過去の学生

第10回

叱られる

2023.06.22更新

 どの職場でも、こういう光景はあるのかもしれないが、上の立場にいる人がこれ見よがしに下の立場の人を叱るときがある。私はこれがものすごく大っ嫌いだ。

 私がモデル仕事の際にこの光景を目にするのは、カメラマンさんやヘアメイクさんなどが、アシスタントの方を叱る場面だ。

 誰かを犠牲にするみたいであまりいい事だとは思わないが、例えば大勢の前で誰かが叱られることで、現場の空気がシャキッとしたり、反省を共有できるときもあるだろう。

 しかし私の目の前で、アシスタントの方が叱られたところで、他の人たちにはなんの意味も利益もないような気がする。周りの空気だってギクシャクするし、いいことがない。師匠がアシスタントを叱る理由は、大抵の場合、そのふたりだけの問題なのだ。

 中には、威張りたい、権力を見せたい、そんな雰囲気で、パフォーマンスとして叱っている人もいる。私はそんなとき、アシスタントさんとふたりきりになると、お名前を聞いたり(私の性格上、すぐに忘れてしまうのだけれど)、どれくらいアシスタントをしているのか、出身地はどこなどかを尋ね、何か会話をしようとする。あなたにもちゃんと人権があるのだよ、ひとりの人間なのだよと、どうにかして伝えたいと思ってしまう。普段、他人のことなんてこれっぽっちも考えない私がそんな行動をするなんて、こういうシチュエーションが相当好きじゃないのだろう。

 誰か他人がいる前で叱られると、内容を反省するよりも「みんなの前で叱られていて、恥ずかしい」「早くお叱りが終わってほしい」という気持ちが大きくて、あまり意味がないような気がするのは私だけだろうか。

 陰湿な攻撃はもちろんダメだけれど、後でふたりきりになったときに、何がどうしてよくなかったのか、ちゃんと順序立てて叱ったほうがいいのではないだろうか。私には不思議でたまらない。

 中学時代、テニス部に入っていたときも、よくそういう光景を目にした。というよりも、私はいちばん下手っぴで、要領も悪く、みんなと同じように振舞えなかったので、よく先生に叱られた。理不尽な内容で叱られることも多く、その度に「なんで先生は今怒っているんだろう?」「暑いからだろうか?」「どうせ私は試合に出られないのだから、私なんかに時間割くなんて無駄なのにな」などと、頭の中で想像ゲームを繰り広げていて、その様子がボケーっとしているように見えたのか、さらに叱られた。

 普段、職場ではだいぶ部下たちを叱っていそうな父親には、生まれてから一度しか叱られたことがない。父親がテレビを付けっぱなしのまま、ソファーで居眠りを始めたので、チャンネルを変えたら「何するんだ!観ているんだから!」と突然大きな声で言われ、びっくりした。確か、クラシック音楽を流す番組だったような気がする。

 母親は、人並みに私のことを叱ってきたけれど、どちらかと言うと小さな注意を積み重ねる人だ。肘をついて食べないこと、扉をゆっくり閉めることなどを、この年になっても成長しない私に、今でも根気よく言い続けている。

 自分が大人になると、親だって体調や機嫌に振り回されるし、様々な悩みがある生き物だと分かる。もう記憶には残っていない様々なお叱りは、もしかしたら大した理由もないものだったかもしれない。子どもにとって叱られることなんて日常茶飯事なので、理不尽なことで叱られていたとしても大抵忘れているのだが、ひとつだけ忘れられないものがある。

 小学4年生くらいだっただろうか。近くに住む2年生のAちゃんと、1年生のBくんと、自転車で遊びに行こうとすると「4時までに絶対帰ってきてね」とAちゃんのお母さんに言われた。Aちゃんのお母さんは、いつものように近くの公園に行くのだと思ったようだが、私は「4時までに帰って来れば、どこへ行ってもいいんだ!」と思い、ふたりと一緒に少し離れたイトーヨーカドーまで行った。それはちょっとした大冒険で、とてもわくわくした。私たちは約束通りに4時少し前に、ビューンと自転車を走らせて帰ってきたのだが、なんだかAちゃんのお母さんの様子が違う。どこへ行っていたのか聞かれ、私は心のどこかで「イトーヨーカドーに行ったことは言いたくないな」と後ろめたさがあったが、時間を守っていたので問題ないと思い、正直に話した。すると突然、Aちゃんのお母さんと話をしている向こうから、母親が自転車を爆速で走らせてこちらに向かってくるではないか。いつもは仕事で帰りの遅い母親が、なぜこんな時間にここへ居るのだろう。なんだか嫌な予感がした。

 ことの次第はAちゃんのお母さんが公園へ様子を見に行ったら私たちがいないので、心配して母親に電話をかけたということだった。

 住宅街の駐車場で、ものすごい剣幕で母親に叱られた。私は膝をついて何度も頭を下げて、ごめんなさいと謝った。大粒の涙を流し、過呼吸になりながらも、ひたすらに謝った。

 今にして思えば、親たちが不安になる気持ちもよく分かる。ただ当時の私は、泣いて謝りながらも、全く反省などしておらず「Aちゃんのお母さんは、どうして余計なことをするんだろう?」「どうして時間通りに帰ってきたのに、こんなに怒られるんだろう?」「どこに行くかなんて、聞かれていないのにな...」「遠くの公園に行っていたら、怒られていなかったのだろうか?イトーヨーカドーに行ったのがいけなかったのだろうか?」などと、疑問でいっぱいで、納得できなかった。

 母のあの叱りは、もちろん他のお母さんたちへの申し訳なさや、示しをつけるためもあったのだと思う。私は今でも、駐車場のコンクリートが涙で濡れて、濃くなっていく様子を、よく覚えている。

 私は機嫌が悪くなってグチグチ言ったり、ぷんぷんしたりはするけれど、誰かを叱ったことはそんなにない気がする。ただ、母親や弟からはよく「もっと優しく言ってよ。怒られているような気分になるんだけど...」と言われるので、ちょっと私は反省したほうがいいのかもしれない。

前田エマ

前田エマ
(まえだ・えま)

1992年神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティ、キュレーションや勉強会の企画など、活動は多岐にわたり、エッセイやコラムの執筆も行っている。『向田邦子を読む』(文春文庫)、ミシマ社が発刊する雑誌『ちゃぶ台』6号にもエッセイを寄稿。連載中のものに、オズマガジン「とりとめのない日々のこと」、クオンの本のたね「韓国文学と、私。」がある。声のブログ〈Voicy〉にて「エマらじお」を配信中。著書に、小説集『動物になる日』(ちいさいミシマ社)がある。

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