過去の学生

第14回

学校えらび(前編)

2023.10.23更新

 この連載を読んでいる方ならおわかりだと思うが、私は勉強がものすごく苦手だ。漢字も九九も、右も左も、時間も、いまだに覚えられていないようなところがある。

 私は今年の3月から8月まで、韓国・ソウルにある語学堂に通った。

 中学2年生の頃、母親が学校に呼び出されたとき「この子が勉強が苦手なのは、個性なので大丈夫です!」と、担任に言い放ったその言葉を、この歳になってからもお守りのようにして生活するとは。やる気があっても、苦手なものは苦手だった。

 進級できなかったのである。
 精一杯頑張ってみたのだが進級できなかった。そんな中、発見したうれしかったこと。それは「大人は学校を選べる」ということだ。

 数年前からBTSや韓国文学をはじめとする韓国のカルチャーを入り口に、社会問題、歴史にのめり込んだ私は「こりゃ一回、韓国で生活してみるしかないな。自分の目で、色々見てみたいな。語学堂にも通ってみようかな」という気持ちになった。

 最初は「3カ月、行ってみよう」と思い、ビザも取らずに来たのだが、こちらで生活し、語学堂の授業が始まると、あれこれ思うことが増え、もっと滞在することにした。

 語学堂の正規課程は、初級である1級から高級である6級までの6つのレベルに分かれて、ひとつのレベルを10週間で学ぶようになっている。初級は基礎を作り叩き込む感じ。中級は、韓国人らしいより自然な表現を学ぶ感じ。ここまでくると、日常生活をスムーズに送れるレベルらしい。高級になると韓国での大学進学を目指す人も多く、社会問題なども扱い、ディベートや論文発表などもある。四字熟語なども覚えるそうだ。

 世界中で受験できる韓国語能力試験(TOPIC)も6級が最高級なのだが、語学堂で4級に在籍していてもTOPIC6級を所持している人もまあまあいるので、同等の語学力とは言い難いかもしれない。

 私は入学試験の結果、2級から学ぶことになったのだが、日本にいたときは会話や音読などはほとんどやってこなかったので、最初が本当にしんどかった。当たり前なのだが、授業も全て韓国語で進めるので、半月ほどは「ああ、1級からやればよかったかなあ」と何度も頭によぎった。しかし悩む時間もないほどに授業がものすごいスピードで進んでいき、ついていくのに必死で、あっという間にそんなことも忘れていった。

 2級を勉強しながら、1級も独学で勉強していくような日々。宿題も毎日あり、予習と復習もしないと授業時間がちんぷんかんぷんになる。月に一度は会話、スピーチ、音読、筆記、リスニングなどの大きな試験があるので、インプットとアウトプットを怒涛の勢いでこなしていき、ぐんと実力がついていくのを実感する。人生で初めて朝から晩まで勉強し、どうにか3級に上がれたので、せっかくなら日常生活レベルの4級まで学んでみたいという気持ちが膨らんでいった。それまで、ここにいよう。

 しかしだ。忘れていたのだ。私は勉強が苦手だった。

 3級の中間試験。筆記試験は47点。60点が合格点なので、期末で80点以上を取らねば、進級できない。必死に勉強しての47点。急に80点を取れるわけがないのだ。私は悟った。「こりゃ、期末も無理だわな」

 そしてその読み通り、期末は46.5点で、4級には上がれなかったのである。
 筆記試験での私の失点のほとんどは、スペルミスによるものだった。韓国語の発音や文字の読み方は英語に似ている。わかりやすい例を出すと「work」を「walk」と書いてしまうようなミスが、ものすごく多かった。会話やリスニング、音読はできても、書けなかった。

 普段、私は原稿をパソコンで書いているので問題ないが、漢字も極端に書けない。
 夏に日本へ帰国した際、飲食店でアルバイトをしていたとき、お客さんに「領収書とレシート両方ちょうだい」と言われ、レシートに"領収書済"と書こうとして、書けなかった。そのとき「日本語でも書けないんだから、ハングルも書けないわな」と、納得した。

 余談だが、昨年小説を出版してサインをする機会が多かったのだが、読者の方のお名前を書くたびに本当にヒヤヒヤした。

 語学堂で、もう一度3級を勉強するという手もあった。しかし、おそらく何年やっても私はスペルを書けるようになる気がしない。漢字も九九も20年近くやっていても、できるようになっていないのである。

 私のささやかな目標は、韓国の人たちと韓国語で楽しく話せるようになることだ。スペルが書けるようになることじゃない。なので3級が終わると同時に語学堂はさっさと辞めた。半年間、私の勉強を隣で見守り教えてくれていた6級のお姉さんにも「エマは学校の勉強は向いてないね」と言われたので、後ろ髪をひかれずにパッと辞められた。

 そんなわけで私は今、週に2度ほどグローバルセンターで行われている韓国語スクールに通っている。他にも書芸(韓国の習字)やポシャギ(パッチワーク)を習っている。韓国料理の教室にも行きたいと思っているところだ。

 この韓国語スクールは外国人滞在者のために市が開校している無料の学校だ。生徒には、海外赴任で来ている人、家族の赴任についてきた人、ワーキングホリデーで来ている人、出稼ぎに来ている人などがいる。学校は地域によって、だいぶ色が違うようで、フランス人居住地区はフランス人が多く、企業が多い地域は日本人や中国人が多く、ベトナムからの労働者が多い国なので、ベトナム人が多い学校もあるらしい。

 クラスは定員制で10人ほど。ちゃんと宿題もあるし、定期試験もある。

 私は入学試験を受けて、4級からのスタートとなった。語学堂での時間が報われたようでうれしかった。

 8月まで通っていた語学堂は「延世語学堂」という、いちばん古い歴史をもつ私立学校だった。知名度も学費も高く、先生方もほとんどがSKYの出身(韓国の大学の御三家)で、設備も授業内容も充実していた。

 まるで私立から公立へと転校した気分である。私は日本では、私立より公立の方が向いているなと思っていたタチなので、これからの学校生活がたのしみだ。

(つづく)

前田エマ

前田エマ
(まえだ・えま)

1992年神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティ、キュレーションや勉強会の企画など、活動は多岐にわたり、エッセイやコラムの執筆も行っている。『向田邦子を読む』(文春文庫)、ミシマ社が発刊する雑誌『ちゃぶ台』6号にもエッセイを寄稿。連載中のものに、オズマガジン「とりとめのない日々のこと」、クオンの本のたね「韓国文学と、私。」がある。声のブログ〈Voicy〉にて「エマらじお」を配信中。著書に、小説集『動物になる日』(ちいさいミシマ社)がある。

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