第7回
「お弁当戦記」episode2
2021.07.24更新
出産後の妻と三男の入院中の5日間は男手ひとつでやってみようと決め、火、水、木となんとか穏やかに過ごせたニシ家です。金曜は幼稚園のお弁当day。おかずの作り方をめぐって夜中にビデオ通話で夫婦喧嘩を演じたあと和解、翌朝のお弁当と朝ごはんとお着換えやら歯磨きやらのパラレル作業を脳内シミュレーションしながら就寝、そして朝。
普段は朝早く起きる長男が起こしてくれるので、目覚ましアラームはかけない私ですが、さすがに寝坊が怖くて6時にアラームをセット。でも、そのかなり前から目が覚めたり少し眠ったり。遠足前の子どものようです。いつものように6時半に起きてきた長男は、すでに起きてキッチンに立っている父を見てちょっと不思議そう。
母親が家にいないのは出産後5日間だけですから、コロナ禍とはいえ、やむを得ない事情として子どもたちを実家の祖父母に預かってもらうという方法も取れないわけではありません。というか、むしろそういう判断のほうが一般的かもしれません。それでもあえて、男手ひとつでやってみようと思ったのには自分なりの理由があります。
ひとつは重複になりますが、やっぱりコロナ。全国的に感染状況はよくない局面でしたし、そうでなくても私の両親のほうは80近い高齢で、岡山の実家から出てくるだけで、よっこらしょ、という感じ。ワクチン接種も間に合いそうにありません。(じっさい、間に合いませんでした。)妻の実家の両親はまだまだ若くてアクティブですが、滋賀北部に住まいがあって、世の中の空気感として阪神間に住む我が家との行き来は控えたほうがよさそうでした。
つぎは、極めて個人的な動機なんですが、妻が普段ひとりでやっていることがどれくらい大変なのか、私なりに正面から受け止め、経験しておきたい、ということです。育休を取ると基本的に家に妻と私がいる状況になるわけで、力を合わせて家事、育児にあたることができます。でも最初の5日間は否応なしに妻はいないわけで、誤解を恐れずに言えば、ひとりで妻のやっている仕事を実感するまたとない機会でもあるわけです。つまらない自己満足と思われるかもしれませんし、じっさい、そういう面もあると思うのですが、それでもやってみてわかることがあるんじゃないかと。とまあ、偉そうなことを言いつつも、どうにもならなければ同じマンションの仲良し家族に頼み込むか、じぃじ、ばぁばにSOSするか、という逃げ道は考えてはいましたけど。
さて、お弁当dayの朝です。以前から妻は私の弁当も一緒に作ってくれていたので、おかずの常連はわかってはいます。ウインナー、卵焼き、飾り切りニンジン、プチトマトなどなど。卵焼きについては、長男は出汁巻き大好きだけれど、次男は卵焼きに出汁の匂いがするのを嫌がるので、妻と相談して、オムレツを焼いて小さく切って入れることに。ウインナーを焼き、旬のアスパラガスを湯がいてハムで巻く。喧嘩しながら作ったハンバーグもスタンバイ! ご飯に子どもたちの好きな「しそ風味のワカメのふりかけ」(お薦めです、みなさん)を混ぜて、ラップを茶巾のように絞って2歳児のひと口大のおにぎりを作って、幅2センチほどに切った焼き海苔を巻いて、、、とやっていたら、次男の「ママー!」の声。寝室に走っていって、ママじゃなくてパパでごめんやで、と言いながら抱っこでリビングに連れてきて、長男と一緒に遊んでてー! とお願いして、お弁当に再び着手したところで、
「あ、子どもたちの朝ごはん!!」
台所の仕事はパラレル作業だ! と脳内シミュレーションしていたのに、いざとなればお弁当で頭がいっぱいになっていました。みそ汁を慌てて仕上げ、平皿にプチトマトと葉物野菜、お弁当にも入れるオムレツ、ご飯をお茶碗によそって(方言かしら?)、最近お気に入りの甘めの梅干しを小皿に乗せて、なんとかいつもの食卓の準備を整え、「ごめん、パパはお弁当を作らなあかんから、2人で食べてて!」と再びお願いしてキッチンにリターン。お皿に並べたお弁当を構成する要素(大げさ)を見渡してしばし沈思黙考(さらに大げさ)。
「うん、要素はたぶんそろっている。あとはこれをお弁当箱にどうやって詰めるかだ。」
そうなのです。いや、ホンマに大げさ過ぎるで、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、「食材をお弁当箱に詰めたことがない」というのはじつは巨大なハードルなんです。
三男が生まれるまで、毎週、妻が作ってくれたお弁当を食べてきました。子どもたちのお弁当を仕上げて「見て! きれいに収まった! 食べてくれたらうれしいな」と喜んでいる妻を見て自分もうれしくなったりもしましたし、そのお弁当も見ました。そうだね、食べてほしいね、と話し、「ふぅん、こんなふうに配置するんや」などと、見るともなく見ていました。
問題はこの「見るともなく見てた」ってところでして、まあ、それってほぼ「見てない」のと同じなんですよね。ということに、このタイミングで気づくわけです。遅いわ!
見慣れた食材たちと弁当箱を前に腕組み。時間は過ぎる。もういい。完璧を求め過ぎるのは私の昔からの癖だ。受験のときだって参考書を最初からすべて理解しようとして3分の1くらいで時間切れになったではないか。わかりやすいところからまずは始めることだ。
喧嘩しながら作ったハンバーグは自分のなかで今回の主役。それをシリコンのカップに入れてケチャップをかけ、まずは配置。え、デカい、こんなに場所とるの? と怯みつつ、ええい、ままよ! と次々に食材を配置していきます。だんだん調子に乗ってくると同時に、不安になっていろいろと用意した食材が、実は思ったほどは入らないことにも気づきます。いや、妻はけっこう立体的に盛り込んで、弁当箱のフタで押し込んでいたような気がするぞ。でも立体的といってもどれくらいの立体までいけるんだ? フタで抑えてプチトマトが破裂とか、もう悲劇だぞ。
頭のなかは弁当箱のなかのことでいっぱい。食卓から子どもたちが「見て~、トマトを箸で食べられたよ!」「お茶が空っぽ~」などと声を掛けてきますが、「ああ、そうだね~」と、ほとんどうわの空。何度かフタで抑えてみて、弁当箱のなかの食材が崩れないことを確認し、子どもたちが大好きな鉄道の絵柄のプラスチックピックをウインナーなどに刺し、祈るような気持ちでフタを閉めます。別の容器にデザートの果物を入れ、長男はお箸、次男はフォークとスプーンを一緒に袋に入れて、お弁当が、完成。大きく息を吐いて静かにカバンに入れます。
息つく間もなく、子どもたちの朝食の手伝い。ヨーグルト食べたーい、いや、まだおかずのお皿がピカピカになってないやん(我が家では食べ終えてお皿がきれいになることを「お皿ピカピカ」と呼んでいます)といういつもの攻防、歯磨き、着替え。そして登園。
家を出るとき、言わなくてもいいのことなのに、つい言ってしまいました。
「今日のお弁当な、パパが生まれて初めて作ったお弁当やねん。パクパク食べてくれたらすごくうれしいな」
変なプレッシャーを感じさせたくないと思っていたのに、というか4歳と2歳がこの言葉をプレッシャーと感じるのかどうかもわかりませんが、ともあれ、言わずもがなのことを言ってしまったと、ひとり気まずくなって、あ、ダンゴムシ! などと言いながら幼稚園に向かいました。
幼稚園に着いて、先生によろしくお願いしますと子どもをお預けしたら、膝が折れるほどの疲労感と脱力感。いつもの倍ほどの時間をかけて歩いて自宅に戻る途中で、普段は買わないエナジードリンクをコンビニで買って一気飲み。しばし放心状態。家に帰って気がつくと時間がびっくりするほど経っていて、え、もうお昼? お弁当に入らなかったおかずとご飯でお昼ご飯。そういえば妻もよくこんなお昼ご飯だったと話していたな、とか、子ども達はこの卵焼きをちゃんと食べてるかな、なんてふと思って急にソワソワするなんて、もうほとんど思春期の恋煩いです。
そうこうするうちにお迎えの時間。なんでもよく食べる長男はたぶん大丈夫だろうけど、食べ方にムラがあって、お弁当を残すことも珍しくない次男はどうだろう、などと思いながら電動自転車にまたがります。お迎えは次男が先。父親が迎えに来るのも3日目なので、さほど驚きもなく駆け寄ってきてくれます。楽しかった? そう、よかった! と声を掛けながら、頭の片隅にはお弁当は食べた? と聞きたくてしかたない自分がいます。
そのあとすぐに長男もお迎え、そのまま2人を連れて近所の体育館に向かい、長男の体操教室。自治体が運営している体操教室は費用が安くて人気です。保護者は小一時間、体育館のロビーで待つことになっています。他のお母さんたちはワイワイとお話をしていますが、妻のメモを見ながらおどおどとその場にいる私は、挨拶はするものの会話にどう参加してよいかわからず、少々居心地の悪い時間を過ごしていました。すると、一緒にいた次男さとるが、
「パパ、お弁当箱、見たい?」
とニコニコしながら言ってきました。あれ? これってひょっとして?
「見てー! お弁当、ピカピカ!」
膝から崩れ落ちて号泣、というのはオーバーですが、近くにいるお母さんたちの目をはばかることなく、大きな声で「さとる、全部食べてくれたん? ありがとう! パパ、すごくうれしい!」とクシャクシャと頭をなで、ほんの少し涙を流したのでした。
自宅に帰ってから長男たすくのカバンを開けると、お弁当箱はやっぱり空っぽ。「食べてくれてありがとう」と声をかけると、ちょっとクールなたすくは当たり前やん、みたいな顔をして、ふふん、と笑っていました。
私はといえば、子どもの手前、泣いたりはしませんでしたが、内心はナイアガラ並みの号泣。かくして、私の初めてのお弁当をめぐる奮闘は終わりました。いや、ありがとう! 食べてくれてうれしいよ。でもね、めっちゃ疲れたってば!