第5回
なんだか、突然日記みたいなスタイル
2019.04.19更新
新年度です。4月に入り、数年ぶりに勤務先の異動がありました。僕は大学病院の精神科の医局に所属しているのですが、そういう立場の医師(大学病院の医局に所属していない医師もたくさんいる)は数年ごとに勤務先を転々とする宿命にあります。大学病院から地域の他の病院に派遣され、その派遣先を転々とし、時々大学病院にも戻るというのが基本的な動きです。病院ごとで根本的な医療の質に違いはなく、単純にそういうシステムになっています。
これまで何度か異動は経験していますが、異動というのは世知辛いものです。今回もそうでした。でもそれに気づいたのは異動数日後。それまでは、自作自演的な多忙のため、異動にまつわる世知辛さを実感する余裕さえありませんでした。自作自演的、というのは、異動する4日前、つまり3月28日まで何の準備もしていなかったからです。しかも、3月30日の午後には書店でのイベント、31日の日曜日には別のイベントの予定があったので、異動のための作業ができるのは28日と29日のみ。計画性のなさに、我ながら落ち込みます。
3月28日、まずは机の整理に取りかかりました。改めて、遅すぎるぞ。そして、本が多すぎる。医療に関する本や論文のほか、小説や、漫画も少し。他には、当直の時に必要なものなどもダンボールに詰めていきます。漫画も少し、と書きましたが、それはタイトル数が少しという意味で、冊数は膨大でした。なぜなら、保管していた漫画は、まず「気まぐれコンセプト クロニクル」、これは1冊。「天才バカボン」、7冊のBOX。ここまで計8冊。そして、「ワンピース」、88冊・・・。なんだこの景気が良さそうな数字たちは。「ワンピース」に関することを書く短期連載があったこともあり、88巻まではコンプリートしていたのですが、異動先の大学病院に漫画を96冊も持っていくのはいかがなものか。でも捨てるなんて考えられない。最後まで葛藤しながら、それ以外を梱包したところでダンボール10箱。すでにちょっとした引っ越しの規模です。結局88冊の「ワンピース」は、病院のスタッフと相談の上、入院病棟や作業療法室で誰でも読めるように寄付することにしました。なんとなくこの上ない落としどころに着地したような気がして安心しましたが、気づいたら時間は0時過ぎ。もう電車はありません。この日は当直室に空きがあったので、そこで眠りました。
3月29日、金曜日。最終勤務日です。まずは担当していた入院患者さんの最後の診療をしに行きます。僕は入院患者さんの場合、その人に合わせた診療の形態をとるようにしていて、一番多いのはオーソドックスに面接室でお話をするスタイル。でも同じ面接室で話すにしても、やり方は少しずつ違います。日記を書いている人で、それを見せてくれる人とはその日記を一緒に読みながら。何かを作っている人には作った過程を教えてもらったり。小遣い帳をつけるのに一生懸命な人とは主に小遣いの話をする。などなど様々でした。さらに面接室から出る人もいます。歩きたい人とは病院の敷地内を散歩しながら雑談したり、病棟の廊下をぐるぐる往復したり、運動したい人とは、その人の希望で病院の1階から5階までの階段を5往復しながら話をしていました。この階段は、毎回息が切れます。特にこの日は最終日で、他の業務もこなさないといけなかったので、全員と連続でお会いして、全部のスタイルで話をしました。深夜まで梱包した翌日の午前に階段を上り下り。ひ、疲労が・・・。でも、自分の異動の準備と診療は別です。面接に手抜きはありません。こうしていつも通りの診療をしながら、いつもと違ったのは、最後にお別れの挨拶をすることでした。もちろん異動することは事前にお伝えしていましたが、その日が本当に最後だったので挨拶をするわけです。それに対するお返事がまた、色とりどり。「お世話になりました」「寂しくなります」と言ってくれる人もいれば、「あ、はい、」と言うだけの超ドライな人もいる。他にも「なんで、なんで、どこいくの、どこいくのーー!」と叫んでくれまでする人、終始無言な人、「いちご食べたい!」というセンセーショナルな締めの一言を放つ人。今こう書いていると、懐古的でセンチメンタルな気分になりますが、その時は他の業務も残っているし、異動の準備も全然終わっていなかったので、自分がいなくなるという実感がほぼありませんでした。だから、みなさんの個性を存分に感じつつ、「またね!」くらいの気持ちでみなさんとお別れしたのでした。
さて、3月29日後半戦。まだまだやることはたくさんあります。まずは書き残した書類たち。診断書など重要な書類を書き残していると患者さんや引き継ぐ先生に迷惑がかかってしまうので入念にチェックをして、全て書き終えました。そして残るメインは、4月1日から患者さんの担当を引き継ぐ先生に引き継ぎの文言を書くことです。これがまた大変。4月以降も自分がこの病院にいて、口頭で情報を補足できるような状況だったらまだ気が楽ですが、4月1日から僕は大学病院に異動するので、そんなことはできません。つまり、この引き継ぎの文言で、患者さんのことをどれだけ的確に、分かりやすく伝えられるかが勝負どころなのです。患者さんのヒストリーは、一人一人当然違い、なかなか短時間ではまとめられません。でも、担当していた人の昔のカルテを遡って、こんなこともあったなぁと回想し、把握し直しながらまとめていくのは充実感のある作業でした。書き切らないといけない分はたくさん残っているのに、思わず一人一人のカルテをじっくり振り返ってしまう。部屋の片付けをしていて、ふと昔のアルバムが出てきた時に思わず手を止めて眺め直してしまう、みたいな感じでしょうか。なんて言っているうちにこの日もたちまち0時過ぎ。しかも引き継ぎの文言書きはまだ全然終わっていませんでした。これはもう仕方がない。またもや帰るのを諦めて黙々と取り組みました。ある程度終わったのは朝4時前。さすがにヘトヘトになったのでまた当直室で寝て、残りは朝に片づけようと思ったところ、その日は当直室に空きがありませんでした。最後にこの仕打ち!? と一瞬思いましたが、当直室の空きを確かめておかなかったのも、帰れなくなるまでの仕事を残していたのも自分。運命や病院のせいにしても必ず最後は自分に返ってきます。そんな自虐的な思考ゲームをするよりもどこかでサッサと寝るべし、と思い直して色々と探した結果、入院病棟の空きベッドで寝させてもらうことにしました。医者になって10年以上経ちますが、自分の勤務先の入院用のベッドで仮眠したのは初めてでした。空いているベッドを教えてくれた夜勤の看護師さんに感謝です。
3月30日朝、病棟の朝は早く、7時頃には朝食の時間でガヤガヤします。そんな中寝ているわけにもいかないので起き、シャワーを浴び、文言書きの残りを午前中に終えて青山ブックセンター本店へ。トークイベントは醗酵に関するもので、とても楽しく、睡眠不足でも眠くはならず、たくさん酒を飲みました。3月31日には、友人とよく集まっていた湯島のミュージックバーが閉店するというのでさよならイベントに参加して、たちまち4月1日。
なんだか、突然日記みたいなスタイルになったのを感じながら書き続けていますが、こんな時もある。このまま行きましょう。さて、いよいよ異動です。
4月1日、大学病院へ異動初日。朝が早く、仕事量が多く、収入は減る、というのが事前に分かっていた、異動に際しての辛い変化でした。仕事量が多いのはどうにか頑張るし、収入が減るのは仕方ない。収入があるだけで嬉しいことくらいに考えよう、とやり過ごしていくための思考の調整をしながら、どうしても辛いのは朝です。早起きが苦手な人にとって、早起きしなければならないことは拷問のようなもので、解決策が思い当たりません。結局この日は起きなければならない時間の1時間も前に起きて、余裕で間に合ったのですが、そんなこと毎日続けられるはずがない、という不安は拭えませんでした。
4月2日以降も早起きを続けています。過緊張の状態がきっと続いているので、そのうちどこかでツケが回ってくるような気もしますが、背に腹は代えられません。しかも、仕事の環境にもなかなかすぐには慣れず、3月までのように散歩をしたり、階段を上り下りしたりしながら、雑談のような話をするなんて余裕は全くありません。まぁ、患者さんたちとも会ったばかりなので当然といえば当然ですが、なんだか徐々に前の病院が恋しいという雰囲気が自分の中に生まれ、その輪郭がはっきりしてくるような感覚があります。なにこれ? ホームシックみたいなもの? 異動の準備に追われていた最終日近辺にはこんな感覚はありませんでした。異動後数日経って、異動の世知辛さが「ある」ものになったのでした。もしかしたら、異動の準備をギリギリアウトなくらいの日程までせず、最後バタバタを極めたまま病院を去ったのは、この世知辛さを感じないようにするための自分の無意識的な防衛だったのかもしれません。いや、違うか。怠惰なだけか。
朝の過緊張は続いていて、駅にかなり早く着くので余裕ができたのか、駅の構内にジューサーが並んだジューススタンドがあることを認識するようになりました。今までは駅を走り、電車に飛び乗っていたので気づかなかったのです。数日前、早起きのご褒美にジュースでも飲んでみよう、とそのジューススタンドに立ち寄りました。色々なメニュー。眺めながら注文を迷っていると、ふと頭の中で聞こえたのは3月29日の患者さんの声。「いちご食べたい!」。この最後の言葉が時々気になっていたのですが、そういうことだったのか。まさかここで利いてくると思わなかった。直前までの注文の迷いは消え、僕は「いちごソイミルク」を注文しました。あんなに優雅に朝の電車を待ったのははじめてだったなぁ。