おせっかい宣言おせっかい宣言

第99回

子供と危険

2022.11.27更新

 泳げる、というのは、どこまででも泳げる、ということなのだろう。泳げる人は、いうまでもなく、わかっていると思うが・・・。それは、学校やスイミングスクールで習ったから、25mプールを泳ぎきれる、とか、100m泳げる、とか、そういうこととは、別のことなのだと思う。川や海やプールに入って、いつまででも浮いていられる。どこまででも泳いでいける。どこまで行っても帰ってくることができる。足がつかないところでも怖いと思わない。足のつかないところで、水の中をどんどんもぐっていける。人間とは浮くものなのだ、と信じていられる。そういう感じだろうか。そんなふうには、私自身は、泳げない。いわゆる"かなづち"じゃなくて、泳げと言われれば、プールでクロールとか平泳ぎで50mくらいは泳げると思うが、水は怖い。足の立たないところは本能的に恐ろしい。どこまででも泳ぐこと、は、全くできない。
 ブラジル北東部ほぼ赤道直下の海岸沿いで育った息子たち(もう30代だが)は、両生類のように水陸両用、の感じで育った。長男も三歳頃には自在に泳いでいたが、次男はもっと早く泳ぎ始めた。北東ブラジルセアラ州フォルタレザという地方の200万都市に住んでおり、週末をすごす別宅を持っていた。・・・と書くと日本ではスーパー金持ちな感じがするが、ブラジルでは、いわゆる専門職に就いているような中産階級はだいたいみんな、週末を過ごすシチオと呼ばれる小さな別宅を持っていた。だいたいビーチのそばにあるか、プールがある。我が家にも小さなプールがあった。158cm の私も足が立たないような、小さいけれども深いプールだった。そこで、大人もこどもも、水にもぐって楽しむ。
 一歳八ヶ月くらい、歩き始めてまだ半年ちょっと過ぎた程度で、二歳にもなっていなかった次男は、プールサイドでかなり長い間ずっと水面を見ていた。おとなは、こどもがプールや水辺にいる時に、絶対に目を離すことはない。わたしも、だから、次男をじっと見守っていた。じっと水面を見ていた次男は、そのままぽちゃんと足からプールに飛び込む。私を含む周りの大人は、すわ、プールに飛び込んで助けなければ、と身構えた。身構えたのだが、見ていると次男はそのままぷかぷかと浮いてきて、泳ぎ始めた。誰も何も教えていないが、大人や他の子どもが泳ぐのは見ていたはずだ。犬かきのような、縦泳ぎのような独特の泳ぎ方で泳ぎ始めたのである。まわりのおとなは、うわあ、すごいじゃない、泳いでるよ、Kei・・・と、次男の初めての泳ぎを愛でていた。
 こうして次男は泳げるようになった。もぐったり、泳いだり、しながら、週末はずっとプールか海で過ごしていた。長男も同じである。彼らにとって水の中は地上と同じくらい自在に動けるところのようであった。次男にある時、「どうやって自分が泳ぐようになったか覚えている?」ときいたら、覚えてない、と言っていた。人間は泳げるよ、なんで泳げない人がいるのか理解できない、浮くでしょ、人間は・・、と言っていた。わたしたちがみな、なぜ歩けるようになったのか覚えていないように、彼もまた、なぜ泳げるようになったのか記憶にないのだ。八歳の時に日本に来て、あれほど水が好きだったから、プールに行きたいかと思って近所のスイミングスクールに行かせたら、どれも浅くて、もぐれないからおもしろくない、まっすぐ泳げばかりいわれて、つまらない、と言って、すぐやめてしまった。しかし泳ぐこと、水にもぐること、は機会さえあれば今も好きだ。子どもに、深いところでも泳げるようになるように教えたら、水の事故も減るのではないのだろうか。再度、私にはできないことだから、憧れており、子ども時代にそういうことを学べればよかったな、と思えるからである。
 こういうことを書いているのは、リスクとか、子どもの安全についての考え方がずいぶん日本と違ったな、と感じるからである。それがブラジル的なのか、西洋的なのか、ラテンアメリカ的なのかよくわからないが、とにかく日本とは考え方がちがっていて、私には学ぶところの多い、ブラジルの子育てだったのである。大人たちは子どもたちをよく見ている。目を離すことはない。目を離すことなく、深いプールでわざと泳がせる。そのようにして、子どもがおぼれることを避けられるように自分で水との付き合い方を学ぶように見守るのである。世界のあちこちの先住民と呼ばれる人たちがわざと子どもにナイフを持たせて危険を知らせようとしたり、熱いものを遠ざけたりしないで子どもに危険を教える、という考え方にも少し通じるような気もする。

 現代的な暮らしにおけるリスクの避け方についても、日本とはずいぶん違った。ブラジルのいわゆるアパートとかマンションとか、おおよそ2階以上の部屋がついている住宅で、幼い子どもがいる家には、全ての窓やベランダにフェンスか全面格子がつけられているか、転落防止用のネットが張られていた。防犯上の理由もあるとはいえ、マンションでは一義的に子どもの転落防止であることが多かった。幼い子どもは思いもかけないことをするものであり、大人はしっかりと子どもをみて、目を離してはいけないのは大前提だが、子どもは、一瞬の隙をみてなにをするかわからないのだ、という暗黙の了解があった。水にはいったり、ナイフを持ったりするのとは、違った種類の突然のリスクが現代的な暮らしには潜んでいるのだ。
 幼い子ども二人を育てていたわたしたちは、マンションの8階に住んでいた。そのマンションにはベランダはなかったが、すべての窓には、フェンス、つまりはあたかも牢獄のような、フェンスが付けられていた。見かけは悪い。外の景色がよく見えないわけだし、窓を見るとフェンスがあるのは、気分の良いものではない。しかしそれは必須、と捉えられていたことを思い出す。借家などでフェンスをつけられない場合は、ネットが張られた。窓やベランダに取り付けるネットが販売されており、それを取り付ける専門の業者さんもいた。親たちは、窓にフェンスも網もついていない家には、子どもたちを遊びに行かせなかった。そういうことを当たり前と思って子育てをしていたので、子どもたちが八歳と十歳になって日本に住むようになり、日本の高層マンションには、いっさい、網もフェンスもないことに、はっきりいって、大変な不安を感じたものである。あまりにも無防備で子ども本位ではない感じがした。
 この国でも、子どもの集合住宅からの転落事故予防について語られるようになってきた。先日ニュースをきいていると、どうすれば、転落事故を予防できるかについて提案されていた。ベランダに子どもがのぼってしまうようなものを置かないこととか、ベランダに施錠することとか・・・。子どもは一瞬で想像もつかないことをしてしまう、ということを考えると、幼い子どものいる家は、ベランダと窓にフェンスをつけよ、とか、網を張るべきだ、とか、そういう提案は、出てこないのが不思議だ。
 もともと木と紙でできていた、西洋文化からすれば、三匹のこぶたのお話でオオカミがふきとばしてしまうようなお家に住んできたわたしたちにとって、コンクリート製の「大きな建物」に住む、という感覚はまだよくわからないわけだろうし、ましてや高層建築でどのように子どもと住むべきか、ということもまだまだ感覚としてよく理解できていない。他国ではフェンス、網、全面格子、という解決がとられていることを学んでも良いのではないのだろうか。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 生まれたて! 新生の「ちゃぶ台」をご紹介します

    生まれたて! 新生の「ちゃぶ台」をご紹介します

    ミシマガ編集部

    10月24日発売の『ちゃぶ台13』の実物ができあがり、手に取った瞬間、雑誌の内側から真新しい光のようなものがじんわり漏れ出てくるのを感じたのでした。それもそのはず。今回のちゃぶ台では、いろいろと新しいことが起こっているのです!

  • 『tupera tuperaのアイデアポケット』発刊のお知らせ

    『tupera tuperaのアイデアポケット』発刊のお知らせ

    ミシマガ編集部

    10月の新刊2冊が全国の本屋さんで発売となりました。1冊は『ちゃぶ台13』。そしてもう1冊が本日ご紹介する、『tupera tuperaのアイデアポケット』です。これまでに50冊近くの絵本を発表してきたtupera tuperaによる、初の読みもの。ぜひ手にとっていただきたいです。

  • 「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    後藤正文

    本日から、後藤正文さんの「凍った脳みそ リターンズ」がスタートします!「コールド・ブレイン・スタジオ」という自身の音楽スタジオづくりを描いたエッセイ『凍った脳みそ』から、6年。後藤さんは今、「共有地」としての新しいスタジオづくりに取り組みはじめました。その模様を、ゴッチのあの文体で綴る、新作連載がここにはじまります。

  • 職場体験の生徒たちがミシマ社の本をおすすめしてくれました!

    職場体験の生徒たちがミシマ社の本をおすすめしてくれました!

    ミシマガ編集部

    こんにちは! ミシマ社自由が丘オフィスのスガです。すっかり寒くなってきましたね。自由が丘オフィスは、庭の柿の実を狙うネズミたちがドタバタ暗躍しています・・・。そんな自由が丘オフィスに先日、近所の中学生が職場体験に来てくれました!

この記事のバックナンバー

11月21日
第123回 グローバルとインターナショナル 三砂 ちづる
10月28日
第122回 再 ロングショットの喜劇  三砂 ちづる
09月26日
第121回 その国の雰囲気 三砂 ちづる
08月26日
第120回 よく眠れる 三砂 ちづる
07月29日
第119回 縁起が悪い 三砂 ちづる
06月25日
第118回 学び続ける姿勢 三砂 ちづる
05月27日
第117回 タレフェイラ 三砂 ちづる
04月26日
第116回 道楽 三砂 ちづる
03月30日
第115回 時間がない 三砂 ちづる
02月29日
第114回 教師生活の終わり 三砂 ちづる
01月29日
第113回 洗濯機鎮魂 三砂 ちづる
12月29日
第112回 戸籍 三砂 ちづる
11月28日
第111回 家計簿 三砂 ちづる
10月26日
第110回 文化の衣と哀悼と 三砂 ちづる
09月29日
第109回 呪縛 三砂 ちづる
08月30日
第108回 one to one 三砂 ちづる
07月28日
第107回 自分の機嫌は・・・ 三砂 ちづる
06月27日
第106回 つかないぱんたー 三砂 ちづる
05月30日
第105回 タバコのある風景 三砂 ちづる
04月24日
第104回 人間が生きているということ 三砂 ちづる
03月29日
第103回 手仕事と伝統工芸 三砂 ちづる
02月28日
第102回 拒絶される恐怖 三砂 ちづる
01月28日
第101回 嫁と姑 三砂 ちづる
12月27日
第100回 もしも 三砂 ちづる
11月27日
第99回 子供と危険 三砂 ちづる
10月28日
第98回 結婚 三砂 ちづる
09月28日
第97回 オフレコ 三砂 ちづる
08月25日
第96回 子どもについて 三砂 ちづる
07月29日
第95回 ボーダ 三砂 ちづる
06月24日
第94回 長寿県転落 三砂 ちづる
05月29日
第93回 顔が見えない 三砂 ちづる
04月16日
第92回 初めての北米 三砂 ちづる
03月16日
第91回 ダーチャ 三砂 ちづる
02月13日
第90回 プリンセス 三砂 ちづる
01月06日
第89回 寒い冬、寒い日本 三砂 ちづる
12月09日
第88回 タレフェイラ、シュトレイバー 三砂 ちづる
11月17日
第87回 前提 三砂 ちづる
10月12日
第86回 産まなかった人は 三砂 ちづる
09月08日
第85回 ウォラムコテ 三砂 ちづる
08月19日
第84回 マジョリティーの変容 三砂 ちづる
07月18日
第83回 マスク 三砂 ちづる
06月08日
第82回 ペットの効用 三砂 ちづる
05月09日
第81回 名前 その2 三砂 ちづる
04月08日
第80回 名前 その1 三砂 ちづる
03月29日
第79回 運転 三砂 ちづる
02月24日
第78回 かけおち 三砂 ちづる
01月28日
第77回 夢をみた 三砂 ちづる
12月24日
第76回 若い女性を愛する 三砂 ちづる
11月26日
第75回 ナラマニヤン先生 三砂 ちづる
10月26日
第74回 クリス 三砂 ちづる
09月21日
第73回 知らなかった力 三砂 ちづる
08月05日
第72回 胸痛む夏 三砂 ちづる
07月12日
第71回 失われる教育 三砂 ちづる
05月25日
第70回 道ならぬ恋の行方 三砂 ちづる
05月06日
第69回 その次のフェーズには 三砂 ちづる
03月27日
第68回 還暦を超えても楽しい 三砂 ちづる
02月19日
第67回 献身のエトス 三砂 ちづる
01月23日
第66回 親を許す 三砂 ちづる
12月20日
第65回 更年期  三砂 ちづる
11月22日
第64回 記述式 三砂 ちづる
10月16日
第63回 スキンシップと強さ 三砂 ちづる
09月15日
第62回 かわいやのー 三砂 ちづる
08月15日
第61回 屈辱感 三砂 ちづる
07月10日
第60回 "きれいにしていなくっちゃ"遺伝子 三砂 ちづる
06月06日
第59回 クローゼット 三砂 ちづる
05月08日
第58回 男女の心中 三砂 ちづる
04月06日
第57回 アイ・ラブ・ユー、バット 三砂 ちづる
03月13日
第56回 再発見される日本 三砂 ちづる
02月08日
第55回 求められる、という強さ 三砂 ちづる
01月07日
第54回 そういう時代 三砂 ちづる
12月10日
第53回 女性活躍 三砂 ちづる
11月12日
第52回 共有する物語 三砂 ちづる
10月10日
第51回 変わる家族 三砂 ちづる
09月10日
第50回 アジアの旅 三砂 ちづる
08月07日
第49回 仏壇 三砂 ちづる
07月08日
第48回 ランドセル 三砂 ちづる
06月09日
第47回 自営業の減少 三砂 ちづる
05月17日
第46回 「手紙」という資料 三砂 ちづる
04月09日
第45回 爪を染める 三砂 ちづる
ページトップへ