おせっかい宣言おせっかい宣言

第50回

アジアの旅

2018.09.10更新

 とても久しぶりにインドネシアに行った。インドネシアに行く、というと、わたしの頭には、ユーミン(もちろん、松任谷由実さんのこと)の「スラバヤ通りの妹へ」という曲が流れる。ユーミンが1981年に発表した「水の中のアジアへ」というアルバムに入っていた。わたしが大学を卒業した年のことだからよく覚えている。あらためてガルーダ・インドネシア航空に乗りながら、「スラバヤ通りの妹へ」を聴いていると、なんだか涙が出そうになる。天才の作る曲、というのは、かくも多くの感情を引き出させるものだ。

 この曲の歌詞に、インドネシアの市場(いちば)で、痩せた年寄りが、責めるような目をして「私」と日本に目を背ける、という内容が出てくる。1980年初頭、というのは、幾重にもそういう時代であった。戦後民主主義も円熟した時代に入ろうとしていたが、その頃、日本人である、ということ、そして日本人として、他のアジアの国に出かける、ということには、なんとも言えない後ろめたさが張り付いていた。もちろん、日本帝国主義がアジアの人々に何をしてきたか、について、私たちの世代はよく学ぶ機会を持ってきていたし、私たちの先の世代が何をしてきたか、そして、そのことに対して自分たちの世代もまた、関係ないという態度をとることは許されない、ということも、身にしみてわかっていた。深い反省と共に、これからの関係を築いていくための努力が求められていると思い、日本を愛でるような言動は、ゆめゆめしてはなるまい、と思っていたし、実際、帝国主義日本からエコノミックアニマルと呼ばれた日本への変貌を苦々しく思うことも多い、私たちの世代であった。フィリピンや、インドネシアや、シンガポールや、さらに韓国や中国にはなおさらのこと、私たちは責める目を向けられることから免れ得ない、それが当然である、と感じながら、渡航していた。

 同時に、1980年初頭、ユーミンがおそらくは、なさったような、つまりは、「個人で」、東南アジアをはじめとする、開発途上国と呼ばれていた国々に旅行できるような、アジアの人は、日本人くらいだった。外貨を買い求め、個人で旅行できるようになるためには、それなりの国力と経済力が必要とされる。だからユーミンがインドネシアを旅した、おそらくは70年代の終わりか80年代の初めの頃、そうやって、個人で、それなりの西洋的な格好をして、東南アジアのマーケットで「観光」するアジア人は、ほぼイコール、日本人、であったのだ。歌に出てくる「痩せた年寄り」に、私は日本人です、と言わなくても、当時、西洋風の身なりをして、観光客であれるようなアジア人は、自ずと、日本人だ、とわかったのである。

 実際、1980年代ごろ、日本人は、東南アジアのみならず、海外で、すぐ日本人だ、と、わかった。私も1980年代半ばから、「国際保健」の仕事を得て、アジアやアフリカ、ラテンアメリカに出ていくようになったが、どこででも、日本人はすぐわかった。日本人がしているような格好、つまりは、ちょっとファッショナブルでちょっとアメリカンで、ちょっとくだけた感じの服装は日本人しかしていなかった。日本人ですか、と聞かなくても日本人であることは明らかだったのだ。当時、日本人のような服装は、アジア人では、日本人しか、していなかった。

 それが90年代も終わりになってくると、ぱっと見ただけでは、わからなくなってきた。空港や街で、あ、日本人っぽい格好をしているな、と思っても、近くで言葉を聞いたら、中国語や韓国語をはなしておられて、ああ、日本人じゃないな、と思うことが増えた。台湾や、香港や、韓国の人たちが、それこそ経済力をつけて、国外にどんどん出ていくようになり、世界の服装も、マスコミの普及と経済の発展により似たようなものになっていったのである。

 その頃からまだ20年くらいしか経っていないが、今や、インターネットで瞬時に情報は駆け巡るし、韓流ブームもあったし、アニメや漫画も広まったし、ゲームもみんな同じものをやっているし、音楽も似たようなものを聞いていて、結果として、「雰囲気」と「服装」は、アジアでみんな同じような感じになってきた。同時に、アジア諸国の多くが経済力をつけてきて世界中を旅する「個人」が増えた。旅行していて、あ、日本人かな、と思って話しかけても日本語が通じないことも多い。韓国、台湾、中国、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン・・・本当にたくさんのアジアの人たちが世界中を旅行するようになったのだ。

 今回渡航したインドネシアでも、現地の方に、「あなた、Korean? Chinese? それともJapanese?」みたいな聞き方をされたことが何度もあった。つまりは、韓国から来たの? 台湾? メインランド中国? それとも日本? という感じ。もう、顔つきと服装と雰囲気では、どこの国から来たのかはわからない。ユーミンが今、スラバヤ通りを歩いても、「痩せた年寄り」がユーミンと日本から目を背けることはない。一つには、戦争を記憶する世代がだんだんもういなくなってしまって、新しい世代になっていること。だからと言って私たちの後ろめたさが消えるはずもなく、先祖のやったことは末代まで背負っていかねばならない。同時に、「日本に目を背け」ようとしても、そうやって歩いているアジア人が、日本人だけではなくなってきている、という別の事実が出てきているのである。今や成田空港を降りても、空港職員に英語で話しかけられたりする、つまりは、見かけだけでは日本人が、日本人に、日本人と見られなくなっているような状況もある。

 80年代、私が海外の仕事を始めた頃、アジアやアフリカの首都にはどこにでも必ずある、一流ホテルに泊まっているのは、ほとんどが西洋人であり、そこにたまに日本人が混じっている程度だった。ヨーロッパなどから到着するフライトに乗っているのも、西洋人か、何人かの日本人であり、現地の人はそんなに乗っていなかった。今や、そういったホテルも、アジアでは、泊まっているのはほとんどアジア人となり、アフリカを発着するフライトに乗っているのも、ほとんどアフリカの人たちになった。いわゆる西洋人、は、アジアでもアフリカでも本当に少なくなり、逆に、安旅行をしている人が目立つようになった。

 いろいろな矛盾も、貧富の格差も、国内外の紛争も、まだまだ問題は山積みな世界であるが、自分の生きている時代、働いてきた時代、だけを考えても、世界は確かにより良い方向に向かっているのではないか、と思うのは、長い植民地主義の影響と、白人優位の時代から、少しずつ時間をかけて変わっていって、一つ一つの国が力をつけていって、「個人」が世界に出ていくようになっているからである。経済成長だけが目標ではない、それよりも大切なものがある、と言われていることはその通りだし、私もそのように言ってきているのだが、実際、経済の成長と、それに伴う資本主義の隆盛がもたらす衣食住の豊かさが私達にもたらしてくれたものは計り知れない。スマホのおかげで、世界中の人と瞬時に連絡も取れ、話もできて、画像も見られる。しかも、通信料自体は無料で。通信料金が高かったのはもう昔の話だし、航空運賃もどんどん安くなっている。国際的な人の交流は止めようもなく、国境を超えた恋愛も多くなるのは当然のことである。

 気候も変動し、災害も増え、世界は少子化に向かい、心配なことばかり、とはいえ、まだまだ希望を語りたい、と思うのは、確かに世界は良くなっているところがたくさんある、と思うからである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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