第67回
献身のエトス
2020.02.19更新
人が人の面倒をみる、ということは、肯定的に語られなくなった。そのこと自体、つまりは、そんなに無理して人の面倒は見なくてもいい、という雰囲気自体に、ずいぶんと私たちひとりひとりは助けられているのだ。子育ては大変です、と言っても良いことになった。まあ、端的に言って、実際に大変なことだから、大変だと言っていいと思うし、いま子育てのさなかにおられるかたは、確かに大変だと思うし、周囲が助けるべきだし、少子化の現在、ひとりひとりのこどもの健やかな学びのために、行政も支援すべきである。そのとおりである。介護保険をはじめとする介護のシステムも、まだまだご批判はあろうが、基本的には、女性や家族に介護を押し付けるべきではない、という発想が背景にある。家族で介護するのは大変なのだから、とりわけ、家にいる女におしつけるのは理不尽だから、どのようにして社会的に助けるのか、という発想で私たちは考えるし、そのようにシステムも整備されつつある。もちろん十分ではない、という、当事者の思いはまだまだあると思うが、基本的に、個人や家族に無理を押し付けない、社会でみましょう、という発想はしっかりと根付いていると思うし、それは実にけっこうなことで、実際に私たちは助けられているのだ。こういうことについて、少しずつだが、良い世の中になっている、という言い方をしても、間違いではないと思う。
そういうことになっているから、「献身のエトス」というものは、ありがたがられることも、愛でられることも、あんまりなくなっている。家族のために、家族の安寧のために、ひとりひとりがきもちよく暮らせるように、この人のために、影の存在として身を粉にして働いて、それが私の幸せです、などという女性は、おそらく一昔前にはたくさんいて、たくさんいたぶん、そういうことをよしとしない、と思う人も多かったわけだから、いまどきは、はやらなくなった。そういう方も実際にはまだたくさんおられるのだろうが、「わたしは家族のためになんでもやってあげるのが幸せです」などとまわりに誇りを持って言えなくなって、そんなこと言おうものなら、あら、あなた、そんなに無理しなくても、もっと自分の時間を楽しんだらいいわよ、とか、もっとあなたの人生を生きたほうがいいわよ、と、人のために生きる人生は、自分自身を生きる人生ではない、と言われるのが、今の時代である。何度も申し上げているように、それは基本的にはよきことなのである。ひとりひとりが、自分がやりたいことを追求したり、あるかないかわかりはしないとはいえ、自己実現なるものを目指したとしても、誰も文句を言わないのである。
しかし、「献身のエトス」は献身されるものの幸せ(迷惑かもしれないが)ではなく、献身する側の生きるよすがを提供するものである。だいたい、献身する相手がいる、ということが、自らが努力の上で築いてきた人間関係の上に自分が立っている、という証でもあるのだ。だれでも、だれにでも献身させてもらえるものではない。子育てがおわり、おおよその介護も、親から配偶者までほとんど終えてしまった自分の感覚からしても、よくわかる。幼い人なら誰でも育てさせてもらえるわけではなく、逝く人なら、誰でも自分が看取ることを許されているはずもない。身近な世話をさせてもらうことは、特権であり、世話をさせてもらう人は選ばれている。世話をさせてもらうことは、信頼と社会的承認との果てに、可能なことなのである。既婚男性と不倫している女性には、わりとこういうことは、よくわかるんじゃないか。不倫している女性の多くの気がかりと、そのかなしみは、「この人が私の知らないところで倒れるのではないか、そして死ぬのではないか、そしてわたしはその場にかならずや、居合わせることはできない」ということである。どんなに身近でも、世話をさせてもらったりは、できないのが、不倫という関係だから。連絡が取れなくなることは、恐ろしいことであるし、愛する人を世話できないことは、かなしみなのである。
そのようにして思えば、人間関係の求める究極の姿は、世話をさせてもらうことであり、その人の生涯をみとどけさせてもらうことであり、それこそが「献身のエトス」だった、と思うし、繰り返すけれど、いまどき、そういうことは愛でられないのであるけれど、幸せなんてそこにしかないのではないか、とも、やはり、思うのだ。
「この世」から、「あの世」、「あの世」から私たちが生き得るべき「もう一つのこの世」、の道筋を自在に示した天才作家、石牟礼道子さんの三回忌だった。評論家であり思想史家、「逝きし世の面影」を書いた渡辺京二さんが、編集者として、秘書役として、最後まで石牟礼さんを一貫して支えておられたことは、ご本人の著作にも出てくるし、様々な記事でも取り上げられおり、よく知られている[1]。「もう一つのこの世」、という言い方自体、渡辺さんが使い始められた言葉だ。水俣病を題材とした「苦海浄土」となっていく、石牟礼さんの最初の原稿を受け取られたのが渡辺さんである。この人こそはすばらしい、と思う人を一貫して支えられた。あたりまえと思うだろうか。あたりまえであるはずもない。なにがあっても、ある人を一貫して支え続ける、という「献身のエトス」は、いかなることがきっかけであったとしても、献身する側の持続する意思と厳しい自己制御なしには、あり得ない。
渡辺さんの著作やインタビューによると、実際は、すべてはささげてません、自分の仕事もしていたし、本も書いていたし、家族の生活もあるし・・・、とおっしゃっているし、実際、とんでもなくレベルが高く、近代のありようを深く問うような著作を多く世に問うてこられた方であることは、いまさらいうまでもない。「逝きし世の面影」の渡辺京二であり、「黒船前夜」の渡辺京二であり、「バテレンの世紀」の渡辺京二である。石牟礼さんへの献身と、ご本人の仕事や家庭や親密な人間関係は矛盾せず並立している。様々な医療や介護のシステムを私たちはつくりあげてきたし、必要な時はもちろんそういったシステムにお世話になれば良い。しかし、できるだけ、人は、親密な人間関係の中で生をまっとうできることが幸せだし、公的なサービスではない、私的な関係性の中で、日々を生きていくことところにこそ安寧があるのだ、と、渡辺さんは思ってられたような気がする。システムがあろうが、なかろうが、誰かの一貫した「献身のエトス」こそが人を支える。
「献身のエトス」とは献身する人が男性であろうと女性であろうと、それは女性性に根ざしていることなのだろうと思う。日本のお母さんのほとんどは、長い時代を「献身のエトス」とともに生きてきたし、それを多くの日本人女性は体現していたが、全て失った。昔が良かったなどというつもりはない。決してない。それは苦しい時代だった。自由と社会的自立を得るための、女性活躍の時代に「献身のエトス」は、はやらない。しかしほんとうは「献身のエトス」は、社会的活躍と何の関係もない、次元の違うところにあるもの。「献身のエトス」の前には、恋愛とか結婚とか家族とか性愛とかは、カテゴリーとして小さくなってしまう。献身のエトスはすべてを超えると思う。どうすれば取り戻せるだろう。ただ、献身できる人間でありたい。それが憧れだ。
[1]渡辺京二「預言の哀しみ 石牟礼道子の宇宙II」弦書房、2018年。
米本浩二 「石牟礼道子と渡辺京二」 新潮 2020年1月号より連載中。など。