第5回
詩人・三谷晃さんに会いに行く!
2019.02.12更新
三谷晃さんという詩人がいます。彼はデビュー作である詩集『遠視』を持ってミシマ社京都オフィスに現れ、本を置き立ち去ったのでした。一読したミシマからは「いい詩でした、メンバーで回覧ください」とメッセージが。
さっそく読んだタブチが、まだウェブで検索しても情報がない詩人・三谷さんへのインタビューを敢行したのでした。この詩集のこと、そして三谷さん自身のことを、どこよりもはやくお届けします!
デビュー作『遠視』ができるまで
遠視
(ⅰ)
致命的な夜の闇
寝言でも漏らせば叶えられるのに十分すぎる
去り際が肝心の表舞台では足踏みして待ち受ける明日のわたし
(ⅱ)
いつも
いつも
いつも、とつぶやきながら
幾秒、幾日、幾月、幾年、
幾夜に残る足跡を数えあげていく
(iii)
できればここにあるものだけで
できればここにあるものだけを愛して
理想に浮かべる船だけで
水底沈むガラスのかけらを拾いあげたいのに
まち、集落を見降ろし、駆け抜け、
広大な大地を貫く灰の色した直線航路の道程を求めつづけています。
(ⅳ)
わたしだけにできること
この名を持って、いまここにいること
行き着き、息、継いでいくまでの路上中途採用者
(ⅴ)
愛、哀れむことなく
山の緑の葉、一葉一葉を数え奉れ
誰に捧げるため?
敬称をなくした数限りない影たちの成就のために
ーー この詩集『遠視』に中でも、「遠視」が冒頭にあるのですね。
三谷 詩作を始めたのが4年ほど前なのですが、この「遠視」という詩は、その頃に書いたもので、思い入れのある詩なので冒頭に持ってきました。
ーー 詩はどういう時に思いつきますか?
三谷 日常生活を生きていくなかで感じたことが多いですね。「遠視」のほかに収録されている「ワンルームコンプレックス」は、自分が住んでいるワンルームの中で、外界からときたま不意に入り込んでくる物音や気配から頭に浮かびあがってきたイメージが基点になっていますし、「三色パッカー小景」は僕がアルバイトをしているごみ収集について書いたものです。
ーー そうなのですね。
三谷 はい。ごみ収集の仕事で三色パッカーに乗るんですが、7時半に出勤して、だいたいお昼の3時か4時くらいに終わるんですね。ゴミを積んでいる時間ってたぶん2〜3時間で、あとの時間ってほとんどパッカー車に揺られてる時間と休憩時間なんです。だからパッカー車の中でボーッとする時間が長い。そういうときに目に入る車窓からの景色や取り留めもない考え事からこれらの詩は生まれています。
ーー その後のこの詩にも、すごい感情を揺さぶられました。
「喪服に桜 宵の野次馬がこぼす涙」。
三谷 ありがとうございます。この詩は、春になる直前、妙にあったかくなって、桜の咲くタイミングで喪服を着る・・・、若干あったかいなかで、分厚いものを着るあの独特な感じと暮れゆく陽の感じが描けていると思っていて、自分でも気に入っています。
「野次馬」って、すごく卑しい群れなんですけど、でも、そいつらでも葬式に出て、宵になってくると涙はこぼれてしまうみたいな。
詩人・三谷晃さんって何者!?
ーー この『遠視』の装丁もご自身がされたそうで。
三谷 そうですね。もともと僕は大学時代にグラフィックデザインを専攻していたんです。
ーー そうなんですね。詩作は4年前から始められたとのことでしたが、ご自分ではどういったものが詩作のベースにあると思いますか?
三谷 あまり明確で劇的なきっかけがあったわけではないのですが、幼い頃に母親がQueenや徳永英明をずっと車の中で流していて、それを夕暮れどきに聴きながら習い事に行ったりしてたんですよ。そのときの車内の空間のまどろみがなんとも言えなくて、ほんとなんでもないことなのですが、あのときの感覚がいま、詩作をするときの心持ちと似ているなぁとはよく思います。
ーー へえ!
三谷 僕は大学時代あまり真面目ではなくて、他人と共有できるような詩や文学の教養というものがほとんどないんですけど、先日読んだ、『現代詩手帖』に掲載されていた詩人の金時鐘さんの講演録にとても感銘を受けました。少し抜粋させていただきます。
「詩は書かれなくても存在する」
たとえば雪が降ろうが雨が降ろうが、「反戦平和」と書いたボードを公園で掲げつづけていた人そのものだったり、また、東日本の大震災の被災地で飼い主がいなくなってしまった動物たちをすべて世話してるようなおっちゃんの存在のことなんですね。
金さんが、「あなたは逃げないんですか?」と聞いても、「でもこいつらがかわいそうで」と答える。この受け答えから、「つまりそういう人たちは丸ごとの詩として存在している。詩はありのままでありたくないと不断に思い続ける人の心に宿ります」
これが本当にすごい言葉やなと思って。
ーー なるほど。
三谷 その後に「自分はそれに匹敵する詩を書くために何行費やせば書けるんだろう、到底及ばないだろう...。」と書いてある。自分が詩人であることにすごく自覚的というか、その限界を知った上でも、書かずにはいられないその姿勢に胸を打たれたんです。
詩を書くことと、写真を撮ること
ーー 三谷先生は、詩作だけでなく、写真も撮られるとか・・・? そこには何か通じるものがあるのでしょうか?
三谷 写真は作品と言えるほどのものを作っているわけではないのですが、街を歩きながらよくスナップを撮ったりはしますね。写真を撮っているときの心境にも詩作と似ているところがあると感じています。
詩作をしたり、誰かの詩を読んでいるときに、おもしろいなと感じることのひとつに、理路整然とした文章ではあまり隣合うことがないであろう言葉同士でも時たま、隣り合わせにすることで思いもしない一文が生まれるということがあるんですね。
天涯孤独を世界中から集めて 潮干狩り 銀砂
写真にもそういうところがあって。違う場所、違う時間に撮った写真を隣り合わせにすると、そこに写っているものの形象や配色から2枚の間に共通項を探そうとしたり、何が物語のようなものを見出そうと連想を始めてしまうということがあるんです。
あと、たとえば塀のブツブツとした質感ばかりをじっと見てると、「塀」という社会的な意味づけされた構造物じゃなくて、目の前のものが、ただ、「ブツブツが密集したもの」に見えてくるんですよね。
ーー うんうん。
三谷 つまり、ひとつのものをじっと見つめていると、「塀」という名称が自分の中で意味を持たなくなり、既存の意味が剥がれていくような感じがしてくるんです。
風に穴、ひとつの視線をそこから走らせる
戻りはじめたように歪んだまちのひとときに
堅く一瞥を投げかけて
この詩でいうと、本来、穴が空いていないものを「穴」という言葉で修飾すると、修飾されたものが一般的に付加されている意味が剥がれていくような気がする、そのときに湧き上がる見通しの良さみたいなものがあって、「穴」もその象徴かもしれないです。
写真を撮る上でも詩を書く上でも、客観的な事実を証明するかたちではなく、自分が世界から受け取っている印象を正確にひとつの事実として並べたときにものになっていたらすごくいいなというのは思っています。
脚色したりとか、修飾語の嵐みたいなので全文を埋めずに、ロートレアモンの「解剖台の上のミシンとコウモリ傘の偶然の出会いのように美しい」みたいな詩が書けたらいいなと。
ーー 三谷先生はお生まれが奈良で、学生時代に京都に越してこられたということですが、この土地で創作活動をすることにこだわりなどはお持ちなのでしょうか。
三谷 この26年間ずっと盆地に住んでいて、穴ぼこのなかにいるというか、すり鉢の底にいる感じはしていて。とても曖昧で、感覚的ではあるんですけど、盆地の底でぐるぐる回っていて、一見同じようなことをしながらちょっとずつ変わっていってるっていう感じがしています。
ーー なるほど。今後やりたいことなどありますか?
三谷 詩を書くように写真を撮ったりしたいし、詩を書くように映像を撮りたいですね。詩というのがそもそもどういうものなのかもよくわかりませんが(笑)。そしてそこの境界をもっと曖昧にして、消していきたい。もっと名づけがたいところで表現をやっていきたいと思っています。
おまけにペンネームのこと
ーー ちなみに三谷さん、ペンネームなんですよね。
三谷 そうですね。ペンネームを付けたくなったのは、ただ単に実名を検索すると、検索の上位に某暴力団の方の名前が出るので、嫌やったから(笑)。
ーー あ、そうなんですね(笑)。
三谷 それで実名に変わるものをと思って。
ーー なるほど。
三谷 名前の由来を言うと・・・、伊集院光が大好きやから、「光」という字は入れたかった。それで「光谷晃」というのを考えたんです。「谷」は実名のまま、「あきら」っていのも名前の一部から取っています。
ーー ほうほう。
三谷 でも、そうなると「晃」にも「光」が入っているので2つ付いてくどいし、あんまり文字のバランスとしてきれいじゃなかったから「三」にしたら割と収まりのいい感じになった。というような成り立ちです。
ーー なるほど! ありがとうございました。
※編集部註
三谷晃さんのTwitterアカウントはこちら。また、ミシマ社にお手伝いできてくれていた中谷利明さんは同一人物です。カメラマンとしての作品をご覧になりたい方や、お仕事のご依頼は下記までお願いいたします。