第11回
卒業文集
2023.07.23更新
先日、生まれ育った家のご近所さんから「A君、看護師になるそうです。国家試験も無事合格!」という嬉しさが滲み出るメッセージをもらった。
A君は近所に暮らす、私の弟の同級生だ。弟にA君の進路を伝えると「Aは小学校の卒業文集の将来の夢の欄に、テニスプレイヤーになるって書いていたのに」と返事が来たので、ご近所さんにそれを伝えると「弟くんは、卒業文集に何て書いたのでしょうね」と返ってきた。私も気になって弟に聞いてみると「書いてない」と言う。弟は現在、芸人や音楽をやっている幼馴染たちと一緒に生活をしている。彼らは何と書いたのか聞いてみると、彼らも書いていないそうだ。
弟に直接聞いたわけではないが、私は弟の気持ちがなんとなくわかる。弟は、将来の夢がなくて書かなかったわけではないような気がするし、おそらく弟の幼馴染たちも、同じなのではないだろうか。私も弟も、"夢"という言葉に、こだわりがあったのだと思う。
小学校を卒業する頃、卒業文集に将来の夢を書くというのは定番だ。それに加え、私の学校の卒業式では、将来の夢、もしくは中学での目標について短く話してから卒業証書を受け取るという儀式もあった。
私は小学校3年生の頃からずっと「ミステリーハンターになりたい」と思っていた。"ミステリーハンター"とは、TBSの番組「日立 世界ふしぎ発見!」のリポーターだ。日本中、世界中のいろんな場所へ行って、さまざまな景色や人と出会って、そこでの感動を言葉にして人に伝える。何て素敵な仕事がこの世界にはあるのだろうか! と興奮し、毎週夢中になって観た。
ミステリーハンターへの夢を語った私の卒業式でのスピーチは、他の生徒のものとはだいぶ違ったようだ。母は数年前に近所のスーパーで同級生のお母さんと鉢合わせた時「エマちゃんは、まだミステリーハンターをめざしているの?」と聞かれ、「多分...?」と答えたらしい。
大学を卒業してモデル事務所に入ったとき、私はマネージャーに"叶えたい夢リスト"というのを書いて渡したのだが、おそらくいちばん最初に書いたのがミステリーハンターだった。
他人から見れば、私は"夢の叶っていない人"かもしれないが、仕事を通して日本や世界の様々なところへ行き、面白い人たちと出会えて、それを自分の言葉で伝えることができている今の仕事は、多分かたちは違えど、夢が叶っているのではないかとも思う。ミステリーハンターを追いかけた青春時代があったからこそ、今、この場所にいられるのだから、満足している。
と同時に、小学生の頃から今まで、一途に夢を見てきたからなのか、同級生たちとの夢への温度感に、ものすごく違和感を感じてきた。
人は変化し続ける生き物だし、言葉の呪いにいつまでも足をつかまれる必要もないが、私は何度も卒業文集を読み返し、自分の夢をくり返し愛してきたので、同級生の夢も暗記している。
学年でいちばん可愛かった子がスチュワーデスになりたいと書いたこと。みんなの王子様のような子が、考古学者になりたいと書いたこと。トリマー、獣医、サッカー選手、野球選手、花屋、看護師、薬剤師...全部覚えている。
だから大学を卒業した頃、同級生に会うと不思議でたまらなかった。同級生たちに、怒りのような悲しみのような、そんな気持ちがずっと心にあった。私は夢が叶っていない自分に対して悔しかったし、私の大切な夢がこのままではかわいそうだと思った。もちろん夢を叶えた人もいたし、夢に大きい小さいなどの優劣はない。しかしあの卒業文集に、どれくらいの人が心と未来を込めて夢を書いていたのだろうか。
弟は小学生の頃、言葉にしたらその瞬間に陳腐になってしまうかもしれない夢を、おそらく心の中に描いていたはずだ。そして、弟の幼馴染たちも、夢という言葉に対して、軽々しくは口にしたくないような、そんな責任感が幼いなりにあったのではないだろうか。
数週間前、友人から「エマちゃんは、人の夢をよく聞くよね」と言われ、ハッとした。確かに私は、初対面の人から仲のいい60歳をとうにすぎた友人にまで、よく夢を聞く。
夢は、子どものためのものではない。
叶わないような、叶えたいような、そんな夢を、いつまでも持って生きていたい。
(ミステリーハンターも、まだ夢見ている!!!)