第16回
三兄弟、それぞれの夏が終わるねぇ
2021.09.27更新
生後100日を迎えた翌週のある日、三男のぞむが9時間半連続して寝ました。夜の8時半におっぱいを飲み終えて眠り、起きたのが朝の6時。これはニシ家にとっては事件です。奇跡です。うみゃあ、という声を聞いて、ああ、深夜の授乳かと目を覚ましたら外が明るくて、一瞬、何が起こっているのかわからなかったと妻は話していました。
乳児は数時間おきに授乳が必要で、それがお母ちゃんにとっては最初の試練、ということは何度も書きました。そのうちに夜はだんだんと長く眠るようになってきますが、その程度は赤ちゃんによってまちまちのようです。長男も夜にまとまって寝るようになるのが遅くてけっこう苦労しましたし、次男にいたっては、あまりに寝ないので病院に相談したくらい。三カ月の子が9時間半も連続して寝るなんて、我が家ではいまだかつてない
赤ちゃんが夜に連続して眠ってくれることの何がありがたいって、妻の機嫌がよいということに尽きます。妻が「いや、朝まで寝ちゃったわ。ホントびっくり」とうれしそうにしていると、こちらもうれしくなります。くどいくらいに言いますが、妻のご機嫌は家庭の平和、なのです。のぞむ、ありがとう!
一方で、のぞむは起きているときは、母親や父親をしっかり目で追うようになってきました。もちろん目が見えるようになってくることはうれしいのですが、母親がちょっと見えなくなると、すぐにふぎゅあ! と泣き出します。もうそんなふうに周囲が見えているなんて、すごいぞ! のぞむ。できたら「あ、ママ、トイレに行くのね」と穏やかに見送ってくれたらもっとすごいんだけど。
次男さとるは、相変わらずオムツ卒業が最大のテーマ。オムツで幼稚園に行き、(たぶん)堂々とオムツのなかで小用を足し、先生にはき替えさせてもらって帰ってきて、パンツに着替えて、自宅では「おしっこ!」「ウンチ!」とちゃんと宣言してトイレに走り込みます。失敗はまずありません。これだけちゃんとトイレに行けるんだから幼稚園でも大丈夫だよ、と話すのですが、頑なに幼稚園にパンツで行くこと、幼稚園のトイレにいくことを拒否します。幼稚園のトイレでなにか嫌なことがあったのかもしれませんが、2歳児にその説明を求めるもの酷な気がして、ちゃんとは聞けていません。まあ、公衆トイレや出先のお店のトイレなどで用を足せる確率は上がっているので、辛抱強くお付き合いするしかありません。
いつも走り回っていて、エネルギーの塊のようなさとるですが、案外、軽妙な会話センスをみせることがあります。先日、日が傾くまで公園で遊び、その間に石を投げたり砂をまき散らしたりして何度も妻に怒られてそのたびに号泣するくせに、帰ってきたらけろりとして、おもちゃを並べてお店屋さんごっこを始めました。5歳と2歳を連れ、0歳を抱っこして公園で走り疲れ、怒り疲れた妻は半ば白目をむいた状態。
次男「いらっしゃいませ。何が欲しいですか?」
妻 「・・・・安らぎ。」
次男「売り切れです」
妻は崩れ落ちながら爆笑していました。
そして長男たすく。鉄道一筋の鉄ちゃんが、虫に浮気です。以前にも書いたように、夏休みの前に幼稚園の友だちからカブトムシをもらったことをきっかけに虫に興味を持ち、夏休みはひたすら公園でセミ捕り。8月の5歳の誕生日には子ども向けの昆虫図鑑。近くの森林公園にいってカブトムシを探し、空振りに終わっても、チョウを追いかけたり、バッタを捕まえたり。飛んでいる赤トンボを虫網で捕まえたときは(というか網をブンブン振り回していたら、たまたまトンボのほうから網に入ってきたんですが)、こんな顔をするのかと親がびっくりするくらいの笑顔を見せました。
「ねぇ、たすくが一人で捕ったんだよ!」
「たすくが捕ったトンボはなんていう名前?」
「たすくが捕ったトンボは元気?」
自分が、親の助けを借りずに飛んでいるトンボを捕まえたことがめちゃくちゃうれしかったのでしょう。「たすくが捕ったトンボ」を連呼します。セミをわしづかみにできるくせに、トンボを手でつかむときにはビビりまくってましたが、ほどなく、やさしくバイバイしていました。
伊丹市にある昆虫館にも行きました。そりゃあもう大騒ぎでした。生きて動いている外国のでっかいカブトムシ(そうです、みなさん、ヘラクレスオオカブトです!)にくぎ付け、クワガタの標本の前から動かない、チョウの飛ぶ温室にはいつまでいるの? というくらいの
一方で、意外な面も見せてくれました。虫好きのきっかけになった同級生にもらったカブトムシです。エサをやったり、土の中にもぐり込んでいるのを掘り出して掴んだりしてかわいがって(?)いましたが、秋の声を聞くころには、天寿を全うして死んでしまいました。発見日時は9月5日の早朝。見つけたのは長男たすくで、
「ねぇ!カブトムシが死んでる!」
「え、ホンマに?」
「うん、動かへん」
「あ、ホンマや。残念やねぇ」
親としては、というか大人としては、このあと子どもがしょんぼりして、なんならちょっと涙を浮かべて、「うぅ、なんで死んじゃったの?」というトーンになって、という展開を想像していました。そうしたら「カブトムシは夏のあいだしか生きられないんだよ。一緒にいてくれてありがとうってお墓を作ってあげようか。死んだら土に帰してあげるんだよ」と慰めてやろう、というところまで考えていました。もう5歳だし、弟と比べると穏やかで優しい兄だし。
ところが長男たすく、死んだカブトムシの角をもって「動かなーい!」とブンブン振り回し、
「ゴミ箱に捨てる?」
親、絶句。え、ゴミ箱?そうなん?
慌てて用意した台詞を口にします。ゴ、ゴミ箱なんてだめだよ。死んだ虫は土に帰してあげるんだ。お墓を作ってあげよう。
なんでも、近しいものの死を悲しい出来事として実感できるのはもう少し大きくなってからなのだそうです。それだけでも勉強になりましたし、親の感覚をそのまま子どもに当てはめてはいけないんだな、と頂いたカブトムシの死に教えてもらいました。
ちなみに秋になってカマキリを捕獲したあとは、バッタを捕まえて同じ虫かごに入れ、カマキリがバッタを捕まえて食べるのをずっと待っていました。結局、たすくは待ちくたびれて寝てしまい、そのシーンは親が見ることになったのですが、そのときに、ちょっとワクワクしている自分に気づいてハッとしました。バッタをカマキリのかごに入れるなどちょっと残酷とも感じる行為を子どものうちに体験すると、ちゃんとした死生観を確立できる、とどこかで聞いたような気がしますが、果たしてどうなんでしょう。
長男たすくには、ほかにも気になる小さな変化がみられます。まず、小さな嘘をつく時期がありました。公園で近所の友だちと遊んでいるときに、「あ!毛虫!」とたすくが叫びました。みんなが集まってきて、どこどこ? と尋ねると「さっきまでここにいたけど、こっちのほうに逃げていった」とモニョモニョと説明しています。そんな高速で動ける毛虫はいないので、たぶん、オオカミ少年のような嘘をついたのだと思います。同じような、さっきまでいたけど、もういなくなった、というパターンの(たぶん)虚言を何度か聞きました。頭から嘘と決めつけるのもよくないし、かといって放置するわけにもいかない。幼稚園でも同じようなことをしていたらどうしようと、親としてはけっこう対応に悩みましたが、ほんの1、2週間でそんな発言はなくなりました。分析するほどの知識はないんですけど、やっぱり三男がやってきて、寂しかったのかもしれません。注目されたかったのかもしれません。
あと、これまで「たすくもおやつ食べたーい!」と自分のことを「たすく」と言っていたのが、「ぼく」と言うようになりました。ちょっと自分でも「ぼく」が板につかず照れくさいのか、台詞を読むように「ボクはですねぇ」なんて言っています。
いつまでも自分のことを名前で呼ぶのも子どもっぽい(って子どもですが)とは思いますが、急に大人びたようで、ちょっと虚を突かれたような気分になります。え、もうそんなに成長しちゃうの? みたいなある種の寂しさが混じります。まあ、おふざけで言っているだけで、また「たすくはね、、」に戻るのかもしれませんが。
おおよそ4か月という育休期間が十分な長さなのか、まったく足りないのかは家庭にもよるでしょうし、育休の間の過ごし方にもよるでしょう。ただ、これだけの期間があると、新生児はもちろん、長男や次男の細かい変化に気づき、少し腰を据えてじっくり向き合うことができます。じっくり悩むことができます。それはとてもとても素敵な経験です。長男の微細な「かまってほしいオーラ」も、次男が毎朝、幼稚園に行くまえにそれまで履いていたパンツを脱いでオムツにはき替えるときの何とも言えない複雑な表情も、ぜんぶ愛おしい。とても愛おしいです。そしてそれは、数か月単位の休みをとることができたからじゃないかと思います。あ、たぶん、妻とのやりとりも、多少は成熟した夫婦のそれに近づいたんじゃないかと。妻に聞いてみないとわかりませんが、たぶん(笑)
さあ、いよいよ育休期間が終わります。仕事は? 家庭は? いろいろ大丈夫なのか!?