おせっかい宣言おせっかい宣言

第90回

プリンセス

2022.02.13更新

 お姫様、は、長く女の子の憧れであった。何に憧れていたのか、というと、それは、おそらくは、まず、あのふわふわとして、裾が長く、ふんわりとひろがったドレス姿、上半身が細く、ウエストからゆたかにひろがったパステルカラーのドレスではあるまいか。シャンデリアかがやく舞踏会やお城に憧れた、というのもあるかもしれない。すてきな王子様があらわれて、愛を語ってくれたり、ドレスごと抱き上げてくれたり、というのも、憧れだったように思う。そういうまさに、西洋的文脈のプリンセスに、東洋の果てにいる日本の女の子も憧れた。

 「シンデレラ」とか「眠れる森の美女」とか、どれも、男に幸せにしてもらったり、男を待っていたりする女、とかの話なので、とんでもない、ということで、今どきポリティカリーコレクトではない、といわれるのであるが、いわれるまでもなく、憧れの像は変わってきている。今どきの女の子はお姫様に憧れているけれど、彼女たちの憧れるお姫様は、自立して、自分の考えを持って、自分の自由のために行動するようなお姫様なのであって、運命を甘受するような、儚げなお姫様ではないのである。それでもやっぱり自立したお姫様も、ふわふわのドレスを着たりするようだ。

 とすれば、いまどきはお姫様の、何に憧れるのか。冒頭に書いたが、素敵なふわっとした裾が長くパニエのはいったような、ロングドレスを着ることだろうか。お城のようなすまいのレースの天蓋のついたベッドで眠ることだろうか、とんでもなく美味しいものをナイフとフォークでいただくことだろうか、王子様とダンスを踊ることだろうか、「平民」に向けて言葉をかけ、愛されることだろうか。

 まあ、最後の、平民とか国民とか、そういう人たちに向けて言葉をかけて愛されることに、誰も憧れてはいない気がする。そう思えば、憧れは、ドレスとお城とお食事と王子か? お姫様に憧れるって、そういう端的に、物的なことなのか。確かに、昭和30年代生まれの私の子どもの頃、ドレスやお城やディナーや王子は、憧れであった。手の届かぬ憧れであった。森下洋子さんが天才少女バレリーナとしてデビューされた頃で、当時の女の子はみんなバレエに憧れた。憧れたけど、バレエが習える女の子なんて、ほんのひと握りで、多くの女の子にとってバレエはただの高嶺の花だった。今も覚えているけれど、当時の少女マンガ雑誌が「赤いトウシューズ」を抽選で一人にプレゼント、みたいなことをやっていて、バレエを習ってすらいないのに、必死で応募する少女たちがたくさんいたのだ。もちろん憧れたのは、バレエの体現しているお姫様の世界で、ふわふわしたバレエのチュチュに憧れていたのであり、それに加えてお稽古するレオタードとトウシューズに憧れていたのか。

 それから半世紀ほど経ってみると、バレエなんて誰でも習えるようになった。子どもの時に習わせてもらえなければ、大人になって習えば良いのである。今どきのバレエ学校は大体どこでも大人向けのバレエクラスを持っていて、そこでは50代、60代、という人たちが平気でバレエを習っている。お稽古すればトウシューズだってはかせてもらえるし舞台にも出られる。もちろん、そんなハイレベルなものじゃないけれど、十分に夢は叶えられるようになった。かくいう私も、幼い頃バレエに憧れて、でも、とてもじゃないけど習わせてもらえなくて、ずっと心残りだったから、20代になって自分で稼ぐようになってから、しばらくバレエ学校に通った。今から40年近く前のことで、その頃は、まだ大人になってからバレエを習いたいなんていう人はほとんどいなかった。とはいえ、すでに、世の中にカルチャーセンターなどもできてきた頃だったから、そういうところで習えたし、何とか、バレエ学校に通うこともできたのである。もちろん幼い頃からやっている人のように踊れるはずもないのだが、それでもレオタードにピンクのタイツでお稽古に行き、トウシューズはいて、花のワルツなど踊らせてもらえたから、十二分に満足した。その頃から40年近く経った今、大人がバレエを習うことは、ごく普通になってしまった。お金を出せば、バレエという憧れには手が届くようになったのである。

 で、憧れるお姫様の、ドレスも、天蓋付きベッドも、素敵なディナーも、なんなら、お城と王子様のセッティングまで、何でもお金を出せば今ではできるようになったのだ。一昔前まで、ドレスというのは、結婚式でウェディングドレスを着る、くらいしか着る機会はなかったものだし、それも大したドレスではなく、親戚で洋裁をやっている人に縫ってもらう程度のものだったりしたのだが、今では、お金さえ出せば、イギリス王室の結婚式で使われたようなウェディングドレスだって着ることができる。別に結婚式をしなくても、写真館に行けば、いくらでもウェディングドレスだろうが、真っ赤なドレスだろうが、青いドレスだろうが、どんなドレスでも着せてくれて写真を撮ってくれる。いや、写真館など行かなくても、安くドレスを着てみたければ、メルカリでドレスを買って着てみればいいのである。結構、安い。ドレスは手が届くところにある。

 天蓋付きのベッドも、お城で振舞われるような豪華なディナーも、そりゃあ、お金はかかるけれども、お金を貯めれば、そういうベッドのあるホテルに泊まりにも行けるし、宮中で出されるような食事でも、いただくことができる。王子様と一緒にダンスしたり、は、それなりにハードルが高そうだが、こちらも、望めば、王子様みたいな素敵な人にダンスしてもらったり、エスコートしてもらったりするサービスも、探せそう。お金を払えば何でもできるようになってしまったし、たった一日でもそういう夢を叶えようとすることが、陳腐ではなく、あら、いいわね、夢の実現! という、笑顔で迎えられることになった昨今なのである。

 この徹底した世俗化が、近代、である。身の程知らず、と言われるようなことを、庶民が何でもやっていいし、やりたい、と言ってしまって、いい。ほんもののプリンセスは、役割もあり、責任もあるわけだが、憧れる部分だけ、お金を払って実現してしまえるようになったのである。近代の弊害、とか、いろいろ言われるけれど、そして、お金を払えば憧れが買えると言っても、お金がないのだ、とかいう方もあると思うけれども、それでも、やっぱりお金さえ払えば、何でもできるようになった、ということは、すごいことである。

 そうなってみると、「憧れのプリンセス」は、そんなに憧れるほどのことでもないような気がしてくるであろう。だって、なぜプリンセスに憧れるのかというと、繰り返すけど、ドレスや、天蓋付きベッドや、豪華な食事や、そういうものであって、プリンセスであることの責任とか、期待される行動とか、役割とかに憧れているわけではないからである。この徹底した世俗化の時代に、ほんもののプリンセスを引き受けることは、本当に大変なことである。責任や役割があるので、近代が各人に保証した行動の自由は制限され、近代以前にできてしまった仕組みの中で生きることが求められるから、ほんもののプリンセスは、実にご苦労が多いことになってしまうのである。もはや、憧れられないプリンセス、となってしまう。イギリス王室や我が国の皇室をみていて、ああ、私もああいうところでプリンセスになりたい、と、何人の少女が思うであろうか。ご苦労なさっているのだろうなあ、自由がなくて、大変だろうなあ、と、むしろ、庶民に心を寄せられるお姫様、王女様、本当にお疲れ様です、という目線になっているのだ。

 こういう時代であることを、私たちは、人間社会の発展の成果、と、理解しても良いと思うが、敬意や憧れに手が届いて陳腐化する時代に、節度を持って生きるために何を象徴とすれば良いのか、答えは簡単には見つからない。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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