過去の学生

第16回

サンタクロース

2023.12.23更新

 12月の始め、韓国での留学生活をすべて終えて、日本へ帰ってきた。始めは3カ月の予定だったのに、なんだかんだ9カ月ほど行ったり来たりして過ごした。

 最後の日の夜は、大学路(テハンノ)でミュージカル「あしながおじさん」を観劇して締めくくった。何年もこの演目を見続けている友人が、チケットを取ってくれたのだ。

 大学路は演劇のメッカで、街全体に100を超える劇場がある。プロの公演だけでなく、学生演劇も盛んだ。韓国の俳優たちの多くは、高校時代から演技予備校へ通い、大学で学び、大学路などで経験を積む。ここからテレビや映画界に羽ばたいていった俳優や演出家も少なくない。

 ここには平日でも、演劇を観にたくさんの人が集まってくる。驚くのはその客層だ。日本で演劇やミュージカルを観に行っても、こんなに若者がいるだろうか。若いファンたちと役者たちが、こうやって明日の韓国エンタメ界を作り上げているのかと、胸が熱くなった。

 「あしながおじさん」は、主人公の少女とあしながおじさんの二人芝居。歌唱力と、物語の構成、秀逸な舞台美術も相まって、涙しながら観たのだが、心の中で私は戸惑っていた。

 あれ? あしながおじさんって、こんなお話だったっけ?

 「あしながおじさん」の主人公は孤児院で育った少女だ。ある日、文才のある彼女を大学へ行かせてくれる謎の男"あしながおじさん"が現れる。このあだ名は、彼女が勝手に付けたものだ。学費支援の条件は感謝を述べずに大学生活を報告する手紙を、定期的にあしながおじさんに送ること。物語は、顔も年齢もわからないあしながおじさんに向けた少女の手紙のみで構成されている。あしながおじさんは正体がばれないようにしながら少女と交流を持つ。月日がたち、大人になり、作家になった主人公。彼女は想いを寄せていた男性からプロポーズされるのだが、孤児院出身ということを負い目に感じ断る。しかし実はその男性こそがあしながおじさんだったという物語だ。

 小学生のころに無理やり読んだ「あしながおじさん」は、もっと不気味で、おもしろくなくて、どこにも心を寄せることができない物語だった。

 今読むと、突っ込みどころ満載ではありつつも、おじさんの必死さを可愛いなと思えなくもないし、作者がどんな仕掛けを散りばめて、物語を構築していこうとしていたのかもよくわかる。

 思い返すと小学生の頃の読書というのは、登場人物を自分に引き寄せながら感情移入して読むことが多かったような気がする。つまり大学生の少女の話を読んだとしても、少女を自分に置き換えていたのだ。

 この物語のキーポイントは、おじさんだと思っていた男性が実は若かったという部分だと思うのだが、当時の私にはそのジョークというか種明かしが通じず、それに加えて少女を自分に引き寄せていたこともあり「なぜ少女(私)がおじさんと恋に落ちるのか?」がまったく理解できなかった。大学生と30代、40代の恋愛なんて、今考えればおかしくもなんともないことなのだが、小学生の私にはまったく理解できないことだった。いくらおじさんが少女(私)の夢を応援してくれても、様々なところで少女(私)の心を守ってくれても、親戚のおじさんが親切心でやってくれていることの延長くらいにしか感じられず、ときめかなかった。これはどう考えても大人の恋物語だと思うのだが、なぜ「少年少女世界の名作全集」に収録されていたのだろうか。それとも、努力すれば夢は叶うという、少女の成長日記として読めば良かったのだろうか。

 この本を私にくれたのは、小学5年生のクリスマスに我が家を担当したサンタクロースだった。クリスマスの朝起きると大きな赤い靴下のなかに、本が10冊ほど入っていた。なかには「三銃士」や「チボー家のジャック」などがあった。サンタが私のために選んでくれたのだからがんばって読もうと努力はしたのだが、当時「ダレン・シャン」や「江戸川乱歩シリーズ」などに夢中だった私には難しく、苦痛でしかたなかった。

 私がサンタの正体を知ったのは高校生のころだ。そのころにはもう、私にはサンタからのプレゼントはなかったが、7つ離れた弟は恩恵を受けていた。クリスマスの3日前に、掃除機をかけようと納戸を開けると、クリスマス仕様の包装紙に包まれた箱があった。心がゾクッとした。私は急いで、今までにサンタからもらった手紙と、誕生日に両親から贈られたバースデーカードを取り出してきて、筆跡鑑定を始めた。間違いないと確信した。そして真っ先に考えたのは「ああ、あの時の本のセレクトは、親が読んでほしい本だったのか...」ということだった。私が海外文学に対する苦手意識があるのは、この体験も少なからず影響しているような気がする。

 しかし、我が家のサンタは頑張り屋だった。ピアノがほしいと頼んだ4歳のころ、朝起きると大きな赤い靴下のなかに、クマのぬいぐるみと手紙が入っていた。お腹を押すとブーと鳴くのでブータンと名付けた。

 手紙には「メリークリスマス。サンタさんのお友達が、あとでピアノを持って行くので、おうちで待っていてね」と書いてあった。午前中、保育園を休んで母と父と待っていると、玄関のチャイムがピンポーンと鳴った。

 「こんにちは! サンタさんのお友達です。ピアノをお持ちしました」と、宅配のお兄さんがふたりやってきて、ピアノを運んでくれた。

 ピアノは14年習ったが練習が嫌いで、家ではあまり弾かなかった。しかし、大人になってからはときどきたのしく弾いている。

 あの時の名作たちも、今ならおもしろく読めるのではないだろうかと思ってみたりする。

前田エマ

前田エマ
(まえだ・えま)

1992年神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティ、キュレーションや勉強会の企画など、活動は多岐にわたり、エッセイやコラムの執筆も行っている。『向田邦子を読む』(文春文庫)、ミシマ社が発刊する雑誌『ちゃぶ台』6号にもエッセイを寄稿。連載中のものに、オズマガジン「とりとめのない日々のこと」、クオンの本のたね「韓国文学と、私。」がある。声のブログ〈Voicy〉にて「エマらじお」を配信中。著書に、小説集『動物になる日』(ちいさいミシマ社)がある。

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