「ない」ようで「ある」

第23回

遅めのスピード感を意識するということが

2020.11.04更新

 最近、引越しをしました。理由は、持ち物が増えてきて手狭になったということです。その住まいには7年8カ月も住んでいて、もともと広いわけではなかった上に、本、服、楽器などが徐々に多くなっていき、窮屈な感じになっていました。それを自覚したら急に、引越しをしたくてたまらなくなったのです。7年8カ月の中で徐々に、そして確実に、手狭になっていったのですが、あまりにもじわじわとした変化だったのでなかなかそれに気づくことができませんでした。僕を含めた多くの人には、物事がじわじわとしか変化しないと、その変化に適応するように自分で自分をチューニングしていってしまう傾向があると思うので、年月を経て俯瞰するとかなり偏りのある状態に陥っていても、それを自覚するのが難しくなります。これって実は、身の回りの様々なことで生じていることで、政治や環境問題などに目を向けてみると恐ろしい気持ちになることも多くあります。だから、身の回りの問題について話し合ったり、知識をつけようとするなど、自分の価値観に他者の目を入れて、偏りすぎないようにしていくことは大切なことだと思います。ただ、自宅となると、他者の目は入りにくい。7年8カ月前、引越ししたての頃は近所に友人が何人かいたし、物も少なくスペースがまだあったので、遊びにきてくれることも多くありました。でも、友人たちが引越していなくなり、並行して手狭への変化をしていった僕の自宅には、他者の目が入る頻度がどんどん減っていきました。だから、本当に生活上の困難さを感じるまで気づけなかったのです。

引越しは火事場

 引越すと決めたら、散らかりきった部屋をまずは整理しないといけません。主に本と服。売りに出しても良さそうなものと、引越し先に持っていくものを分けます。改めて眺めてみると、本棚やクローゼットには売りに出せそうなものがたくさんあって、まずは本とDVDをまとめて売りに行ったところ、2万円くらいになりました。予想以上の金額に驚きつつ、本やDVDよりも品数が多い服には否が応でも期待がかかります。大量な上に、普段の15%増しの値段で買取る期間という店に売りに行ったので、査定を楽しみに聞きにいくと、なんと315円でした。15%増しでなかったら273円・・・。自分の服の価値のなさに落ち込みましたが、ずっと落ち込んでなんかいたら引越し日までに物の整理が間に合いません。引越し準備は数週間、常に危機感を感じながら取り組んだはずでしたが、結局引越し当日の朝4時くらいの時点で、まだ段ボールに入れきれていないものが散見される状態でした。引越し屋さんが来るのは朝8時〜9時の間の約束。間に合うのだろうか、間に合わなかったらどうなっちゃうんだろう、などと少しボーッともの思いにふけってしまったのがよくありませんでした。緊張感が数分途切れたようでそのまま寝てしまい、ピンポーンというチャイムで目が覚めたのです。インターホンのモニターには、いかつい引越し屋さん。まだ散らかっている部屋。仕方なく引越し屋さんを部屋に迎え入れましたが、明らかに怒っています。すいません、と繰り返しながら、とんでもない早さで残りの荷物を段ボールにしまっていきました。多分、火事場のクソ力というのはああいう雰囲気なのだと思います。とはいえ当然、「僕らじゃなかったら契約不履行で帰っていたかもしれませんよ」と怒られて、段ボールに入れきれなかった少しの荷物はタクシーで運ぶことになりました。でも、「本当はこれ以上積めないけど、物干し竿は積みますよ、長いから」とか、多分その引越し屋さんも音楽作業をする人のようで、「モニタースピーカーの下に置いてたブロックは持っていきますよ、重いし。これで最後ですよ」とか、実は優しい人に違いないと思わせてくれる気遣いをところどころに垣間見せてくれて、最終的には実務的にも心理的にも救われました。

引越し後は

 そんなドタバタで引越しをしましたが、住んでみるととても快適です。その要因はいくつかあるのですが、まず明らかなのは通勤のしやすさです。それまでの住まいは、僕が勤務する病院の最寄駅に向かう電車に直接乗れず、乗り換えをするか、自転車で少し離れた駅まで行って乗るかしなければなりませんでした。でも、引越した先では、その電車に直接乗れます。このことがこんなに楽なこととは思っていませんでした。これも、じわじわと前の居住地の環境に慣れていったために気づけなかった要素の1つかもしれません。それからもう1つ大きい要因としては、引越し先のまわりの、気の良さのようなものを感じられることです。もともとどこに引越しをするかは、時間をかけてじっくり探したわけではありませんでしたが、土地が持つ気の良さのようなものは決め手の1つでした。近くに好きな神社があるし、高い建物もあまりないし、なんとなく気が良いと感じるのです。

 この2つの要因を書いてみて思ったことは、通勤のしやすさという要因は、理屈が明確で分かりやすいので誰にでも伝わりやすいだろうけど、気の良さという要因は明確な理屈ではないので、僕が感じている感覚をなんとなくでも共有できる人でないと理解や納得はできないだろうということです。感覚を共有できない人にとってみれば、快適さの理由は気の良さですなんて言われてもなんだか怪しいし、極端な人だと嘘を言うな、と思われるかもしれません。自分の意見を人に言う時、明確な理屈があるか、その意見を言う感覚を共有できるかすれば、相手には納得の雰囲気が生じ、そうでなければ下手すると嘘のように響くかもしれないというのは、興味深いです。引越し後、このようなことがさらに明確に感じられることがありました。

 引越し先の近くにはとてもおいしいパン屋さんがあります。比較的有名な店のようで、引越しした後、飲食関係に詳しい知人に「近所にあのパン屋さんがあるんですよ、行ったことありますか?」と聞くと、「あの店のパンはホントに最高。マジで何個でも食べられるから」と言われました。これって、文字面だけ読むと絶対に嘘です。実際僕はそのパン屋さんに行って買い物をしましたが、食べられても3個くらいでした。知人の消化器官が四次元ポケットというか、四次元胃腸ならば理屈は通りますが、現実的に考えれば「何個でも食べられる」のが「マジ」なわけありません。でも、僕はそれを聞いた時、そこには大して引っかかることはなく、純粋にパン屋に行くのが楽しみという気持ちになりました。これは、マジで何個でも食べられると思えるくらいうまい、という感覚を自分も持ったことがあるからだと思います。そして、こういう感覚の共有ができる、たとえ話のような、文字面では嘘のような言葉というのは、表現としてはむしろ上手とかオシャレということにもなり得るわけで、人間は言葉を表面的にだけ使うわけではないのだと改めて思わされます。

枝豆理論

 少し話は逸れます。僕は枝豆がとても好きで、かなりの満腹感を感じている時でも枝豆1個くらいなら食べられる気がします。その後も、また枝豆1個ならきっと食べられそう。さらにその後も、「あと枝豆1個だけ食べて」と言われたら食べられるのではないでしょうか。この理論でいくと、あと1個だけという気持ちで枝豆を食べ続ければ、無限に枝豆が食べられるということになります。これは、0になりそうで絶対にならない曲線のように、「無限」に関する数学的な話とか、パラドックスのような話にもなんとなく思えてきます。でも多分そうではなくて、仮に枝豆1個の質量と、その分を消化する速度を合わせることができれば、現実的に可能になりそうな話なのだと思います。これは、枝豆がかなり小さいものだから成立しうる話です。パンではなく枝豆だったら、「マジで何個でも食べられる」というのが嘘ではなくなる可能性があるのです。パンよりもずっと小さく、時にはパンの具材にさえされてしまう枝豆が、パンに実現できないことを実現させそうだということを思うと、少しだけ胸が熱くなります。枝豆、応援しているぞ、というような意味不明な感情が湧いてきます。

そして連想

 さて、時ではなく話を戻しましょう。明確な根拠に乏しいという話から連想すると、精神科における診断にもその要素があります。医学的な診断の多くは、科学的に明確な根拠を伴うものです。明確な根拠とは、血液検査とか、画像などの検査結果によって、その診断が証明されるということです。精神科領域で言えば、認知症は頭の画像検査などで根拠が示されたり、てんかんは脳波検査で説明がついたりしますが、例えばうつ病、統合失調症、発達障害など、他の多くの診断においては、科学的に明確な根拠までは今のところ示すことができません。先ほど、何かしらの説が嘘ではない納得のできるものと認識されるには、明らかに理解できる理屈があるか、感覚的に共有できるかということが大切そうだ、という話になりました。これで考えると、少なくとも現段階で、科学的に明らかな根拠は示せないものが多い精神科の診断については、明らかな根拠が示されやすい内科や外科疾患の診断とは別物と考えて向き合った方が良さそうに思えてきます。科学的でありすぎようとしたり、急いで診断をしようとしても、うまくいくはずはないのです。それでも無理矢理そうしようとすると、診断される側は、納得できる理由なく診断を押しつけられたような気持ちになるかもしれません。だからそれよりも、まずは何がどう辛いのかという内実をよく聞いて、感じて、共有することが多分大切です。それを共有した上で、例えば、「今はなんとかやっているようだけど、客観的に考えるとほとんど食事が喉を通らないというのはうつ状態に近いかもしれないですよ」などとその人の状態を説明する理屈を一緒に見つけていくことが無理のないことのような気がします。引越し前の僕のように、自分の状態を客観的には把握できなくなっている人は多いです。僕だって、なんの根拠も感じられないままいきなり、「引越した方が良い状態だぞ」なんて言われたらきっと納得できなかったと思います。仮に、信頼できる引越し切迫係数のようなものがあって、科学的に引越しが必要です、と言われたらもしかしたら納得できたかもしれませんが、現実はそんなに明確に判断できることばかりではないはずです。そういう場合は、それが偏りのある状態かもしれないということを一緒に自覚していく、遅めのスピード感を意識するということが必要かもしれません。そうすることで、自分が発する言葉を嘘ではない納得できるものと認識してもらえることもあるだろうな、と今回は考えました。

 なぜ引越しの話から、話を信頼してもらうためのコツを探求する話に着地したのでしょう。不思議だ。

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星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

1978年生まれ。精神科医 など。病院に勤務する傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。主著に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』『自由というサプリ』(リトルモア)。また、本連載をまとめた『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』が2021年2月にミシマ社より刊行。

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