第17回
簡単に泣かせず、むしろ笑わせるMさん
2020.04.24更新
今年4月以降の業務
僕が勤務する病院は、今年の4月、少しの距離を移転しました。その距離、およそ1km。去年の4月に大学病院に異動したのですが、大学病院の中でも精神科は約1km離れた支店のような場所にありました。その支店が、今年の4月で閉院し、支店に入っていた精神科やリハビリ病棟は、ほぼそのまま1km離れた本店、つまり他の色々な科が入っている病院に移転したのです。
移転後、僕の持ち場はガラッと変わりました。昨年度の1年間は、精神科の外来診療と、精神科病棟の入院患者さんを担当するというシンプルな形でした。それが今年はまず、院内の業務と院外の業務の2つを担当することになりました。院内の業務の中で、精神科の外来診療は昨年度から変わらず続けています。入院患者さんについては、精神科病棟の人ではなく、精神科ではない科に入院している人が精神的に辛くなった時に診察しにいく役目になりました。この役目を精神科の「コンサルテーション・リエゾン」と言います。さらに、「コンサルテーション・リエゾン」の特化型として、「緩和ケア」チームにも入ることになりました。緩和ケアとは、主にがんの人の体と心の苦痛を和らげるためのチームで、痛みのコントロールをする麻酔科の先生や、精神科医、看護師、心理士、栄養士、薬剤師など様々な職種の人たちがチームになっています。この緩和ケアは、まだ1カ月程度しかしっかりとは携わっていませんが、命というものを深く考えさせられます。ある程度先が見えてしまうような命になった時、人や家族の思いはさまざまです。とても強い気持ちで帰宅を望み、一時的に驚くような回復をみせて帰宅を果たす人と話したりすると、命の底力にひれ伏したくなります。ちょうど4月に入った頃に、書評を書くご縁もあり読んだ『エンド・オブ・ライフ』という本が、まさに緩和ケアの話で、「ない」ようで「ある」導きのようなものを感じました。緩和ケアにまつわる話は、この連載でもまた書くことになりそうです。
次に院外の業務。これは訪問診療です。精神疾患を抱えていて、受診に来ることが困難な人の自宅に訪問して、診療させてもらうのです。これは、慣れるために3月から始めたのですが、自宅で話をするのと診察室で話をするのでは、あまりに得られるものが異なることに驚き続けています。診察室は、良くも悪くも、ある程度の心の距離があります。かしこまっている感じがなくなり切らないというのでしょうか。長く関わっている人でも、その人が家でいる時と比べれば、恐らく当然「ない」ようで「ある」、そと用の緊張感を帯びます。これはこれで良いのです。会うほどに少しずつ距離が縮まっていく感じは、関係性として自然な感じがするし、わずかでも緊張感がある方が診療としての話はうまく流れたりすることも少なくありません。一方、訪問診療では距離感が極端に縮まります。十分注意して、失礼のないように気遣いをしながらお話しに行ったとしても、何しろ場所がその人の自宅です。極度の緊張感から会ってくれない場合も少なくありません。逆にお話してくれたとしたら雑談が弾みはじめるのが異様に早く、その分時間もたっぷりかかります。また、自宅を訪問するということは、その人の生活の雰囲気に包まれることにもなるので、言葉以外のノンバーバルなその人の感じをダイレクトに感じることができます。これもとても有意義なことで、その人のことを感じ、少しでも多く分かる為の示唆を与えてくれます。
先ほどの『エンド・オブ・ライフ』は、在宅医療専門の診療所における緩和ケアの話です。僕は訪問診療で在宅医療を始めましたが、それは精神科の患者さんに特化したもの。在宅の緩和ケアには携わっていません。また、緩和ケアには関わり始めましたが、その業務は今のところ病院内のみです。この本は、読み始めた時期や話題に、今の自分との関連を見出せますが、在宅で関わる分野は違い、緩和ケアを行う場所も違います。こんがらがりそうですが、突き詰めると接点が「ある」ようで「ない」ものでした。ねじれたニアミス感。でも、この触れるか触れないかという関係性は、むしろ好奇心を刺激します。自分の中で、在宅医療での緩和ケアにも関わってみたいという考えが日に日に強くなっています。
去年4月以降のできごと
さて、ここまで、今年の4月以降の自分の話をしました。業務の内容はガラッと変わりましたが、去年の4月に全然違う病院から大学病院に異動した時と比べると、属している組織や同僚の顔ぶれなどがほとんど変わらないからか、今のところ気持ち的にはそこまできつくありません。この連載の2019年4月前後の記事にも書いてあると思いますが、去年の異動の時はなかなか新しい環境に馴染めなくて眠りにくくなったり、悪夢を見たりもしていました。やはり、気さくに話ができる人が誰もいないということに大きなストレスを感じていた気がします。
そんな去年のちょうど今頃。異動して1カ月くらいの頃です。外来診療を終えた後に看護師のMさんに声をかけられました。Mさんは僕より少し年下ですが同年代で、その病院に15年間勤めていた人でした。まだ一言も話したことなかったその人が急に「明日から私のことをクソ野郎って呼んでもらえませんか」と言ってきたのです。は? 驚いて理由を聞くと、その日の業務中、自分の上司が患者さんの相談を親身になって聞いていないように感じて、その上司に敵意を抱いてしまった。そんな愛院精神のかけらもない自分を戒めるためにそう呼んでほしい、ということでした。な、謎だ・・・。謎だし、とても偏っている。
あまりに意味不明なリクエストに面食らいすぎてどう答えたら良いか分からず、その場は「はい分かりました」と答えましたが、ろくに話したこともない女性をそんな風に呼ぶのは、なかなか勇気がいります。それに、僕はずっと外来にいるわけではなかったので、翌日以降数日はMさんに会わず、そのうちに言われたことも忘れてしまいました。
しばらく後の外来診療後、Mさんがまた残業していて、その日に受けた電話相談の内容をカルテに記載していました。何かをつぶやいているように見えましたが聞こえないので、近くに行ってみると「クソ、クソ」と言っています。何があったのか聞いてみると、やはり上司や同僚が患者さんの訴えをないがしろにしている気がして腹がたつということでした。「患者さんは辛いから何度も訴えにきているのに、何度もこられても困るのよ、なんて対応のしかた、ありえないっすよ」と憤っています。それは確かに仰る通り。でも、まさかそんな文句をカルテに書いているのではあるまいな、と思ってカルテを見せてもらうと、記載している内容は非常にこまやかな電話相談のやりとりに関することで分かりやすい。これだけ細かくしっかりやりとりしていたら、確かに深めない対応をする人に腹も立つだろうと納得できる内容でした。
それ以降もなんどもこういうことがありました。その度に、Mさんの怒る理由はもっともなことだと僕は思ったし、話せば話すほど、全く手を抜かず仕事に向き合っているのが分かるので好感を持ちました。常に何かに怒り続ける反面、仕事はとても丁寧。まるで、エレファントカシマシのフロントマン宮本浩次さんのようではないですか。こういう人は信頼できるような気がします。院内でもあまり喋る人がいなかった僕は、仕事が終わった後にMさんに話をしたり、Mさんの話を聞いたりすることが多くなりました。また、その頃僕が休日のパートで当直に行っていた病院は、たまたまMさんの家の近くで、僕が当直をしているとその病院の売店まで家族と一緒に来てくれたり、「子供なんて大してかわいくないっすよ」と言いながら、しっかりと子育てしていたりと、仲良くなるほどに面白く、同僚の中でやっと1人友達ができた気分でした。
ある時、Mさんが「日頃からこのクソ野郎の愚痴を聞いてくれるお礼です」と言って、えんじ色のスクラブをくれました。スクラブというのは、医療者がよく着ているVネックで半袖の仕事着です。病院の中で帽子をかぶっている医療者はあまり見かけませんが、なぜか同じえんじ色の帽子がついていて、それが気に入ったとのことでした。でも、衣服ですから数千円は少なくともするはず。しかも僕は、別に親切心からではなく、自分も楽になるからMさんと話していただけなのです。だから、ちゃんとお礼をします、と言うと「なぜか700円だったのでお礼はいりません」と言って領収書を見せてくれました。なぜスクラブがアマゾンで700円で売っていたのか不思議ですが、事実のようだったので、Mさんが好きな炭酸水を7本買って渡しました。そしたら1本くれました。
その頃、僕は診療がどうしてもうまくいかない患者さんが数人いました。これは当然患者さんのせいではなくて、完全に僕の無力さが原因なのですが、とにかく寝ても覚めてもその人たちのことが頭から離れませんでした。その上、環境にもなかなか馴染めない。人知れず日々途方に暮れていた時にそのスクラブを頂いたのでした。頂けば、もちろん着用します。着心地は良好。700円なんて信じられません。だって帽子もついているんですよ。かぶらなかったけど。
しばらくして不思議なことが起こりました。なかなか診療がうまくいかなかった人たちが、徐々にですが確実に、1人残らずうまくいき始めたのです。なぜだか分かりません。もちろん、日々どうしたら良いか頭をひねっていたし、調べ物もたくさんして試行錯誤は続けていました。でも、それにしても、1人残らずなんてとても不思議です。「ない」ようで「ある」、非科学的な何かの関わりがあるのではないか・・・。それをMさんと雑談している時にふと言うと、Mさんが「それはヘビっすよ」と言いました。は? 「先生の右肩のヘビっすよ」と言うので見てみると、そのスクラブの右肩に杖に絡まったヘビの絵が描いてありました。Mさんはそのスクラブを700円で見つけた時、肩にヘビが描かれているのが分かったそうです。「これは何かある、と思ったけど馬鹿馬鹿しいから言わなかったら、やっぱり何かあったんすねぇ」とお茶をすすっています。
調べてみるとそのヘビは「アスクレピオスの杖」といって、ギリシア神話に登場する名医アスクレピオスの持っていたクスシヘビが巻きついた杖で、医療・医術の象徴として用いられるシンボルマークなのだそうです(wikipediaより)。そういえば、海外の救急車の側面に大きく描かれている写真を見たことあります。
Mさんは、外来で僕が診療に難渋しているのをみて、気分でも変えたら良いと思ってスクラブをくれたそうです。その気遣い、泣けそうになるけど、そこで700円のブツをたまたま見つけて選ぶあたりが、簡単に泣かせず、むしろ笑わせるMさんのすごいところです。
それ以来、少し緊迫せざるをえない診療の時などは、必ずそのヘビを着ています。効果はやはりあるようです。その後もMさんとは仲良くさせてもらって、院内で施設のバンジョークラブを呼んでコンサートを開催したのも良い思い出と実績です。そんなMさんは15年勤めた病院を、今年の4月の移転とともに退職し、地域の社会福祉協議会に転職しました。先日久々にメールが来て、メールには「今の仕事は、せっせと政府からのマスクを封筒に入れることです。3秒で綺麗にできる仕事人になりました」と書いてありました。転職を機に新たな環境になかなか慣れないので、Mさんも緑色のヘビスクラブを買ったそうです。これこそ、僕がプレゼントしたかった・・・。
Mさんとの出会いや、頂いたヘビスクラブといい、前半に書いた『エンド・オブ・ライフ』との絶妙な重なりといい、「ない」ようで「ある」必然性を帯びた偶然というのは確かにありそうです。そして大抵、僕はそういうものに救われているような気がします。
新型コロナウイルスの活動によって、様々な側面で先月から引き続いて非日常的ですが、きっと救いは今でも、すごく小さくても「ない」ようで「ある」はずです。それを見逃さないようにしたいと思って、4月以降新しい環境では、毎日えんじ色のヘビスクラブを着ています。そろそろ洗濯しないと、ヘビにもMさんにも怒られそう。
編集部からのお知らせ
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(リトルモアホームページより)