「ない」ようで「ある」

第1回

日常も発酵も深海も、

2018.12.22更新

 僕は酒が好きです。でもなんで酒が好きなんだろう。よく考えます。これが分かっていないと、わけがわからぬまま酒に飲まれたり、酒量が増えていくのを止められなくなる気がするので知りたいのかもしれません。いや、まぁ分かっていても飲まれはしますが、それでも、自分がなぜ酒を好むかということを分かっておくことは、「なんとなく暇だから酒を飲む」といった惰性で飲み過ぎる危険現象への抑止力になるような気もします。

 酒の話ばかりしたいわけではないのになぜこういう書き出しになっているのか。もしかしたらそこには自分でもまだ分かっていない、自分の中にある何かがあるのかもしれません。今回まずはそれに抗わず、自分が酒をどう好きなのか、改めて考えてみながら、その後の連想に身を任せてみたいと思います。

 僕の飲酒歴はごく人並みです。皆が飲み始める年齢くらいから飲み始め、飲み会のたびに酔いつぶれたりしながら、毎日のように飲むわけでは全然ないという時期が何年も続きました。この時期は恐らく、酒自体よりも皆で飲む場が好きだったのだと思います。特に強いわけでもなかったので、大体飲むのはサワーなど。酒を飲んで心から「旨い!」と発することも、もしかしたら一度もなかったかもしれません。それでも時間と量を重ねれば酔っ払い、その場を仲間と共有することが楽しかったのです。

 そんなある時、日本酒の燗酒に出会いました。それは僕にとってなかなか衝撃的な出会いで、それまで飲んでいた酒と味わいが決定的に違ったのです。何がどう違うのか、言語化できる引き出しはありませんでしたが、同じ酒というカテゴリーに入りながらもそれまで飲んでいた酒とは飲み物として全く別ものであるということは明確に感じられました。そして、こっちの方が好き! ということも。なんだか、昆布だしみたいなもの、やたら酸っぱいもの、おにぎりみたいな味がするものなど色々な個性の酒を燗する、つまり温めると、その個性がさらに強調されながらも味のバランス自体は良くなって、ものすごく旨い。不思議。面白い。面白くて、しかも旨くなる変化なんて最高じゃないですか。こうして、燗酒をきっかけに僕は酒の魅力に取り憑かれていきました。

 人でも物でも好きになればどんどん知りたくなります。燗酒に出会ってからというもの、それまで大して興味を抱いていなかった日本酒のことをやみくもに掘るようになりました。「日本酒特集」と銘打たれた雑誌や、それっぽい書籍があればとりあえず買い、読み、はじめのうちはあまり頭に入らないけど、脳が日本酒のことを受け入れられるように慣らすくらいのつもりでとりあえずページを捲っていく。座学だけではもちろん足りません。実学として、好みの酒を飲ませてくれるお店に通い、気になったものを頼んでその酒にまつわる色々な話を聞くというフィールドワークも欠かしませんでした。そうしているうちに徐々に興味は次のステージに向かいます。

 まだまだ知らない酒が無数にあるとはいえ、まぁまぁ色々な酒を飲んだ。これからも好みの酒を探しては飲むだろう。でもじゃぁ、僕が好きな酒とそうでもない酒って何が違うの? というのが次に湧いてきた興味でした。

 色々飲んだり話を聞いたりして見えてきたのは、どうやら酒には発酵が関係しているらしいということでした。今となっては当たり前すぎることなのですが、発酵という高校の化学の授業でやみくもに覚えた嫌気的なエネルギー産生の化学反応式と酒の関係性なんて意識したことがなかったので驚きました。でも、元々化学は好きな科目だったし、酒同士の違いには発酵のメカニズムが関係しているようだということも分かると俄然興味が湧いて、今度は発酵のことを掘り始めます。好きだったといっても昔勉強したことなんて全く覚えていないのでほぼゼロからスタート。調べるうちに、酒ができる過程には数種類の真菌類の働きが必須であり、その菌たちが発酵の主役であることを知りました。さらに掘っていくと、日本酒をつくる菌たちの働きは「並行複発酵」という、他にはない複雑なしくみであることと、その過程では人間が適宜手を加えて整えながら、奇跡的な菌たちの営みを維持していることが分かりました。

 たったいま文章にも表れたように、この頃から僕は、酒を「菌たちの営み」と捉えるようになりました。そのように努めたのではなく、その方が自分にとって自然に思えるようになったのです。

 これはもしかしたら、この時期に漫画『もやしもん』を再読したことが影響しているかもしれません。全ての事象を擬人化するのは、とても人間ファーストな捉え方のようにも思えるのですが、『もやしもん』でそれぞれの菌たちに人格のようなものが与えられ、顕微鏡で見るよりも身近に感じられる描写でそれまで本で読んでいた菌たちの動きを解説されたことによって、発酵という言葉でイメージされるものが化学反応式ではなく菌たちが勝手に繰り広げている物語、というものになりました。つまり、発酵という現象が、とてもナラティブなものに感じられるようになったのです。

 この感覚は何かに似ていると感じていたのですが、考えた結果、それは随分昔に『DEEP BLUE』という海洋ドキュメンタリーを観た時の体験であることが分かりました。初めて深海の生物たちの営みを映像で観た時の感覚。こんな、自分が全く目を向けていなかった場所に物語みたいな形が存在していたのか、という当たり前と言えば当たり前だけどなんだか胸打たれた感覚と似ていました。

 自分の知らないところで、とか、自分が知らなかった、とか、つまり自分の中で「ない」はずだったモノやコトが、実は「ある」のだ、という実感。考えてみれば、他人からすれば「ない」のに自分にとっては「ある」小さな営みの連続で我々の日常は成り立っているので、日常も発酵も深海も、当事者からすると「ある」のが当然なのですが、そういう当然なものが「ある」と改めて認識する実感。

 この実感を僕は大切にしたいと思っています。

 「ない」ようだけど「ある」という営み。それは個人の日常生活の中に無数にあり、菌とか深海の生物など人間界の外にまで思いを巡らせるならば、空気中や海の中までその範囲は途切れません。人の思考の中にもありますね、そういえば。

 こう考えると、人のこともモノやコトのことも、分かろうとすればキリがありません。「ない」ようだけど「ある」ことがいくらでも見つかって、分かりきるということは無理なことのように感じます。でもこれは見方を変えると、分かろうとし続けられるということでもあり、ある人や、モノや、コトに対する解像度を果てしなく上げていくことができるとも言えます。

 現状自分の中で、人やモノやコトに対する解像度を上げることの立派なメリットや目的を見出しているわけではないのですが、「分かっていく」ということは同じ人・モノ・コトに向き合っていても見え方が細かくなっていくということなので、「分かりきった気になる」ことよりも変化や発見が続いて面白いとは思います。

 そしてきっと、分かっていけばいくほど、人やモノやコトって思っていたよりも複雑で繊細で、大胆な介入などなかなかできない、基本的にはただ眺めることしかできないと感じることも多くなると思います。

 僕が日々行う診療でも、相対する人を変えることなんてほとんどできません。治すことなんて到底できないなとよく感じます。でも、そんな中でも、相手の「ない」ようだけど「ある」営みを分かっていくうちに、その人が少しでも楽になるように支えるとか整えるようなことくらいはできるのかもしれない、と思うことはあります。

 これは前述した、酒づくりにおいて、菌たちの営みを杜氏や蔵人たちが支えて、整えた結果、良い営み、つまり良い酒になるということにも重なってくることのような気がしてきました。

 さて、ついに酒の話と繋がりました。良くいえば円環的、普通にいえばまとまりのない着地でしたね。

 でも、書いてみたことで、自分はこれだけごちゃごちゃ考えながら何かに着地する傾向にあるのかもしれないな、と少し見えたような気もします。自分の中に「ある」小さなことが新たに見えたのです。

 「ない」ようで「ある」ことを認識する実感、とか、分かりきれないことを前提に少しずつでも分かろうとすることを続ける、というのは現在僕が大切だと感じていることです。

 そういうことを軸に何度か書いていきたいと思います。


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星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

1978年生まれ。精神科医 など。病院に勤務する傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。主著に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』『自由というサプリ』(リトルモア)。また、本連載をまとめた『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』が2021年2月にミシマ社より刊行。

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