第21回
育休(後)日記4「そして、コロナがやってきた」
2022.03.09更新
それは2月3日木曜日の朝でした。
ん? 喉が痛い。
前日の夜、床に就くときにちょっと引っかかるような違和感を喉に感じ、嫌な予感がして夜中に何度か目が覚めたのですが、朝になって、違和感は痛みに変わっていました。よく風邪をひくことで知人の間では知られる(うれしくないですが)私にとって、寝起きの喉の痛みは、しょっちゅうとは言わないまでもたまにあることでした。ただ、コロナ禍で常にマスクを着け、手洗いを励行し、建物に入るときも出るときもアルコール消毒を求められるこの2年ほどの間は風邪をひくことはなく、このタイミングでの喉の痛みにはちょっとソワソワします。
夜中にしょっちゅう目を覚ます三男の世話で細切れ睡眠の妻には少しでも寝ていてもらいたいので、最近の朝ごはんの担当は私です。念のためマスクを着けて調理。でも、まあ、あくまで念のため。いつものようにご飯とお味噌汁、オムレツ、ミニトマト。食卓を囲むときも、ご飯を口に運ぶときだけマスクをずらします。念のために。3歳の次男は朝ごはんの後半、お腹が満たされてくると、「ご飯手伝って~」と甘えてきます。お箸やスプーンで食事を口に入れてもらうと、うれしそうに食べるのです。でも、この日は「さとる、がんばって自分で食べなさい。食べられないなら残していいから」と、密接するのを避けました。これも念のため。
食後、もうひとつ念のために体温計を腋にはさんで数分。示された数字は36.8℃。平熱が36.2℃くらいの私にすればちょっと高い。それに、私はよく風邪をひきますが、熱を出すことがあまり、いやほとんどありません。あれ、ちょっとこれ。
三男を抱っこして起きてきた妻に「喉が痛い。微熱がある」と伝えると、おでこに手をあてて、「いやぁ、私の方が高いくらいやで。いつもの風邪ちゃう?」楽観的なのか、悪い予感を打ち消しているのか。「うーん、俺も大丈夫やとは思うけど、いちおう、出社を遅らせて発熱外来で検査受けてくるわ。念のため。」
自治体のホームページで発熱外来をやっている病院を調べ、電話をして、車で向かいます。そういう行動をしているうちに、不安の輪郭がだんだん濃くなってきました。病院の入口で、発熱していること、喉が痛いことを伝えると、別の入り口に案内され、問診票に記入してしばらく待ち、名前を呼ばれて処置室に通されます。看護師さんが、では検査をしますね、と穏やかにひと言。鼻に長い綿棒を突っ込まれました。発熱外来が混雑していて検査もしてもらえない、などというニュースも耳にしていてちょっと不安だったのに、すんなり検査してもらえてちょっと拍子抜け。結果がでるまで車のなかで待っていて下さい、と言われ、車に戻ります。なるほど、発熱していると暫定的に感染者として扱われるわけか。微熱のせいで寒気がするので、地球には申し訳ないけどエンジンをかけて暖房をきかせ、家を出るときに郵便受けから取ってきた新聞を広げて結果を待ちます。
といえば、肝が据わって堂々としているようですけれど、実際はソワソワと落ち着かず、新聞の文字を目で追っても、なかなか頭に入ってきません。
1時間ほど待つと、携帯電話が震えました。看護師さんです。
「はい」
「西さんですね。検査の結果がでましたので、担当医師からお伝えしますね」
あれ、お医者さんから、ってことは、あれれ?
嫌な予感。
「内科の担当医師の○○です。西さんの検査の結果ですが、新型コロナ陽性でした。症状は軽いようですし、年齢もまだ若くて基礎疾患もないですから、恐らくこのまま軽症で済むのではないかと思います。保健所から連絡があると思いますが、自宅で療養することになるでしょう。症状が出た日を0日目として10日間です。念のために薬を処方しておきます。症状が急変したら、またご連絡を・・・・」
感染者が多い時期だからでしょうか、お医者さんも慣れた様子で説明してくれます。三割くらい覚悟していて七割戸惑っている頭で、それを聞きます。いや、聞いているようで聞いていなかったかもしれません。電話が切れて、そうか、そうなんだなぁ、と事態をとりあえず受け止めたら、そのあと、頭のなかにいろんな思念がグルグル沸き上がってきました。俺、感染したんか。今、吐き出しているこの息にもウイルスが居るのか。この車のなかの空気は汚れてるってことなのか。消毒せなあかんのかな。あ、職場に連絡しなきゃ。昨日は症状は出てなかったし、ずっとマスクをしてたから、会社で誰かにうつしたりはしてない、はず。わかんないけど。しかし、どこで感染したんだろう。いや、考えても無駄か。世間から非難されるようなことはしていないよな。家族が変な目で見られたりしないよな。これから家でどんなふうに過ごせばいいんだろう・・・。いろんな思いが交錯するなかで、ひとつの不安がどんどん膨らんできます。
「妻や子ども達にうつしてないだろうか」
妻とは子どもが寝てから日々の出来事をいろいろ話していますし(当然、マスクなんてしてません)、寝る前にはハグだってします。子どもとは毎朝、朝ごはんを一緒に食べています。お風呂だっていっしょです。この日の朝はマスクを着けましたが、気休め程度としか思えません。
考えがまとまらないまま、とりあえず、妻に連絡します。
「陽性やったわ」
「え? 嘘? ホンマに?」
「うん」
「なんで? いつ? どこでもらったん? なんで?」
「わからん。とりあえず帰る。この後のことを相談しよう」
相談といっても、選択肢が多いわけではありません。私は自宅で家族と隔離して療養(どの部屋で?)子どもは濃厚接触者になるから、長男と次男は幼稚園を休まなくてはならない(いつまで?)妻のきょうさんも濃厚接触者だから、家から出られなくなる(ご飯はどうする? 買い物は?)
いろいろ考えていると、車の窓ガラスの向こうに看護師さん。窓を開け、会計を済ませて、薬を受け取ります。もらったのは3種類。トローチと、イソジンうがい薬と、解熱剤のカロナール。世の中をこれだけ騒がせている病気なのに、もらった薬があまりにも普通なので、ちょっと笑いがこぼれて、少しだけ落ち着いた感じがしました。
帰宅すると、妻は物置のように使っている部屋の掃除をしていました。箱買いしたビールや、子どもが使わなくなって誰かにあげる予定のおもちゃや、三男が卒業したばかりのベビーバスなどを突っ込んである、文字通りの物置き部屋です。雑多につっこんでいるものを端に寄せたり重ねたりして、どうにか布団をひけるスペースを作って、家具に乗っている埃の拭き掃除をしていました。私が引きこもる部屋の準備をしてくれていたのです。妻のほうが一足早く、覚悟を決めたようですが、その表情は固く、不安と緊張に包まれていて、目が合うと、弱弱しくちょっと笑いました。
私の自宅療養期間は10日間、濃厚接触者の家族の自宅隔離期間は7日間。どれくらいの隔離なら十分なのか、ご飯は? お風呂は? トイレは? 消毒はどうやって? 家から出られない子どもたちに何をしてやればいいのか・・・
戸惑いと、あきらめと、大きすぎる不安に飲み込まれそう、いや、飲み込まれ、溺れそうになりながら、我が家のコロナ療養生活が始まったのです。
編集部からのお知らせ
西靖 × 工藤保則「アナウンサーと社会学者が語る 『家族がコロナになったとき』」開催します!
西さんご一家のコロナ療養生活はどうなったのか・・・? 続きの気になる本連載ですが、オンラインイベントでもコロナ療養に関してお話しいただきます。
対談のお相手は、『46歳で父になった社会学者』の著者である社会学者の工藤保則さんです。西さんと同じくご自身もコロナに感染され、ご家族の看病も経験されました。子育て家庭のコロナ療養のリアルを共有いただき、未感染者は今後の備えにもなるような90分です。みなさまのご参加お待ちしています。
開催日時:5月13日(金)17:30〜19:00