第15回
「学びの未来」のこれまでとこれから
2021.01.13更新
2020年春。新型ウィルスの感染拡大により、全国の学校が一斉休校しました。学びが「不要不急」のように扱われる前代未聞の事態。この状況を前にして、独立研究者として長年「未来の学び」を考えてきた森田真生さんと、実際に未来の教育を実践している瀬戸昌宣さんが、「学校」という枠組みにとらわれない学びの可能性を探るべく、この「学びの未来」プロジェクトはスタートしました。
そして5月19日に開催した、初回の「学びの未来 座談会」を迎えるにあたって、お二人は下記メッセージを寄せてくださいました。
◉ 森田さんより
「学校」は、最も惰性の強い制度の一つとも言われます。つまり学校は、ほんの少しずつしか変わっていかないのです。それは、学校という制度の重要な性質でもあり、同時に、学びの可能性に対する想像力をこれまで制約する大きな要因にもなってきました。
いまにわかに、その「学校」という制度が、一時的にとはいえ、機能停止に近い状態になってしまいました。全国各地で休校が続き、僕たちは仕事に、家事に追われながら、学びとは何か、子どもにとっての「不要不急」とは何か、学校に行くのとは別の形で学びを育んでいくにはどうするばいいのかといった根本的な問いを、真剣に考え抜かなければならない状況に投げ込まれています。僕も含めて、誰もが答えの見えない暗中模索の状況ではないかと思います。
そこで僕の頭にまっさきに思い浮かんだのは、高知県土佐町で新たな学びの場づくりしている瀬戸昌宣さんが、学校外での多様な学びを支える場所として今年立ち上げた「i.Dare(イデア)」という教育プログラムのことです。僕は今年そこで学ぶ子どもたちのもとを訪ね、彼らの学ぶ姿を見ながら、本当に大きな刺激をもらいました。詳しくは当日、瀬戸さんにもお話してもらう予定ですが、一言でいえば、「学ぶことと生きることが直結しているとき、人はこんなにもいきいきと集中力を発揮できるのか!」と、あらためてハッとさせられたのです。
瀬戸昌宣さんは教育(という言葉を本人はあまり使われませんが)の実践家として僕が最もリスペクトしている一人です。彼は何年も前から一貫して「学校」という枠組みにとらわれない学びの可能性を追求してきました。
「学校」という枠が本当に一時的に取り払われてしまったいまは、学びの可能性をラディカルに再考するまたとない機会でもあります。このタイミングでぜひ瀬戸さんを囲んで、学びの未来、学びの可能性について、語り合いたいと考えました。
僕は瀬戸さんと話すたびに、正しい答えを与えてもらうというよりも、考えるための新しいきっかけ、自分の力で考えてみようというふつふつとした意欲をもらいます。今回の「座談会」もまた、子どもや学びにかかわるすべてのみなさんとともに、考えること、学ぶことの喜びを再発見していくことができるような、新鮮な驚きと発見にみちた時間になればと、心から願っています。
◉ 瀬戸さんより
わたしたちはさまざまなことを諦めざるを得ない状況に突如として置かれました。義務だと思っていた通学がなくなり、ふと立ち止まる。子どもは「なぜ学校にいくのだろう?」と問い、保護者は「学校になにを求めているのだろう?」と自問する機会となったと思います。与えられた学習権と課された教育義務。その意味について考えずに過ごした日々から、その意味と向き合わざるをえない日々の中で、学びの意味についてそれぞれ考えたのではないかと思います。
「教育を受ける」「学ぶ」を学校がない状態でどのように達成すれば良いのか。多くの人々が悩みさまざまなリソースを探し求めたことと思います。既に存在する教育サービスの多種多様さに驚きすぐさま子どもに提供したかたもいるでしょうし、遠隔授業で子どもの学びを保障しようと奮闘する学校教員の熱意に感動されたかたもいると思います。ここ何十年と見られなかった教育の大きなムーブメントが今起きています。そのある種の熱狂を感じ歓迎しつつも、やはりいつもの引っかかりが心に残ります。
「教育すること、育てることに一生懸命になりすぎではないだろうか?」
そもそも、だれかを教育したり育てたりは、本質的にできることなのでしょうか?そう思うのは教育する側・育てる側のちょっとした勘違いなのではないか、そのような枠組みはそもそもいらないのではないかと、三人いるわたしの子どもたちを毎日見ていて思います。
わたしは「ひとは育つ」と思います。ひとりひとりのタイミングで,ひとりひとりの育ちをするのだと思います。その育ちを促すのはわたしたちが干渉することではなく、環境をととのえることだと思います。生きる、あそぶ、まなぶが一続きの「ひとが育つ環境をととのえる」とはどういうことか。わたしの日々の試行錯誤を皆様にお伝えし、皆様の心に今はない気付きが生まれることを願っております。
この第1弾となる「学びの未来 座談会」にご参加くださった方からは、「一分一秒を無駄にしたくない、一言一句がどこを取っても聞き逃せない、どこを切り取っても未来しかないような座談会は初めてでした。」、「あっという間で、人生のブレークスルーを起こすには充分と思えるくらい、素晴らしく魂が震える5時間でした。」
と熱のこもったメッセージが続々が届きました。そして、まかれた種を継続的な学びの場に育てるために、毎月開催することになりました。
第1弾 この休校中、何をどうするか? (5月19日開催)
第2弾 休校中、僕たちは何を学んだのか? (6月26日開催)
第3弾 オンライン化する学びと身体性 (7月31日開催)
第4弾 人間主導から環境主導の学びへ (8月28日開催)
第5弾 「学びの未来ジャングル」をつくる (9月25日開催)
第6弾 学びの未来の授業を構想する (10月30日開催)
第7弾 学びもっと「雑」にする (11月27日開催)
第8弾 過去に未来を食わせない (12月27日開催)
12月27日開催の「学びの未来座談会」の様子
と、毎回テーマを決めながら、思考を積み重ねてきました。また、10月からは、週刊「学びの未来」として、週に1度の音声配信によるお二人の対話もスタート。「note」のサークル機能を利用しての運用も始まり、よりコミュニティらしく、双方向のやりとりが生まれています。なかには「実際にジャングルを作りました!」と報告してくださるメンバーの方も! また、こちらの週刊「学びの未来」では、毎回テキスト形式でのダイジェストのまとめをお送りしています。参考に2020年12月15日にライブ配信した週刊「学びの未来」の様子を一部抜粋すると・・・
森田:最近ミシマ社から続々と面白い本が出ていますよね。藤原辰史さんの『縁食論』は、お金の「円」ではなく人と人との「縁」をベースに、もう一度食を考え直していこうという主題の本。そのなかで、一緒に食事をするというつながりは、「宗教や思想とは異なる率直さを持つ」と書いているのを、i.Dareの活動を聞いていて思い出しました。
いま、食が「食べる」という行為だけに切り詰められてしまっていることが問題で、本来はつくる料理を構想したり、食材を調達したり、調理をしたり、という行為の連鎖がある。そのなかで人と人、あるいは人間じゃない生き物との縁が生まれるんですね。また、食べるという行為は、土のタイムスケールや野菜のタイムスケールなどいろんなスケールを孕んだすごくエコロジカルな営みなのに、全然違うタイムスケールの物を同じ尺度で交換するということ自体が果たして本当に妥当なのかと。日本円で交換してしまうことで、こぼれ落ちてしまうものがたくさんあると思うんです。
土自体も積み上がっていく時間が日本だと100年で1センチ。アフリカだと、1000年で1センチと言われ、ものすごい膨大なタイムスケールをもちます。そういうものと工場の生産ラインで作られているものが同じ尺度で交換される状況は、よく考えるとおかしな状況です。
また、食は今日食べるものがない人にとっては絶対的な価値をもっていて、その日に食べるものがない人にとってのパン1枚は、たとえば「2万円払ってもいい」という話ではなく絶対的に必要ですよね。実際に日本の7人に1人の子どもが貧困と言われていて、近くのスーパーにパンを売っていても、150円という市場価格がつけられているため絶対的に必要なそのパンにありつけないという状況がある、と藤原さんは指摘しています。
そして、食べ物が無料である社会は非現実的だとされつつも、日本だと生産したそばから1/3ぐらいを廃棄している。こんな恐ろしいことを平気でやれてしまっているのだから、食べ物が無料になる社会を実現するくらいの大胆さを恐れる理由はないはずですよね。
どういうところからこの状況を変えていくかといったときに、藤原さんは「給食」からアプローチしようと提案しています。第一に時間割を変更して家庭科の調理の時間を増やし、毎日一品でもいいのでこどもたちが料理を作る。第二に食材を購入するのを自分たちでやり、その食材がどういう経緯でここまできたのかを知る。農家さんと話したり、そこから手に入れた人参をお友達が美味しそうに食べているということを見るだけでも、広い意味での「食べること」になります。そして第三に食材を自分で育てる。できれば地域の人々にその作ったものを解放する。これはまさにi.Dareがやっていることだなあ、と読んでいて思いました。
瀬戸:まさにそうだね。でも自分で発想してというよりは、目の前で「これが必要だな」と思うものをやってきただけなんだよなあ。こういう素晴らしいアイデアはほかにもたくさんあるけど、実践されないで埋もれてしまうともったいないよね。気をつけないといけないのは、こういうアイデアもその通りにやろうとすると、それ以下のものしかできなかったりすることがある。i.Dareでも「全部自分たちでフリータイムの扱い方を決めます」というと、「イエナプランですね」と言われることが多いんですけど、イエナプランを標榜しているわけではない。結果的にイエナであったり、シュタイナーっぽくなるだけなんですよね。お手本を忠実に再現しようとすると、がんじがらめになってしまうこともあるので、そこは気をつけてますね。
このようなかたちで、魂を揺さぶられる言葉が紡がれていきます。これまで累計50時間以上の対話のなかでも、こどもたちを「教室」から解放する/教室で人間の話を聞く時間は週3日に/校庭をジャングルにする/人間主導から環境主導へ/評定ではなく「フィードバック」を/「dependency map」や「オブジェクト日記」を利用した「依存の自覚」を中軸に/学びと教育と研究を混ぜる/「選択」からの自由/暦が感性をガイドする/愛のある休符を/「最良のモデル」よりも「複数のモデル」
などなど、新しい学びの風景を切り拓く、さまざまなキーワードが出てきました。そして、これからの対話のなかで、どんな学びの風景が立ち上がってくるのかが本当に楽しみです。
「今日もいい日だった」という感触をもって、1日を終える。自然とそう感じられる人が増えていく「素敵な場所」が全国各地にできることを願って。ビジョンと実践がまじりあうこの「学びの未来」の場にひとりでも多くの方にご参加いただけたら嬉しいです。
次回の「学びの未来座談会」の開催は1月31日(日)。テーマは、「学びの『自由』を考える」です。ご参加お待ちしております!
編集部からのお知らせ
森田真生さんと瀬戸昌宣さんとともに思考し、実践する、週刊「学びの未来」(週1回)と「学びの未来 座談会」(月1回)。2021年1月の開催日程が決まりました! 今月のテーマは学びの「自由」を考えるです。第9弾ではありつつも、今回からのご参加も大歓迎です。お待ちしております。