おせっかい宣言おせっかい宣言

第101回

嫁と姑

2023.01.28更新

 日本では、確執の代表みたいに言われる、嫁と姑である。もう、話題には事欠かないし、文学のテーマにもなっていたし、現実に、自分の母親が、義理の母親(つまりは姑)のことを悪し様に語る様子も、娘たちはよく観察していたのではないだろうか。なんだかどろどろしたものの代表みたいで、緊張する関係、と理解されている。そのように聞いているし、経験しているし、読んでいるし・・・であるから、みんなそう思い込んで、緊張感を持って接することになる。それはもう、文化、というものである。嫁と姑をめぐる、日本の文化。
 海外で長く暮らして、日本に戻ってくると、日本の文化に再適応するためには、海外で暮らした倍の時間がかかるのだそうである。この連載でも何度も書いているが、ブラジルで10年を暮らしたのちに日本に戻ってきた。それから20年は経っているので、もう、すっかり日本に再適応できたと信ずるが、なんと言っても暮らした10年間は40歳になるかならないか、までの、ほぼ30代の10年であったから、その影響は今も自分のうちにしっかりと刻印されている。ブラジル人の夫がいて、ブラジル人の親戚が山ほどいて、生まれた子どもたちは二人とも、のちには、日本の男の子として育っていくものの、当時は普通にブラジルで育つブラジルの子どもであった。30代だったから、夫と妻の暮らし、家族の暮らし、子どもたちの育ち方、などについて、それなりの若さとみずみずしさと驚きを持って、一つ一つ経験していき、今の私の根っこが形作られていったと言える。
 記憶にある限り、ブラジルでは、嫁と姑は、確執のある関係だ、とは、思われていなかった。そういう認識を持たれていなかった。ブラジルで話されているポルトガル語で、姑、つまり、義理の母はソグラ(sogra)といい、嫁、つまり、義理の娘はノラ(nora)というのだが、家族の話を聞いても、周囲の友人たちの間でも、ソグラとノラの関係は、結構ほのぼのとしていて、緊張感を持って語られていなかった。人間同士だから、そりゃあ、相性はあるものの、別に、取り立てて、仲が悪いものだ、という言い方がされていなかったのである。カトリックの国、ブラジルでは、母親像、というのはもう、絶対なのであり、母と息子は総じて仲が良い。誰とでも挨拶としてハグしてキスする国だから(この COVID-19パンデミックの間はさぞや寂しかったことであろう)母と息子も、いつもハグしてキスしているのが普通である。ブラジルの男は総じてマザコンであり、ママが大好きであり、いつもママに甘えたいのだ。親しい日本人の友人が、いかつい柔道の使い手である日系ブラジル人の40絡みの男性が、実家の母に会った時に、ママーイ!(mamaeがお母さんのこと)と言って、ソファーに座っている母親の膝に頭を乗せてゴロン、となるのを見て、心底驚いていたことを思い出す。これはブラジルで珍しい光景では、まったく、ないのだ。息子たちは生涯、ママに甘えているし、母親も息子を抱きしめて、可愛がっている。
 しかし息子は、自分の「男」ではないのだ。母にとって、息子は、息子であり、自分の「男」じゃない。自分は息子にとっての「女」、じゃないのである。だから、息子が「女」を見つけてくるとそれは母たちにとって、基本的にとても嬉しいことなのであった。だって、自分の可愛い可愛い息子を、男として受け入れてくれて、愛してくれる女性が現れることは、自分ができないことを全て息子にやってくれる女性ができた、ということで、母としては、ものすごく喜ばしいことなのである。自分は息子の「女」ではないし、息子と最後まで一緒に生きてやれるわけではない。息子を「男」として愛してくれて、一緒に生きてくれる女性が現れるなんて、あら、うれしや。なんと素晴らしいこと・・・・、と言った文脈で、いつもブラジルの家族のうちでは、語られていた。
 むしろ、ブラジルの家族の中で、葛藤がある、と言われているのは、夫と、妻の母親との関係であった。母親というのは、息子が可愛くてたまらないのだが、娘だって可愛い。自分が手塩にかけて可愛がって育ててきた娘が結婚したら、娘の夫は、娘を蝶よ花よ、と可愛がってくれて当然である、と母親は思う。見ていると、どうも、娘の夫は、娘を十分に可愛がってくれていないように見える、と娘の母はいつも不満を持ってしまう・・・ということらしい。つまり、夫にとって義理の母、というのがコワい存在であるらしい。ともあれ、嫁と姑は、問題ではなかったのである。姑は、ひたすら嫁をかわいがるし、息子に「女」ができたことを、心の底から喜ぶ。
 自分の生まれ育った文化はその人に色濃く影響を残すが、その後の人生のフェーズを過ごす場所の文化にもまた、人間は簡単に染められてしまうものである。そんなふうに染められてしまう、ということは、人間いつでも変わることができる、ということでもあり、幾つになっても違う人間になれる、ということでもある。その染められる幸せを求めて、ついふらふらとあちこちに住んでしまったような気もするのだが、それはともかく。嫁と姑が、確執と共に灰色の関係に塗り込められていた日本を出て、私の嫁姑に関する印象は、すっかりピンク色に塗り替えられてしまっていた。

 新型コロナ・パンデミックの真っ只中の2020年9月に長男が結婚した。結婚したというのに、気の毒に、パンデミックのせいで、結婚式も新婚旅行も思うようにならない。ハワイが大好きなお嫁さん(お嫁さん、って、今はきっと、反発を呼ぶ言葉なのであろう。でも他にいいようがないし、本人も嫌じゃないらしいので、使わせてもらう)は、ハワイで着るウェディングドレスを選び、トローリーを借り、お料理を出してもらうお店も決めて、親戚はみんなムームーとアロハで結婚式に参加、引き続きハワイで新婚旅行、という計画を立てていたが、あの2020年にそんなことができるはずもなかった。籍だけ入れて一緒に住み始め、結婚式ができたのは、それから一年以上のこと、ハワイは諦めて、東京での式となった。ハワイへの新婚旅行ができたのは、さらにそれから一年後。すでに子どもも産まれていたので、嫁のお母さんと私は、ハネムーンを楽しんでもらうためのベビーシッターとして、前半、後半に別れて同行したのである。
 お嫁さんというのはありがたいものである。なんと言っても、私よりも長男のことを気にかけて、手をかけて、愛を注いでくださるのである。結婚する前は、長男の出張予定も、聞けば、気になり、無事帰ってくるまで気が気ではなく、体調のことも気になった。しかし今や、長男には、私よりももっと、長男のことを気にかけてくれる人がいるのだ。いやあ、なんとありがたいことだ。私はすっかり長男のことを忘れてしま・・・ったりはしないが、気にならなくなってしまったのである。
 お嫁さんは日本で良き教育を受けてきた、礼儀正しい方で、きっと頭に嫁姑の確執のこともおありで、姑というのは息子を取られた、と思いがちなのであろう、と忖度してくださって、息子と私を二人で出かけさせてくださったり、「母息子水いらずで」ゆっくりしてください、とか言ってくださったりするのだが、私は別に、今更、息子と二人で、とりわけやりたい事など、特にないのである。息子にお嫁さんができて、子どももできて、今は息子はその新しい家族の中の息子なのであって、みんなで会えればそれで最高。家族が増えて、可愛いお嫁さんが来てくれて、もう、本当に嬉しくてたまらない私は、やはりブラジル文化のおかげで嫁姑関係にピンクの色を重ねられたのである。幸せなことだ。ほんとに。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

編集部からのお知らせ

三砂先生の新刊『ケアリング・ストーリー』(ミツイ・パブリッシング)が刊行しました!

9784907364298_600.jpg『ケアリング・ストーリー』三砂ちづる(ミシマ社)

ブラジルで子どもを育て、日本で父を介護し、夫を看取った疫学研究者が、人生の後半に綴るエッセイ。「父の元気なときは、これ食べすぎちゃ『からだにわるいよ』と言い、認知症になってなにもわからなくなってからは、食べないと『からだにわるいよ』と言ってしまう娘は、どうすればよかったんだろう、と、いまも、わからない」。介護や看取り、家族や夫婦の関係などを、国際母子保健の世界を渡り歩いた経験を交えて浮き彫りにする。誰かを気にかけたり、大切に思うこと=「ケアリング」という言葉から広がった25篇のストーリー。

(ミツイ・パブリッシングさん書誌ページより)

『ケアリング・ストーリー』書誌ページ

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 斎藤真理子さんインタビュー「韓国文学の中心と周辺にある

    斎藤真理子さんインタビュー「韓国文学の中心と周辺にある"声"のはなし」前編

    ミシマガ編集部

    ハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞により、ますます世界的注目を集める韓国文学。その味わい方について、第一線の翻訳者である斎藤真理子さんに教えていただくインタビューをお届けします! キーワードは「声=ソリ」。韓国語と声のおもしろいつながりとは? 私たちが誰かの声を「聞こえない」「うるさい」と思うとき何が起きている? 韓国文学をこれから読みはじめる方も、愛読している方も、ぜひどうぞ。

  • 絵本編集者、担当作品本気レビュー⑤「夢を推奨しない絵本編集者が夢の絵本を作るまで」

    絵本編集者、担当作品本気レビュー⑤「夢を推奨しない絵本編集者が夢の絵本を作るまで」

    筒井大介・ミシマガ編集部

    2024年11月18日、イラストレーターの三好愛さんによる初の絵本『ゆめがきました』をミシマ社より刊行しました。編集は、筒井大介さん、装丁は大島依提亜さんに担当いただきました。恒例となりつつある、絵本編集者の筒井さんによる、「本気レビュー」をお届けいたします。

  • 36年の会社員経験から、今、思うこと

    36年の会社員経験から、今、思うこと

    川島蓉子

    本日より、川島蓉子さんによる新連載がスタートします。大きな会社に、会社員として、36年勤めた川島さん。軽やかに面白い仕事を続けて来られたように見えますが、人間関係、女性であること、ノルマ、家庭との両立、などなど、私たちの多くがぶつかる「会社の壁」を、たくさんくぐり抜けて来られたのでした。少しおっちょこちょいな川島先輩から、悩める会社員のみなさんへ、ヒントを綴っていただきます。

  • 「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    後藤正文

    本日から、後藤正文さんの「凍った脳みそ リターンズ」がスタートします!「コールド・ブレイン・スタジオ」という自身の音楽スタジオづくりを描いたエッセイ『凍った脳みそ』から、6年。後藤さんは今、「共有地」としての新しいスタジオづくりに取り組みはじめました。その模様を、ゴッチのあの文体で綴る、新作連載がここにはじまります。

この記事のバックナンバー

11月21日
第123回 グローバルとインターナショナル 三砂 ちづる
10月28日
第122回 再 ロングショットの喜劇  三砂 ちづる
09月26日
第121回 その国の雰囲気 三砂 ちづる
08月26日
第120回 よく眠れる 三砂 ちづる
07月29日
第119回 縁起が悪い 三砂 ちづる
06月25日
第118回 学び続ける姿勢 三砂 ちづる
05月27日
第117回 タレフェイラ 三砂 ちづる
04月26日
第116回 道楽 三砂 ちづる
03月30日
第115回 時間がない 三砂 ちづる
02月29日
第114回 教師生活の終わり 三砂 ちづる
01月29日
第113回 洗濯機鎮魂 三砂 ちづる
12月29日
第112回 戸籍 三砂 ちづる
11月28日
第111回 家計簿 三砂 ちづる
10月26日
第110回 文化の衣と哀悼と 三砂 ちづる
09月29日
第109回 呪縛 三砂 ちづる
08月30日
第108回 one to one 三砂 ちづる
07月28日
第107回 自分の機嫌は・・・ 三砂 ちづる
06月27日
第106回 つかないぱんたー 三砂 ちづる
05月30日
第105回 タバコのある風景 三砂 ちづる
04月24日
第104回 人間が生きているということ 三砂 ちづる
03月29日
第103回 手仕事と伝統工芸 三砂 ちづる
02月28日
第102回 拒絶される恐怖 三砂 ちづる
01月28日
第101回 嫁と姑 三砂 ちづる
12月27日
第100回 もしも 三砂 ちづる
11月27日
第99回 子供と危険 三砂 ちづる
10月28日
第98回 結婚 三砂 ちづる
09月28日
第97回 オフレコ 三砂 ちづる
08月25日
第96回 子どもについて 三砂 ちづる
07月29日
第95回 ボーダ 三砂 ちづる
06月24日
第94回 長寿県転落 三砂 ちづる
05月29日
第93回 顔が見えない 三砂 ちづる
04月16日
第92回 初めての北米 三砂 ちづる
03月16日
第91回 ダーチャ 三砂 ちづる
02月13日
第90回 プリンセス 三砂 ちづる
01月06日
第89回 寒い冬、寒い日本 三砂 ちづる
12月09日
第88回 タレフェイラ、シュトレイバー 三砂 ちづる
11月17日
第87回 前提 三砂 ちづる
10月12日
第86回 産まなかった人は 三砂 ちづる
09月08日
第85回 ウォラムコテ 三砂 ちづる
08月19日
第84回 マジョリティーの変容 三砂 ちづる
07月18日
第83回 マスク 三砂 ちづる
06月08日
第82回 ペットの効用 三砂 ちづる
05月09日
第81回 名前 その2 三砂 ちづる
04月08日
第80回 名前 その1 三砂 ちづる
03月29日
第79回 運転 三砂 ちづる
02月24日
第78回 かけおち 三砂 ちづる
01月28日
第77回 夢をみた 三砂 ちづる
12月24日
第76回 若い女性を愛する 三砂 ちづる
11月26日
第75回 ナラマニヤン先生 三砂 ちづる
10月26日
第74回 クリス 三砂 ちづる
09月21日
第73回 知らなかった力 三砂 ちづる
08月05日
第72回 胸痛む夏 三砂 ちづる
07月12日
第71回 失われる教育 三砂 ちづる
05月25日
第70回 道ならぬ恋の行方 三砂 ちづる
05月06日
第69回 その次のフェーズには 三砂 ちづる
03月27日
第68回 還暦を超えても楽しい 三砂 ちづる
02月19日
第67回 献身のエトス 三砂 ちづる
01月23日
第66回 親を許す 三砂 ちづる
12月20日
第65回 更年期  三砂 ちづる
11月22日
第64回 記述式 三砂 ちづる
10月16日
第63回 スキンシップと強さ 三砂 ちづる
09月15日
第62回 かわいやのー 三砂 ちづる
08月15日
第61回 屈辱感 三砂 ちづる
07月10日
第60回 "きれいにしていなくっちゃ"遺伝子 三砂 ちづる
06月06日
第59回 クローゼット 三砂 ちづる
05月08日
第58回 男女の心中 三砂 ちづる
04月06日
第57回 アイ・ラブ・ユー、バット 三砂 ちづる
03月13日
第56回 再発見される日本 三砂 ちづる
02月08日
第55回 求められる、という強さ 三砂 ちづる
01月07日
第54回 そういう時代 三砂 ちづる
12月10日
第53回 女性活躍 三砂 ちづる
11月12日
第52回 共有する物語 三砂 ちづる
10月10日
第51回 変わる家族 三砂 ちづる
09月10日
第50回 アジアの旅 三砂 ちづる
08月07日
第49回 仏壇 三砂 ちづる
07月08日
第48回 ランドセル 三砂 ちづる
06月09日
第47回 自営業の減少 三砂 ちづる
05月17日
第46回 「手紙」という資料 三砂 ちづる
04月09日
第45回 爪を染める 三砂 ちづる
ページトップへ