おせっかい宣言おせっかい宣言

第79回

運転

2021.03.29更新

 お彼岸なので、70キロ先の神奈川県藤沢にある主人のお墓に車を走らせた。電車だとたっぷり片道2時間はかかり、お墓の中も広いので、半日では終わらない墓参りになるのだが、車で行くと片道1時間かかるか、かからないか。家を出てお墓を掃除してお花をあげてお線香をあげて、3時間後には帰宅していた。お天気が良くて、春の風が感じられて、まさにお墓参り日和。法事ごとにお世話になっているお上人さんが「お盆とお正月、お彼岸が2回、と、年に4回、故人のことを思う機会がありますね。お盆とお正月はですねえ、暑かったり寒かったりしますでしょ、だからお家の仏壇でお参りをするのがいいですね。春のお彼岸と秋のお彼岸は、おひよりもいいですからねえ、お墓参りにぴったりなんですね」とおっしゃっていたのを思い出す。まことに、お彼岸は、お墓参りに良い気候なのである。我が家は高速のインターまで10分弱、お墓の方も、インターを出てすぐなので、ひたすら高速道路を走るとあっという間に着く。高速料金はびっくりするくらい高いので、実は滅多に車で行かないのではあるが、とにかく早いし楽なので、たまに使う。誰にもあわず、誰とも話さず、家から行きたいところに行って行きたいところに自力で帰ってくる喜びは、ちょっと他では味わえない。

 車の運転が好きか、と言われると、よくわからない。おそらく、そんなに好きではないのだと思う。苦にはならないし、いやではないが、車が好きな友人たちは、極力電車には乗らず、とにかくずーっと車にしか乗らなかったり、レースのためのライセンスとかとってしまったりしているところを見ると、私はそこまで車が好きな人間ではないと思う。好きで運転し始めたわけではなく、必要に応じて運転し始めた。運転免許は日本で取ったが、日本で運転をし始めることなく、海外生活に突入し、32歳の時、ブラジルで長男が生まれたので、やむなく運転することにしたのだ。  

 ブラジルは日本では考えられないくらいの車社会で、いわゆる中産階級というか、専門職を持っている人たちというか、そういう人で、ドライバーを雇えない人はみんな車を運転していて、子どもの学校への送り迎えから、子どもたちが友達の家に行く送り迎えまで、親がやっていた。今はドライバーを雇う代わりにUberを活用しているらしいけれども・・・。ともあれ、ブラジルで子どもがいたら、親は運転を始めるしかない。しょうがないので、恐る恐る左ハンドル右走行のブラジルで30過ぎてから運転し始めたのは、ちょうど30年前のことである。

 ブラジルで走っている車はほとんど国産車で、フィアットとかフォルクスワーゲンとかフォードとか、一見外国製の車だが、全てブラジル国内のsubsidiary、すなわち子会社で作っているのだ。この辺り、ブラジルやメキシコで作っている車を本国はどうやら輸入はしないらしい、というのを聞いてなんとも言えない気もしたが。当時トヨタとかホンダもブラジル工場を作って進出し始めていたが、まだまだ数が少なくて、カローラもシビックも大変な高級車、という感じで売られていた。私がブラジルで運転を始めた最初の車はフォルクスワーゲンの Golだった。これはいわゆる、よく知られた車種、ワーゲンのゴルフ、という車のことである。世界でよく知られたワーゲンの車、Golfだが、ブラジルではゴルフなどというスポーツは、全く人気がなく、国民に馴染みもないため、このワーゲンのGolfという車はブラジルではGolという車になっていた。Golは、ポルトガル語で、サッカーの「ゴール」を意味する。サッカー大好きなブラジルの人にとって、Golはとっても馴染みのある単語なわけで、そのようにしてフォルクスワーゲンのブラジル子会社は車名まで変えてしまっていたのである。

 30年前の1990年代、日本の車の7割はオートマチック車になっていたが、ブラジルには、オートマチック車はほとんどなかった。全くないわけではなかったがものすごい高級車だった。私のGolはもちろんマニュアル車で、しかも、パワーステアリングではなかったのでハンドルを力一杯回す、という感じの車だった。運転素人だった私は、マニュアル車を日本ではほとんどもう運転してませんとか、パワステじゃないとトラック回すみたいに力がいります、などということすら、わかっていなかったため、運転はそのようなものである、と理解して、パワステじゃないマニュアル車で運転していた。マニュアル車は、左ハンドル車では左手でハンドルを支えながら、左足でクラッチペダルを踏み込んで右手でクラッチ操作しなければならないのが、大変ではあったが、それしかないのだから、がんばるしかなかった。のち、パワーステアリングでオートマチックの車に乗るようになった時、あの初代のGolのハンドルのなんと重かったか思い出したりしたが、あれで別に不便はなかったので、今のように全てコンピューター化されている車が、なんとなく不安だったりするのである。

 まあ、そんなふうに車の運転を30代で地球の裏で始め、そのまま何度かの中断を経て、今も乗り続けている。女がどうこう、という議論は、いまどき、流行りもしないし、また、ポリティカリーコレクトでもない言い方になってしまったりしがちではあるが、それでもあえていうと、女性が車を運転する、というのは、いいことだと思っている。今や女性ドライバーは全く珍しくなく、特に地方では一家一台どころか家族それぞれが一人一台の時代になって久しいので、女性が車の運転をすることは全く珍しいことではない。それでもなお、女性が運転するのはいいことだ、と思っている。

 車の運転席に座るときに、ふつふつと湧いてくるような、自由な空気、というものが女性の心を強くするんじゃないか、と思うからだ。さあ、ここには誰もいない、誰もあなたを邪魔しない、エンジンをかけて、車を走らせれば、誰もあなたの行き先を邪魔する人はいない。あなたはどこにでも行ける。行きたいところに行ける。夜だって構わない。日本は女性が真夜中に一人で歩いて危険な目に遭わない世界で珍しい国なのであるが、とは言え、夜中に好きなところに行けるわけではない。車に乗れば、行ける。真夜中に思い立って、車に乗れば、安全にどこまででも走っていける。地の果てまでだって行ける。あなたは、本当に自由だ。実際にはそんなことできないかもしれないけれど、それをやってもいいんだ、と思える気分に、運転席に座る時に、いつも思う。私は自由だ、どこにでも、私の力でたどり着くことができる、道が続いていたらどこまでも行ける。

 同時に、逆説的なようだけど、車のエンジンをかけたら、あなたは、どこに行くかわかっていなければならない。黙って寝ていても目的地に運んでくれるバスや電車や飛行機ではない。車はあなたがあなたの行く先を決めて、あなたが意思を持ってそこまで行こうとしなければならない。いろいろな道筋や行き方はあなたが選ばなければならない。車を運転するとは、絶え間ない意思決定の連続で、それはまた、運転するものの心を強くする。数限りない人が運転している今、こんなこと当たり前だろう、と言われるかもしれないが、女性が運転するのはすごくいいことだ、と思っているのは、この、「いつだってどこにだって私は行けるぞ」という気分と、「絶え間ない自分の行き方の選択」を迫られることが、とりわけ女性にとっていいトレーニングになると思っているからである。

 とは言え、車の運転は死ぬまでできるわけではない。あと10年前後で運転免許返納かなあ、と思いながら、いましばらくは、気をつけながら、この運転席にすわった時の湧き上がる自由の気分を感じていてもいいかな、と思うのである。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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