第85回
ウォラムコテ
2021.09.08更新
いまさら、なのではあるが「ゴールデンカムイ」にハマっている。2021年8月現在、週間ヤングジャンプ連載8年目に突入し、単行本は1,600万部を売り上げ、現在最終章に突入している、大人気マンガなので、まことに、いまさら、である。
2021年、緊急事態宣言が続いている東京だが、6月末に一瞬、宣言が解除されたことがあって、ずっと行こうと思っていた北海道ウポポイに行ってきた。国立アイヌ民族博物館を擁する、2020年にできた「民族共生象徴空間」であり、慰霊施設がある。大学の場に身を置くものとしては、慰霊施設は行かねばならないところ、と思っていて、機会を伺っていた。緊急事態宣言が解除されても、学生を相手にしている対面授業を行っていたら、なかなか動く気にならなかったのだと思うが、4月から、研究休暇をいただいていて、授業をやらずに研究のみに専念していい、という文字通り有難い環境を提供してもらっているので、思い切って、小樽とウポポイに出かけたのであった。
小樽に行ったら、あちこちに「ゴールデンカムイ」のポスターとか登場人物が描かれた立像(紙製だけど)とかがあって、「北海道はゴールデンカムイを応援しています」というメッセージがたくさん。ウポポイに行ったら、7月から「ゴールデンカムイ」の特別展をやる、とも書いてあって、うーむ、ずっと前から気になっていたけど、読んでいなかった、これは読まねばならない。「北海道はゴールデンカムイを応援しています」、って、実際に北海道観光振興機構が企画しているA R(Augmented Reality:仮想現実)ツアーの宣伝文句らしくて、まさに道庁キモ入り、なのであろうか。で、こんなに全道あげて応援するような、アイヌの女の子が主人公のマンガだから、小学校の図書館などに推薦図書として入れるようなタイプのマンガだろうと、勝手に思っていた。
全然そうじゃなかった。ヤングジャンプで青年向けなのだから、当たり前かもしれないが、読み始めたら、小学校の図書館にとてもおけそうにない。戦闘シーン満載で、残虐で、エロティックで、グロくて、想像しうる限りのあらゆる種類の変態的キャラが、次々と、これでもか、これでもか、というほど登場し続けて、いやあ、失礼しました。小学生の子どもがいたら、ちょっと、おすすめできない、というか、小学生の子ども、きっと読むと思うけど、こっそり読むようなマンガなのであった。いや、わかんないけど。アニメにもなってるし。北海道は応援しているんだから、すべての公立学校にあったりするかもしれないんだけど。だとしたら、それはそれですごいことだな、と思いますが、それはともかく。
常々、マンガが近現代史を総括している、と思うところがあったが、このマンガもそのラインに入るような、明治末期を舞台にした「大活劇」である。主人公の名前、杉元佐一は、北海道出身の作者、野田サトルさんの曾祖父の名で、日露戦争で203高地や奉天会戦を戦った人であり、札幌市公文館に資料があるのだという。戦争に従軍した先の世代の戦争の記憶、彼らの想いを蘇らせることを、若い世代がえがく、ということ自体、この国では誠に稀有なことなのが、わかるだろうか。ひいおじいちゃん、あの世で、喜んでるだろうなあ。こんなかっこいいマンガ主人公に転生しちゃって。ひいおじいちゃん、モテてますよ! 大人気ですよ! よかったですね!
ということで、すっかりおもしろくて、感動して、一気読みしてしまった。9月半ばまで全話無料公開、という太っ腹な「となりのヤングジャンプ」サイトで読んだのだが、その後、結局、全巻大人買いしてしまったので、全話無料公開、のストラテジーは正しい。「ゴールデンカムイ」は、ついつい、読み直したくなるから、無料で読んでも、結局、買ってしまうのだ。先住民史に向き合い、シリアスで、残虐で、エロティックなのに、一貫してその底に流れている「なんだかとても楽しい」感じが、再読、再々読に向かわせるのである。それにしてもマンガと音楽の世界では、若くて才能ある人がどんどん地方からで続けているのが心強い。
「ゴールデンカムイ」、何にも考えなくても、ただただ、おもしろい極上エンターテインメントなのだが、アイヌ語やアイヌ文化についての記載は、もちろんあちこちにあり、考えこんでしまうところも多い。物語の後半(254話)、アイヌの少女アシリパがイギリスの「ジャック・ザ・リッパー」を模して娼婦を次々に殺していった犯人を追い詰める場面で、アイヌの言い伝えが紹介される。
アイヌの言い伝えでメナシパという島があって、その島は女しかおらず、東の風にお尻を当てると女は子どもができる、という言い伝えがあるらしい。自分もお母さんがそうしたから生まれたの、ときく幼い頃のアシリパに、父親は「アシリパが生まれたのは私がお前の母リラッテとウォラムコテしたからだよ」と答える。ウォラムコテ。「互いに心をつける」という意味の、美しい表現である。
そういえば、アイヌの挨拶、「イランカラプテ」は「あなたの心にふれさせてください」ということだった。これは、長男が通っていた中学校では、社会科の授業が始まる前に「起立、礼」のかわりに「イランカラプテ」というんだ、それは、あなたの心にふれさせて、というアイヌの挨拶なんだよ、と言っていたから、以前から知っていた。いまでは、北海道の翼エアドゥにのると「イランカラプテ」という機内放送が流れるし、それこそ「ゴールデンカムイ」のヒットで有名になっているかと思うが、長男の通った中学校では何十年も社会の時間はイランカラプテ、ではじまっていたらしい。そういうことは、本人も家族も忘れないものである。先生、ありがとう。ともあれ、「アシリパは、アチャ(父)とハポ(母)がウォラムコテ、愛し合ったから生まれたんだ」、と、アシリパの父は伝える。アシリパは誇り高い表情で、それを口にする。
両親が愛し合ったから生まれた。それは子どもの自己肯定感につながる。それが何よりの性教育にもなる。あたりまえだ。今、時代はずいぶんと変わろうとしているというか、変わってきていて、現在では約16人に1人のこどもがなんらかの生殖医療で生まれる。そのうち8割はFETと呼ばれる凍結胚移植で生まれている時代なのである。専門家は、そのようにして生まれる子どもたちが将来どのように育っていくのかについてベルギーの研究所はフォローアップ研究を続けている、と報告している(1)。長期的な影響についてはわからないが短期的に特に問題がなければ、ゴーサインを出すのは、生殖医療に限らないほとんどの医療技術や医薬品開発で使われていることからもよく知られている。
ともあれ、子どもたちには、まず、育っていく上でストーリーが必要で、あなたが何故この世に誕生したか、は、科学的な話ではなく、その家庭ごとの「神話」が求められる。補助医療を使ってセックスを経ずに生まれても、両親がセックスという方法ではないけれど、愛し合って別の方法を考えたわけだ。子どもに、「互いに心をつけあっていたから」、あなたがここにきたんだよ、とはまちがいなく、言えるし、養子縁組でも、言える。「ウォラムコテ」は、まことに、この時代にも通用するのだ。
生殖補助には、多くのヴァリエーションがある。第三者の精子提供を受ける人は以前からいたのだが、今は専門学会が指針を作る必要があるほどに、事態は進んできている。まことに「女性だけ」で子どもをつくることが技術的には可能であり、そのように生まれてくる子どもも増え続けている。どのシングルマザーも、幼い子どもにどういうストーリーを準備するのか、考え続けていると思う。思えば、それは別に新しい話でもなくて、昔から、「お父さんとお母さんが愛し合ったから生まれた」と説明できない子どもは、いつもいた。私生児と呼ばれた子どもたち、性的暴力で生まれた子どもたち、彼らが生き抜くために、それぞれのストーリーが紡がれたことだろう。「お尻を東の風に当てたら子どもができた」をはじめとする、世界中に残る処女懐胎のストーリーは、何より子どもたちのためにつくられたものだったのかもしれない。
もっとも有名な聖母マリアの処女懐胎のストーリーが、どれほどの人に大切にされているか、を考えると、人間は技術を発展させても、似たようなところにいつも立っているらしい。「ゴールデンカムイ」の完結をドキドキして待ちながら、先住民の知恵も、時代を生き延びた宗教の教えも、古びることがないことに、あらためて気づくのである。
(1)石原理 『生殖医療の衝撃』2016年、講談社現代新書