第1回
今でも根っこは理系かもしれない(藤原辰史)
2021.11.08更新
「学ぶとは何かーー数学と歴史学の対話」と題し、本日より歴史学者の藤原辰史さんと数学者の伊原康隆さんによる、往復書簡の連載がはじまります。ある日のこと。ミシマ社から2020年に刊行した『縁食論』の著者・藤原辰史さんより、「近所に天才数学者が住んでいらっしゃいます!」とご連絡をいただきました。聞くところによると、伊原康隆先生は、数学のノーベル賞とも言われる「フィールズ賞」の審査員をされたり、「伊原のゼータ函数」という函数の名前にもなっていたり、東京大学と京都大学の名誉教授を務められているとのこと。想像しきれないほどのものすごい経歴に、この時点で編集部全員が前のめりになって、どんな方なのだろう...と興味津々でした。さらに聞くと、独学で生物学を一から学びなおしたり、音楽論や勉強論についても本を出版される予定とのこと。それはぜひお話を伺いたい、藤原さんと伊原さんが「学び」をどのように考えるのか、二人の書簡を覗いてみたい。ということでこの企画が生まれました。京都に拠点を構えるお二人の出会いから、それぞれが専門とする数学、歴史学の分野を飛び越えた学びのこと、そして政治に関する話まで。どんな対話がひろがってゆくのか、編集部も心から楽しみです。秋の夜長にじっくりと、お楽しみください。本日は藤原さんから伊原さんへの一通目。伊原さんから藤原さんへのお返事は、毎月20日に公開予定です。(ミシマガ編集部)
藤原辰史>>>伊原康隆
「学ぶとは何か」という壮大なテーマで伊原さんと手紙がやりとりできる喜びをかみしめています。その喜びとは、世界で高く評価されている数学者の伊原さんと言葉を交わせるから、という意味ではほとんどありません。そういう気持ちがもちろんないわけではありませんが、伊原さんとお話を繰り返しているうちに、伊原さんの率直な精神の動き、そして強烈ともいうべき好奇心の強さにすっかり魅せられて、自分も伊原さんの前ではなんだか自由にお話ししてしまうことに、自分でも驚いているからです。
私たちの出会いは2015年の夏、安保法制を廃止に追い込む運動が真っ盛りの頃ですね。京大の仲間と結成した自由と平和のための京大有志の会の声明書に賛同のコメントを送ってくださり、その後、有志の会のイベント、たとえば、大学の教員、大学、市民の垣根を超えて参加できる「本を読む会」などにたびたび足を運んでいただきました。有志の会のメンバーで物理を学ぶ院生が、伊原先生は数学の世界では宇宙人で別格だ、と言っていたのが印象的でした。
反安保集会で、伊原さんがO H Pを使いながら安倍政権批判をやり、私が漫才のようにコメントをしたことは今でも忘れません。何より、伊原さんが人文学の重要性のみならず、人文学そのものの可能性を深く理解されていることに大いに励まされています。
それだけでなく、伊原さんが私の本を読んで鋭い感想をくださったり、逆に私から伊原さんに本の感想を伝えたり、ご自宅に招いてくださったりして、伊原さんの魅力をいろいろ知ることができました。まずはこの場で感謝を申し上げたいと思います。
とはいえ、私はまだちゃんと自分が何者かを伊原さんに伝えていないように思います。伊原さんの中高時代の様子は、ご著書『志学数学――研究の諸段階 発表の工夫』(丸善出版、2013年)や『とまどった生徒にゆとりのあった先生方――遊び心から本当の勉強へ』(三省堂書店/創英社、2021年)で拝読しておりますので、ある程度までは知っているのですが、もっと教えていただきたいですし、そういえば私自身もあまり自分について語っていないので、まずは簡単に中高時代を中心に自己紹介をしたいと思います。
私は歴史学者です。歴史学には、政治史、経済史、文化史、社会史、科学史などのジャンルがあるのですが、環境史や農業史、あるいは食の思想史が専門です。主に、20世紀前半の二つの戦争と食・農の関係がテーマになります。主なフィールドはドイツなので、ドイツに縁のある伊原さんとはこの国の話を色々しましたね。
島根の田舎の中学校を出て、元農林高校だった田舎の普通科の高校に入学しました。伊原さんの前で申し上げるのは恥ずかしいのですが、数学は好きでした。ただ、確率・統計は全くダメで、数列やベクトル、微分・積分は楽しかったです。今、子どもと数学の問題を解いていると、楽しくなって、自分は今でも根っこは理系かもしれない、と思うことがあります。高校までは、答えが決まっている問題を解くことが楽しくて、逆に答えのはっきりしない国語の長文を読解することが苦手でした。
理科の中では物理や化学がさっぱりわからず、逆に生物がとても好きでした。伊原さんがいま分子生物学や進化論を独学で深く学んでいるのですが、それには全く及ばないにせよ、人体の仕組みや光合成の仕組みなどはずっと見ていても飽きないくらいでした。
文系科目の中では世界史がやはり最も好きで、得意でしたね。ただ、それは歴史学の精神を理解していたというよりは、端的に世界史上に出てくる人物や事件の名前にエキゾチズムを感じていたのだと思います。アメンホテップ四世とかオクタヴィアヌスとか、響きがカッコいい。覚えれば覚えるほど、自分の引き出しからどんどん歴史上の人物が出てくることが楽しかった。私は、猛烈な受験戦争に巻き込まれた世代で、受験勉強中心の学び方でしたし、納得できない時は納得するまで先生を質問攻めにすることはなく、何となく自分で未消化なりに折り合いをつけようとしていたように思います。ですから、学ぶことは、暗記することと深くつながっていたと思います。
文化系学問の学びの深さに惹かれ始めたのは、京都大学の3年生の頃でした。私の指導教員になる池田浩士さんのゼミで、ドストエフスキーの作品を読むというものがありました。池田さんはドイツ文学が専門でしたが、ファシズム文化から福沢諭吉まで幅広い関心を持っていて、鮮烈な影響を受けて現在に至ります。
私は、高校まで文学とは無縁の生活を送ってきたので、ドストエフスキーをこのゼミで初めて読みました。『貧しき人びと』『地下生活者の手記』『賭博者』『罪と罰』『悪霊』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』と読み進めていくのですが、最初は苦痛でしょうがなかった。なんでこんなに書き方が過剰で、登場人物のセリフが長く、粘着質なのかと思いました。とともに、他の学生や院生のコメントを聞くにつれ、自分がいかに作品を読めていないかを知りました。まわりの大学院生や先生は読みが深く、色々な事象と関連づけて作品を論じます。私は、自分の関心に無理矢理引きつけてしか論じられない。作品に内在する何かに近づけずに苦しんでいたと思います。しかし、それでも辛抱して読んでいくうちに、少しずつドストエフスキーの作品に取り憑かれていきます。何と言いますか、答えがない問いをずっと考え続ける快楽と言いましょうか、人間が存在するとはどういうことか、思想を持つとはどういうことか、というような永遠に決着のつかない問いを考えることを、むしろ楽しく感じるようになったのです。
また池田さんのナチズムのゼミでは、ナチス研究の入門書を輪読しながら、ナチズムのさまざまな面について学びました。そこで、ナチスの農業政策に出会い、食料自給率の向上を目指していたことを知り、驚いたのでした。
さらに、社会の底辺の人びとを扱う講義の中で、炭鉱労働者や日雇い労働者の歴史についても学びました。ですから、歴史を王道から眺めるのではなく、周辺や底辺、虐げられた人たちから見ようとする態度は、このゼミで知ったと言ってよいと思います。『罪と罰』も言わば、底辺に暮らす人々の物語だと先輩の発表から知って、「ものの見方」を少しずつ自分で獲得できるようになり、読書が楽しくて、活字中毒になってしまいました。自分で問いを立て、何となく答えを探し、友人と議論するというサイクルの中で、人文・社会科学の面白さの虜になっていきます。特に歴史は、史料を集めて、読んだあとは、ルールさえしっかり守れば、比較的自由に自分で物語を編むことができる。その作業に夢中になったのでした。
ただ、文理融合に憧れて総合人間学部に入学したこともあって、いまだに生物学には関心を持ち続けていますし、単なる歴史学の観点ではなく、もっと自然科学の観点を研究に織り交ぜていきたいという試みを不十分ながらしてきました。そういう意味で、これからの伊原さんとの言葉の交換が楽しみでなりません。
すっかり京都は気温が下がり、秋めいてきましたが、どうかご自愛くださいませ。