おせっかい宣言おせっかい宣言

第70回

道ならぬ恋の行方

2020.05.25更新

  2020年4月に入ると、新型コロナ・パンデミックによる緊急事態宣言で、「出張」は、なくなった。5月もその状況は続いている。国内、海外を問わず、どこにも出かけられなくなったのである。「出張」どころか、「出勤」も避けましょう、stay home、で、とにかくおうちにいることがすすめられる。しかたのないことだ。人類が経験したことのないウィルスが猛威を振るっているのだ。大げさじゃないか、という人もいたけれども、その致死割合が明らかになるにつれ、ただごとではないことに、世界の人が気づいた。ヒトからヒトへの感染なのだから、とにかく人に会わないこと。「出張」などしている場合ではなくなったのである。

 「仕事」と「出張」は、まあ、括弧付きではあるものの、「隠し事」をしたい方々にとっては、良い言い訳であった。家族への、完璧な言い訳であって、誰も文句が言えない。一旦外に出ると、誰が何をしているかわからなかったし、仕事です、出張です、というと、そうですか、というしかなかったし、携帯やスマホがあるからどこからでも適当に連絡できるものだから、仕事です、出張です、と言って、適当なことをすることができたのではないのか。「あったことをなかった、というのは、ウソだけれども、あったことを黙っていることはウソではない」とうそぶいていた友人もいたくらいで、みんな、一旦家を出ると、なにをしているかわからなかったし、わからない範囲で、extramarital affair (婚外性交渉のことであるが、日本語ではシンプルに"不倫"と訳される)も、数知れず行われていたことであろう。言い訳がなくなった今、みなさま、どうなさっているのだろう。

 「コンテイジョン」は、2011 年に公開されたハリウッド映画で、新しいウィルスによるパンデミックを題材にした、スリラー映画である。現在の新型コロナ・パンデミックと符合するところがあまりに多いため、あらためて話題になり、Netflixなどでもかなり上位にランキングしているので、ご覧になった方も多いであろう。アメリカCDC(Center for Disease Control)の専門家が監修していることもあり、そこで繰り広げられる対策も、専門家の動きも、リアルである。マリオン・コティヤール演じるWHO(World Health Organization)の疫学者は、美しくてかっこよくて、この映画を見て、疫学を志す女性が増えてほしい、とか思う私は、一応、疫学者で、疫学の方法を使って母子保健研究をしてきた。疫学なんてマイナーな分野であって、世の中の人に自分の専門分野を説明するのにいつも時間を要してきたのだが、今や、疫学を知らない人も、疫学者を見たことない人も、いなくなってしまった。こんな時代は、良い時代ではない。私たちは、影でひっそり仕事しているのが良い職種であることを痛感する。
 それはともかく、「コンテイジョン」は、香港に出張していたキャリアウーマン、グウィネス・パルトロー演じるベスが、空港で愛人に電話をしている場面から始まる。グウィネス・パルトローは、MCU(Marvel Cinamatic Universe)ファン、まあ、つまりは、アベンジャーズ・ファンにとっては「アイアンマン」の恋人、「ミス・ポッツ」そのものであり、かっこよくて、頭良くて、魅力的。「アベンジャーズ・エンドゲーム」で、今更、ネタバレでもないだろうから書いてしまうけど、人類を救うために犠牲になったアイアンマンことトニー・スタークの最後に寄り添う姿も素敵だった。昨年は、「アベンジャーズ・エンドゲーム」から「スパイダーマン・ファーフロムホーム」まで、アベンジャーズにどっぷり浸って楽しんだ一年であったのだが、かわいいトム・ホランド演じるスパイダーマンが、高校の修学旅行先として飛び回ったベネチアも、今や、観光に行ける人はいない。あっという間に世界が変わってしまった。
 で、グウィネス・パルトロー演じるベスは、夫と子どもを置いて香港に出張している。つまりは夫も家族もある人なのであるが、どうやら昔の恋人と切れていないらしい。昔の恋人とは、なんというか、しょっちゅう会うわけではないけれど、特別な関係であるらしくて、会える機会があるのなら、たまにでもいいから、時折会って、「愛の時間」を持ちたいような関係にある。出張の帰り、「シカゴで乗り継ぎなの。長くはないけど時間があるわ」という感じで、乗り継ぎ地のシカゴで、この愛人とどうやら親密な時間を過ごし、その後、自宅に戻り、痙攣を起こして死んでしまう。彼女の死に続いて、幼い息子もあっという間に死んでしまう。彼女の行動は、積極的疫学調査のもと、逐一、あとづけられることとなり、マット・デイモン演じる現在の夫は、妻と息子の死に衝撃を受けているところに、妻が昔の恋人と切れていなかったことも知ることになり、本当に気の毒な状況に陥るのだ。
 この映画では「1日に2000~3000回も人間は顔を触る」という、今となってはそら恐ろしいようなセリフも語られるし、怖いのはウィルスより、デマや陰謀やそれによって引き起こされるパニックである、ということも実にリアルに感じられる。この映画にオンゴーイングな状況を重ね合わせてみている人も多いことを受けて、マット・デイモンや、ケイト・ウィンスレットら主演俳優らは、Youtubeで現在の新型コロナウィルス感染防止のためのソーシャル・ディスタンシングや手洗いの重要さを呼びかけても、いる。さまざまなかたちで、あらためて話題を呼んでいるわけであるが、それはそれとして、「出張」と言う名のアバンチュールについて、考え込むのだ。

 ブラジルに十年住んでいて、研究者としての仕事をしていたので、しょっちゅう学会に出席することがあった。研究者というのは学会に属しているものであり、国内でも海外でも、学会が開かれ、学会、という理由で研究者は国内外のいろいろなところに出かけていくことができ、知らなかった人に出会ったり、昔一緒に学んだ人と旧交を温めたりしながら、新しい知識を得たり、他の人の研究に刺激を受けたり、自分の研究への他の研究者の反応を知ったりすることができる。そしてブラジルでは、学会とはそのような本来の目的以外に、「アバンチュールの場」である、と、認識されていたようであった。泊まりがけで親しい人たちと数日過ごすのだから、まあ、そういうこともあるんだろうな。日本の学会ではそんなことはあるかもしれないけど、あまりおおっぴらには語られないから、ブラジルでなるほど、そういうものか、と思った次第である。
 出張、仕事、学会。家という日常から、そのような外の非日常に出ていくことは、、実に良き言い訳であり、映画のようなことはまずおこらない、と、それぞれたかをくくっていたし、家族のほうも、お互い深入りせず、「仕事」とか「出張」とかいう理由を穏やかに咀嚼し、一見平穏な日々をみんなで過ごしていたのだ。
 ところがステイホーム。みんな、おうちにいるしかなくなった。誰も出張できないのだから、これらの言い訳はもはや使えない。道ならぬ恋を推奨しているわけでは、ぜんぜんないけれど、現実問題として、そこに紡がれていた数知れぬ人間同士の感情は一体どうなってしまうのであろうか。見つかったら困るようなことをするにせよ、しないにせよ、家から出かけて行って、出会う人との交歓は、生きるよすがや創造の源にもなり得ていたはずである。ステイホームで、家の中の穏やかな暮らしや家族との密な時間が持てていることを、悪くない、と思っておられる方も少なくないと思うが、その陰で、あまたの濃い人間関係は、やはり薄くなって行かざるを得ないのか、と思うのである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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