第86回
産まなかった人は
2021.10.12更新
出産の経験の重要であること、素晴らしいものでありうること、それは女性にとっても子どもにとっても、ひいては父親や家族全体に影響のありうるものであること、について、語る機会があれば、何度も語ってきた。人間が人間を産み出す、ということをあだおろそかにできるはずもない。痛い、つらい、苦しい、と言われる出産であるが、どうも、それだけではないのではないか、ということに思いがいたるようになったのは、20代はじめのころに、朝日新聞に連載されていた藤田真一氏の「お産革命」(1) を読んだり、フランスのピティビエ病院で水中出産をはじめたミシェル・オダンの仕事を知るようになったことから始まっていると思う (2)。オダンの病院で出産した女性たちの様子は輝くように美しく、歓喜に満ちていて忘れがたい。その後、日本の助産院や産院でのお産の手記をたくさん読んだり、助産婦さんの話を聞いたりしてきた。陣痛は、痛いことは痛いのだが、大けがをして痛い、とか、そういう痛みとは違う。子宮が赤ちゃんをおしだすために収縮と弛緩を繰り返す。それは寄せ来る波のようなもので、波と波の間、つまり収縮と収縮の間には、ひきこまれるように眠くなるくらい気持ちが良かったりする。自分が宇宙の塵になってしまったみたいなことを感じたりする。ああ、全部つながっているんだな、ということが一瞬でわかったりする。そういう出産を「原身体経験」、と呼んでみたりした。太古の人間がおそらく日常的にもっていたような、すべてがつながっている、という、自信と信頼に満ちた経験である。
・・・とか、出産の経験の素晴らしさをあれこれ、語ったり書いたりしていたが、「そういうことができない人もいるのに、何を言うのか」とか、「わたしは、そういうことできませんでした」とか、「帝王切開になってしまって、思っていたことと違いました」とか、言う方がでてくる。まあ、そういうものだと思う。人間、なんでも、思い描いていたような理想的な体験ができるとは限らない。私だって二人子どもを産んでいるが、自分で書くような「原身体経験」みたいなお産はしていない。していないが、している人は確かにいて、それは観察可能な経験で、そしてそういう経験は、なにより女性を本当の意味で強くする。子どもを育て、家族の要となり、自分につながる人を幸せにする力のあるような人になっていく。びっくりするような社会性もでてきて、自分と子どもの生きていく社会はこうであってほしい、とか、仕事、という範疇で簡単にくくれないような、ラディカルな動きかたができるようになったりするのだ。
だからこそ、お産でそういう経験ができなかった人にこそ、その後の子どもを育てる上で、さまざまな、身体的に「うわあ、これ、楽しい!」と得心してもらう経験を、一層、提示していく必要があると思って、母乳育児をすすめたり、「おむつなし育児」を研究したりしてきたのである。「そんな母乳とかおむつなし育児とか、手がかかって、全部女性に負担を強いるものだ」、とか、すぐに、言われるのだが、「なんだかこれって楽しい」というスイッチがはいらないままに、子どもを育て、家族の中心になっていくことこそのほうが、大変なのだから、やっぱり、少数派となっても、本来の「うわあ、なに、これ、楽しい、おもしろい、きもちいい」という感覚を妊娠、出産、子育て、で感じてもらって、まあ、ひとことでいえば、元気な女性になってもらいたいのである。女性が元気ならば、世界は明るくなるからだ。やっぱり。
「産めませんでした」と言う女性は、でも、現在、とってもたくさんいる。「産みませんでした」、と言う女性たちもたくさんいる。私が出産のすばらしさ、子育ての楽しさ、みたいなことを口にすると、なんだか肩身が狭くなってしまう女性たちもいると思うのだが、いやいや、そんなことはありません。産まなかったあなた、産まないままに更年期を迎えました、というあなた、あなたの姿は、先に逝った世代の夢の実現です。いま60代の私の祖母の世代、いや、母の世代だって、女は子どもを産むもの、と思われていて、産まないと責められた。周囲が優しくて、言葉で責められなくても自分はなんとなく辛い思いをした。子どもをたくさん産んで、家庭を守る以外にやりたいこともあったけど、そんなに簡単にできなかった。山口県に生まれ育ってそこで死んだ祖母は、非常に聡明で手仕事も、商いの仕事も、家庭の切り盛りも、人の世話も、すべてみごとにさばき、有能な人だったが、小学校に行く以上の教育を受ける機会はなかった。シャンソンが好きで、外国に憧れても、いた。もっと勉強したい、もっと勉強したい、と言っていた人だったができなかった。母は高校までは行ったけれど、そのあと早くに結婚して、美容師になりたかった、とか、もっとやりたいことがあった、と言っていたけれど、誰でもそんなふうな夢を追える時代では、まだ、なかった。わたしが20代のころだって、女性たちは、結婚しなければならないのではないか、子どもを産まなければならないのではないか、という感じから、完全に自由であった、とは言いがたい。
今は違う。誰もあなたに子どもを産むことを強要しない。いや、言葉で言われなくても、態度であらわされてます、とおっしゃるむきもあるだろうが、まず、言葉で言うことはよろしくない、と、わりとおおかたが思うようになったことは、とても重要なのである。いまどき、子どもを産め、とか、産まないの、とか言われると、それはもう、社会的にはハラスメントの類である。やりたい仕事や、やりたいことがあれば、いや、べつに格別やりたいことなんかなくても、女性が子どもを産まずに生きることは、随分と、やりやすくなった。
産まなかったあなた、そういう人生は、母たち、祖母たち、あるいはもっと前の女性たちの希望が顕現している、ということだ。産まなかったことで責められたくない、自分の人生を生きたい、やりたいことをやりたい、産まない人生を選びたい、と思っていた女性たちがたくさんいて、その女性たちは、もう、この世にはいない人がほとんどだけれど、いま、「産まなかったあなたの人生」を、どれほどそれこそあちらの世界から喜んでくれているか、考えるといい。いや、そう言ういい方は好きではない人もいるでしょう。言い方を変えよう。自分が歩むようになった「産まなかった人生」は、何世代もの女性たちが闘って、勝ち取ってきた女性の生き方なんだ、ということである。
産まなかった人は、自分の存在は、先に逝った世代の女性たちの夢の体現だと思って、もう、ほんとに堂々と、楽しく、豊かにその生を楽しんでほしい。その上で、やっぱり、ある程度の年齢になったら、なんらかの形で次の世代に関わってもらうと、それはあなたの喜びにも通じると思う。甥や姪や親戚の子どもをかわいがったり、地域の子どもに心をかけたり、そんなたいそうなことでなくても、職場やいろいろなあつまりで、自分より歳が若い人に優しくしたり、そういうことでいいと思う。次の世代に関わることで、自分が産まなくても、あなたの存在を次の世代につないでいける。自分のことをふりかえってみよう。自分に影響を与えた女性は、おそらく、母だけではあるまい。たくさんの先を行く女性たちに助けられ、愛され、教えられてきた。そういう存在になればいいのである。
でもやっぱり、出産できる年齢の人には、その人が望むならば、そして、できることならば、妊娠、出産、という経験をしてほしいな。それは女性の体にとって、祝祭の経験だから。
(1)藤田真一『お産革命』朝日新聞出版、1979年。
(2)英隆、コリーヌ・ブレ『水中出産』集英社、1983年。