ものすごく時間がかかる。

 現状維持を選択した翌日、弟に電話をした。

「エマちゃんは、今までの人生で勉強をしてこなかったわけではないじゃない。テスト勉強とかも、真面目にやっていたじゃない。それなのに7点とか取っていたじゃない。もうそれは、いくら勉強しても、勉強がものすごく苦手っていうことだからさ、本当に勉強が向いてないってことだからさ、それよりもクラブとか行って遊びなよ。学校で良い成績が取りたくて、そっちに行ったわけじゃないでしょ? 韓国の文化とか歴史とか知りたくて、友達作りたくて行ったんじゃないの? わたし、スペイン語も英語もしゃべれるけれど、この前、資格でも取ろうかとテキスト開いたら全然わからなくってさ。言葉を使えるかどうかと、学校の勉強は違うって、エマちゃんもわかっているでしょ。身体、無理すると持たないよ」

 日本でもクラブに行ったことがないのでそこには突っ込んだが、7つ離れた弟の言うことは、的を得ているような気がする。そういえば、弟がテストや入試のために勉強をしている姿を私は見たことがない。

 そう考えると、いくら勉強をしても私は60点を超えられないかもしれない。もし60点を超えたとしても、しゃべれるようにはなれないかもしれない。そう思いながらもやるしかないので、今までに経験したことがないくらい、私は私なりにではあるが、勉強した。韓国で迎える初めての春。満開の桜に人々が浮き足立つ街中を急ぎ足で通り過ぎ、朝から夜遅くまで勉強した。

 話す(3分スピーチと、先生との会話)、聞き取り、筆記(文法、単語、エッセイを書く)、読み(発音を含む音読と読解)など、3日間に渡るテストだった。結果は全ての科目で70点を超え、90点近いものもあった。他の学生と比べると大したことはないのだろうが、個人的には大健闘。ものすごくうれしく、すぐに祖母に結果をLINEで送った。『積み重ねがやがていろんな花を咲かせてくれましょう』と返信が来た。

 試験の後、苦手だった箇所を、先生が学生ひとりひとりにフィードバックしてくれたのは新鮮だった。頑張らなくてはいけない部分が、手に取るようにわかったのもなんだか嬉しかった。

 しかし、最初のクラス分けテストもそうだったのだが、このようなテストにアジア人は比較的慣れているが、ヨーロッパ圏やアメリカの学生には、少し難しそうだ。

「暗記さえすれば点数が取れるという部分が多い。これは実力と呼べるのか」と、疑問を漏らす学生もいるらしい。私のルームメイトはオランダ人なのだが、彼女はかなりの上級者。しかし、自分が望んでいたクラスには入れなかった。

 語学堂によってテストの様式もいろいろなようで、それによって学校を選ぶ学生もいるようだ。

 テストとは何のためにあるのか。私はこの歳になってやっと、"当たり前の不思議"に思考を巡らせているように思う。

 中高生の頃、なぜか申し合わせたように、試験期間によく父親が家にやって来て、泊まっていった。

「エマの学校は、毎日テストがあるのかい? いつも勉強しているね」
「違うよ! パパがいつも、テスト期間に来るんだよ! すごい迷惑! エマ、勉強しないといけないのに!」
「今から勉強したって、たいして変わらないだろう。それより肩揉みして。ほら」
「えー! エマ、勉強しなきゃいけないんだって!」
「ほらほら、"親孝行したいときには親は無し"っていう言葉知ってるかい?」

前田エマ

前田エマ
(まえだ・えま)

1992年神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティ、キュレーションや勉強会の企画など、活動は多岐にわたり、エッセイやコラムの執筆も行っている。『向田邦子を読む』(文春文庫)、ミシマ社が発刊する雑誌『ちゃぶ台』6号にもエッセイを寄稿。連載中のものに、オズマガジン「とりとめのない日々のこと」、クオンの本のたね「韓国文学と、私。」がある。声のブログ〈Voicy〉にて「エマらじお」を配信中。著書に、小説集『動物になる日』(ちいさいミシマ社)がある。

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