おせっかい宣言おせっかい宣言

第63回

スキンシップと強さ

2019.10.16更新

 子どもたち、と言っても、すでに今年で29とか27とか言う年齢になる人たちなのだが、この人たちの父親はブラジル人である。子どもたちを産み育てた時期の前後、10数年ほどであるが、私はブラジルでブラジル人家族として暮らしていた。具体的にいうと、1990年代のすべて、といったころだから、もうずいぶん時間が経った。時間は経ったが、家族を持って子どもを産んで、育てて、家族の時間を共にする、ということはとても深くて濃密な時間であって、いまも子どもたちとの関係において、ブラジルでの暮らしは大きく影響している。とくに、ハグしたり、キスしたり、というスキンシップはとても濃厚な国だったから、私もそのようにして子どもたちを育てた。家族同士はいつもお互いを慈しみ、抱きしめ、キスしていた。それが当たり前だった。

 日本に住んだこともなかった子どもたちは、日本にやってきて、東京のごく普通の区立小学校の4年生と2年生として通うようになった。通い始めてまもないころ、イギリスで生まれ、ブラジルで8歳まで育った次男は「ママ、日本の子どもって口紅ついてないね」という。最初なんのことかわからなかった。女の子が小学校2年で口紅などつけていないのは当然であろう。ブラジルだってつけていなかった。いったいなんのことか。よくよく聞いてみると、次男の言いたかったのは、「子どものほっぺたにお母さんの口紅によるキスマークがついていない」ということなのであった。

 子どもたちの通っていたようなブラジルの私立校(いわゆる中産階級は、子どもを私立校に通わせる。ブラジルの公立学校は大学以外、信頼されていなかった。)では毎朝、親が子どもを送ってくるのだが、学校に着くと低学年の子どもの母親たちは、「じゃあね、私の愛しいあなた、チャオ!」といって、ぎゅーっと子どもを抱きしめ、ほっぺたに、チュッとキスをするのである。だから低学年の子ども達のほっぺたにはいつも、母親の口紅によるキスマークがぺたっとついていて、次男はそれを観察していたと思われる。そして、当然のことながら、日本の小学校にくる子どもたちは、母親にほっぺにキスなどされていないので、キスマークは、ない。次男はそれが言いたかったのである。このことに限らず、彼らにとっては、地球の裏のブラジルと、この国、日本の文化はあまりに違っていて、当惑することばかりだっただろうな、と思う。よくぞ、育ってくれた。

 スキンシップ満載のブラジルで育ってきたから、日本に帰ってからも、抱きしめて、キスして子どもたちを育ててきた。そうやって、ブラジル帰りで、スキンシップ満載の育て方をしていることは、周囲のお母さんや友人たちの知るところになり、いろいろと聞かれることがあったが、あるとき、一つのパターンに気づく。「お子さんたちととても仲がいいんですってね、スキンシップもたくさんしているんですってね、お風呂も一緒に入っているんでしょう?」、と、言われるのである。かならず「子どもと仲がいい」というと「お風呂に一緒に入っているのでしょう」と言われるのだ。お風呂? はいってないですよ、そんな・・・、と、いつも答えたが、それを聞くと、とても意外、と言う感じに聞こえているらしいこともわかった。

 ひとつには、構造的な風呂場の習慣があるのだろう。日本の風呂は、洗い場で体を洗って、それから湯船に入る、という方式なのであって、公衆浴場はもちろんその方式であり、家族でも一緒にお風呂にはいる、ということは珍しくない。温泉地にいっても「家族風呂」というのがあるくらいだ。さらに明治政府が禁じるまでは公衆浴場は混浴だったというではないか。そのような文化を持つ国にあっては、「仲のいい親子は一緒にお風呂に入る」もの、とみんなが思っているのである。日本人の男性の友人も幼い娘と一緒に風呂に入っているらしく「この子が一緒に入ってくれなくなる日が来ると思うと悲しい」などと言っていた。そういうものらしい。

 わたしはブラジル人家族とブラジルで子どもを育てたから、子ども達とお風呂に一緒に入った覚えがない。だいたい、お風呂の入り方とお風呂の構造が、日本とブラジルでは全く違う。日本は風呂場は大きくて洗い場があって湯船があって、家に一つだけあるものだ。ブラジルでは、湯船はなかった。シャワーだけ。それも、部屋の数だけシャワーがあったりする。夫婦の部屋にひとつ、子どもの部屋に一つ、別の部屋にも一つ、という感じでベッドルームごとにシャワーとトイレがついている。さほど大きくない家でも、つまりは2ベッドルームくらいしかない家でもトイレとシャワーはベッドルームの数だけある。そしてシャワーはひとりしかはいれないので、シャワーは一人で入るのである。こどもたちが幼稚園くらい、つまりは4、5歳くらいまではシャワーに大きなタライをおいて、そこで入浴させていたが、それも、大人は服を着たままで子どもたちの入浴を助けていたから、一緒に裸になっていない。学齢期に入ると、子どもたちは当然のように、自分たちの部屋にある自分たちのシャワーで入浴するので、私は手伝っていない。

 ということで、「一緒にお風呂に入っているでしょう?」と日本の母親たちに聞かれることは、なんだかびっくりするようなことだったのである。だいたい小学校にあがってから以降は、息子たちの裸をみたことがないし、息子たち自身も私の裸をみていない。ブラジル人家族は、だいたいそうだと思う。週末になると、プールや海で過ごすことが多くて、そこでは、みんなビキニや海水パンツで一日過ごしていて、そして、そのビキニや海水パンツは、日本のものと比べると、ものすごく露出度が高くて、布地としては最小、という感じがするのではあるが、決して、全裸には、ならない。

 つまりは、ブラジルにいたときのことを思い出すとよくわかるのだが、家族も友人も非常に濃密な身体接触のもとにくらしていて、挨拶もハグしたりキスして、それは本当に心の安定をくれるものなのだが、「親密な場所」つまりは、水着で隠す場所だけは人に見せるものではない、それはほんとうに親密な愛を交わす人との間だけのものだ、という感じで、教育されるのである。「性教育」というかたちで行われるようなものではないが、人と人の距離が近く、スキンシップが密な国であるからこそ、その中でまずは、子ども達は何が心地よいことかを学び、何はいやだ、と言うべきことかを学び、自分自身と自分の体を大切にすることを学ぶのだ、ということは、外国人である私にも、よくわかった。

 最近、フランスにおける性教育について書かれている文章を読んだが、おおよそ、わたしがブラジルで感じていたことと似ている。フランスではさらにシステマティックに6歳くらいから学校で「性教育」がおこなわれているといい、その性教育の内容は決して性行為を教える、とかそういうものではない。性教育として6歳の子供に教えることは「あなたの体はとても大切なもの。特に水着に隠れる部分は、だれも見たり触ったりしてはいけない。そうする人はおかしい。そんなことになったら、その場から逃げるか、大きな声で叫ぶこと」[i]なのだという。

 ブラジルに住んでいたとき、常々、この国では「痴漢」は考えにくいな、と思っていた。誰かがバスの中で女性を触ったりしたら、女性が絶対に黙ってはおらず「誰の手なの、これは! あなたはこういうことを自分の母親や姉にできると思っているの、恥を知りなさい!」とその場で言うであろうことが、十分に想像できたからだ。そして日本の私たちは、なぜそれが言えないのだろう、とずっと考えてきた。そしてそれは、例えば、上記のフランスの性教育の基礎、「あなたの体はとても大切なもの」ということを、文化的にも、親子の関係においても、さらには学校においても、言語を通じても、態度を通じても、先の世代が子どもたちに教え損ねているからではないのか。西洋が進んでいて、こちらは遅れている、の話は聞き飽きているが、それでもまだまだ、この近代化された日本で若い世代が自らの体を大切にするために、やらなければならないことがあるような気がする。ブラックバイト対策にも、過労死対策にも、そしておそらくは自殺対策にも、自らの体を大切にする強さ、こそが根底に必要とされているはずなのだ。


[i] 高橋順子「なぜ日本の性教育は"セックス中心"なのか ―日本と全然違うフランスの教え方―」PRESIDENT online 2019/07/02 https://president.jp/articles/-/29133

閲覧日2019年10月13日

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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