第13回
2学期はパンツ問題とともに
2021.09.06更新
ニシ家に生まれた三男のぞむはまもなく生後3か月。おっぱいをよく飲み、順調に大きくなっています。3056グラムで生まれたのが、もう5500グラムを超え、ふにゃあ、というかわいらしい泣き声も、大音響の「ふぎゅあーーーーー!」的なものに変わってきました。先日、新聞に、AIが泣き声を分析して赤ちゃんが何を求めているのかを判断できるという記事が載っていましたが、妻は「は? そんなん余裕でわかるよ」と鼻で笑っていました。さすが3人の男の子の母親です。私は未だにその「ふぎゅあー!」が、腹減ったんや! なのか、オムツ濡れてるねん! なのか、眠たいねん、はよ抱っこしてユラユラせんかい! なのか判断できず、毎回オロオロします。泣き声分析力は、妻>AI>私の順です。無念。
さて、幼稚園に通う長男たすくと次男さとるの夏休みが終わりました。長男の同級生のお母さん、コタニさんとは、連日の公園でのセミ捕りの盟友ですが、そのコタニさんと、夏休みにずっと子どもが家にいるたいへんさについて話すなかで、「早く終わってほしい、と思っていたけど、終わるとなるとやり残したことがあるような名残惜しい気分です」とお話しされていました。いや、本当にまったく同じ気分です。コロナ禍の夏休みということもあって、旅行や帰省が思うようにできなかったこともありますが、そんななかでも、もっと子どもの喜ぶことができたんじゃないかという不完全燃焼感や、子どものわがままに自分はすごく嫌そうな顔で反応していたんじゃないだろうかという罪悪感で、妙にフワフワした感じです。単純にやっと終わったね、でもないのです。親というのは複雑です。
長男たすくは慣れたもので、夏休みボケも特になく、元気に2学期を迎えましたが、次男さとるはちょっとそわそわしていて、前日から「明日は幼稚園ある?」と何度も聞いてきます。少し不安そうでもあります。親の方もいろいろ考えますが、どうもトイレ問題を気にしているようです。
お兄ちゃんのマネをして背伸びしたのか、さとるのトイレトレーニングは驚異のスタートダッシュを見せました。トイレにいって、パンツ型のオムツを脱いで、座って用を足すことができるようになったのは、たしか2歳になって間もなくだったと思います。親としては「え、めっちゃスムーズやん!」と喜んだものです。ところがその後、なぜかオムツの中で用を足したいモードにリターン。大人はもう忘れてしまった心地よさがそこにはあるのか、トイレが遠い日々が延々数か月も続き、親は困惑。ところがどっこい、なんと三男が生まれる2日前、6月6日に突然、「にぃにぃと同じパンツを履きたい!」と言い出し、またまた親を驚かせます。パンツを履かせると、ちょっと恥ずかしそうに、そしてめちゃくちゃうれしそうに家じゅうを走り回りました。おお、ちょっと待ったけれどこういう日はいきなり訪れるんだね、などと、困惑から一転、ほくほくと喜ぶ単純な親。6月6日はパンツ記念日。
ところがまだハードルがありました。さとるはパンツを履くようになっても、家ではないところ(幼稚園を含む)のトイレで用を足すことは、断固として拒否するのです。夏休み前の幼稚園では、先生と綿密に打ち合わせをしてトイレに誘導するも数度失敗。夏休みに入ってトイレのある公園で遊んでいても、2時間も経つと、おちんちんを押さえて「おうちに帰る!」と泣き始めます。まだまだ遊びたいお兄ちゃんは「帰らない!」となるわけで、毎度毎度、親は右往左往です。
ではオムツにもどりますか、ということになるんですが、そこは親の方もなんとかオムツを卒業してほしいという気持ちもありますし、一度パンツを履いた彼に、またオムツを履かせるのは、プライドを傷つけてしまうのではと心配です。2歳児にプライドなんて、とお思いかもしれませんが、あります。多分。これまでの経緯をみていると、ガサツな言動とは裏腹に、けっこう繊細な部分がありそうで、親としても言い回しや、コトの運び方に慎重になります。夏休みはパンツで過ごしたので、(いや、パンツいっちょで走り回っていたわけではなく、オムツではなくパンツで、という意味です、もちろん)新学期を迎えるタイミングで、うまく乗り越えられるのではないかと、親は性懲りもなく期待します。
私「ねえ、さとる。おうちではすごく上手にウンチもオシッコもできてるんやから、幼稚園のトイレも行こうよ」
さとる「いや」
私「大好きなH先生がついてきてくれるで」
さとる「いやや! いやー!」
私「でも、幼稚園におるあいだ、ずっとトイレ我慢してたら病気になるで。お腹痛いって、なるのん、イヤやろ?」
さとる「ならない! 幼稚園のトイレ行かない!」
という押し問答が続きます。途中で長男たすくが「たすく、どこのトイレでも行けるで」と自慢顔で割り込んできて、よけいに空気を悪くします。このすっとこどっこいめ(笑)。
致し方なく、本人の自尊心を考慮して避けていた提案を妻がしました。
妻「じゃあ、オムツ、履く?」
するとその瞬間、さとるの表情はパッと明るくなって、コクリと小さく頷き「さとる、幼稚園にオムツで行く!」と宣言。神オムツ、いや紙オムツを履くやいなや、モヤモヤが晴れたように家の中を走り回る姿を見ると、さすがにもう、がんばってパンツで行きなさい、とも言えません。プライド云々というのは親の取り越し苦労だったのかもしれませんが、小さな体で走り回り、大きな目でいろんなものを見つめ、吸収している彼の中には、やっぱりいろんな譲れないものがあるのだと思います。ちなみに2学期になってオムツで通い始めても、一度もオムツを濡らさず、「早く帰っておうちのトイレ行く!」と言いながら帰る日々です。やっぱり、彼なりに戦っているんだと思います。
これまで、一緒にお風呂に入ったり、手をつないで幼稚園に行ったり、週末を一緒に過ごすなかで、子どもたちの成長や悩みを感じてきたつもりではいましたが、育休でずっと家にいると、これを妻はひとりで受け止めていたのかと思うことがいっぱいあって、本当に恐れ入ります。しかしまあ、日常のいろんな場面で親の悩みは尽きません。
例えば食事。長男たすくは朝食からトークが絶好調です。ティラノサウルスはいつ生きてたの? 去年? パパが生まれる前? 平清盛よりも? ねえ、カブトムシの交尾ってどういうこと? うん、もう何億年っていう昔で、じぃじもばぁばも生まれてないころだよ。平清盛はなんでここで登場するの? 交尾はね、そうやな、こんどまた教えてあげるわ。はい、ご飯パクパク食べようね。
一方の次男。「ヤーミーヤ!」とEテレで覚えた(らしい)歌をいきなり大声で歌いだしたかと思えば、急に静かになり、もずく(好物なのです)を一本ずつ補助リング付きの箸でつまんで食べる。うん、歌はご飯が終わってからな。ほんで、もずくはもう少しまとめて食べようか。
ご飯は楽しく食べてほしい。でも、幼稚園に行く時間は迫る。そこで、つい「さあ、どっちが先にお皿ピカピカにできるかな?」と、兄弟を競わせてしまいます。他愛もない競争です。始めは子どもたちもちょっとふざけたりしながらご飯をかき込みます。でも、この競争の効果、あんまり長続きしないんです。長男たすくに「ほら、弟のほうが先にお茶碗ピカピカやで」などと言うと「だって、たすくのほうがご飯多かったもん」とか「おかずはたすくのほうが先にピカピカにしたもん」と不正競争の申し立て。一方の次男さとるに「ほら、お兄ちゃんはもうすぐ食べ終わるで」と言うと「もういらない。お腹いっぱい」とこちらは試合放棄。なんだか、急がせて楽しい食卓をつまらなくしたみたいで、しかもご飯を残されてしまうと、後味の悪さだけが残ります。
個性を無視して兄弟を比較するというほど大げさなものではないとは思いますが、本当はそれぞれの箸の進み方を見たり、話の中身を受け止めたりしてやりたいのに、一方で、しつけとか、マナーとか、時間とか、いろんなことが気になります。少なくともうちの子どもたちについては、競争させても大して効果はないのに、それでも時間がないときにはつい口に出してしまいます。時間は親の余裕を奪います。ホントに。
他にも「はーい、このおもちゃを全部片づけたら、おやつにラムネあげるからね」と朗らかに子どもたちに言ったあとに、あれ、俺、ごほうびで子どもを操ろうとしてないか? と、ふと思うことも。ごほうびがすべて悪いとは言いませんが、これは逆に効果があり過ぎるのが気がかり。ラムネほしさにいそいそと片付けをする姿を見て、これでいいのか? と思います。また、おもちゃは兄弟で仲良く遊んでほしいわけですが、どうしても「さとるもそれで遊びたい」「イヤ」「うえーん!」と取り合いになります。誕生日に買ってもらったミニカーなどは、裏に「さとる」「たすく」と名前を書いたりしますが、それでも「貸して」「いや!」と兄弟の仁義なき戦いは続くのです。みんなのものは譲り合い、自分のものは気前よく差し出すという理想が実現されるその日まで。来るんかな、そんな日。
ちなみに同じマンションで3人きょうだいのヤマダさんのお父さんは、「3人になると子どもたちだけで解決することが増えて、楽になりますよ、逆に。わはは!」とめちゃくちゃ明るく、前向きな言葉を残して引っ越していきました。信じていいんですね? ヤマダさん!