おせっかい宣言おせっかい宣言

第121回

その国の雰囲気

2024.09.26更新

 その国の雰囲気、その街の雰囲気、というのは、空港を降りてほどなくわかる。空港職員の皆様はイミグレーションとか税関とか検疫とか、要するに、入ってくる人がその国に入っていいのかどうかを判断する人たちなのだから、そんなにフレンドリーにはしていられない職業だから、それなりに皆厳しい目をしていらっしゃるわけだが、それでもなお、その国の雰囲気は、あふれるように、漏れ出るように、空港の皆様のたたずまいから感じられることになる。アメリカ合衆国、という国は、世界の実験場であり、世界の最先端であり、いつもインスパイアリングなことをやっているところだというのは分かっていても、あまり、わあ、行きたいなあ、と思えなかったのは、アメリカの空港というところが本当に感じが悪いところだからだ。いや、空港が感じ悪いからアメリカにあまり行きたくない・・・という、それは後付けであり戦勝国だとか、世界で覇権をふるっていて・・・などなど、アメリカのポップカルチャーには惹かれていても、足が向かなかった、というのもまた正直なところなのだが。

 アメリカのイミグレは本当に感じが悪い。世界で最も進んだ国、世界で最も豊かな国、世界で誰もが憧れる国、を自認してやまないであろうアメリカの皆様にとっては、アメリカは世界中の誰もが来たい国であり、住みたい国であり、仕事をしたい国であり、生活したい国である、と当然思っておられるのであろう。そんなにみんなの憧れの国なのだから、誰でもホイホイ入国させていては、国は成り立たなくなるから、だから、結果としてイミグレを厳しくしなければならない、ということになっているし、イミグレの職員の皆様も、そういうエトスが骨身に染み付いているのであろう。それがあの、アメリカのイミグレの感じの悪さ、に出ているのであろうか。

 1980年代から国際保健、という国際協力分野を仕事にしていたからあちこちの空港に降り立つことがあった。アメリカ合衆国には、それでも2022年まで入国したことがなくて、飛行機の乗り換え、つまりはトランジットしか経験したことがなかった。ラテン・アメリカの国になるべく早く向かおうとする時は、どうしても北米とかカナダを経由するしかない時代が長かったから、10年住むことになったブラジルに行く時も、いつもロサンジェルス経由だったのである。私がよくブラジルと日本を往復していた1990年代、JALもANAもブラジル直行便、というジャンボ機のフライトを持っていた。JALは乗ったことがないがJALの機体で飛んでいた。ANAの方は提携便である、当時、南米の翼、と呼ばれたヴァリグ・ブラジル航空のジャンボ・ジェットで飛んでいたのだ。スター・アライアンスなどの枠組みができるずっと前からのことだったと思う。直行便といっても日本からブラジルまでノンストップで飛ぶわけではない。アメリカのロサンジェルスで給油する。東京を出てロサンジェルスまで12時間、ロサンジェルスからブラジルのリオデジャネイロまでまた12時間、という感じで乗っている時間だけで24時間、ロスでの給油の時間を含めると25時間以上かかった。そりゃそうだろう。地球の裏なのだから。日本とブラジルの時差は12時間で、それ以上遠くなると近くなるのだ。地球は球体だから。

 ということは、理論上は「どちら周り」で行っても同じはずである。つまり、アメリカとかカナダを経由して東方向に飛んでも、ヨーロッパを経由して西方向に飛んでも、ブラジルへの距離はほぼ同じなのだから、どちらでもいいはずだ。現実に今はそういう行き方もあるのだが、長く、ブラジルに行くにはロサンジェルス経由しか便がなかった時代が長かった。 

 で、日本―ブラジル直行便は、同じ機体で飛んでいたから、直行便でロサンジェルスで給油の時、荷物は置いたままで、乗客は一度空港に降りる。このトランジットルームが、ひどいところで、とにかくベンチしかない感じで、エコノミークラスだろうがビジネスクラスだろうが、同じ小さな部屋というかスペースに置かれ、1〜2時間を過ごし、同じ機体に戻るのである。日本とブラジルを往復する乗客はアメリカで丁重に扱われる必要はない、と言われているようなトランジットルームだった。たしか、韓国―ブラジル直行便の大韓航空も同じトランジットルームを使っていたように思う。それでもまだ90年代は、日本―ブラジル直行便に乗っている時のロサンジェルス給油時には、アメリカのイミグレーションまで通らされることはなかったと記憶している。アメリカに全く入国しないのに、アメリカの空港にトランジットで寄るだけなのに、それでもイミグレーションを通ってアメリカ入国手続きをしなければならなくなったのは、9.11のアメリカ同時多発テロ事件以降であったと思う。

 当時飛行機を使っていた方は誰でも覚えていると思うが、結果として航空機を何機も使った多発テロとなった9.11以降、あらゆる空港での荷物のチェックやイミグレーションでのチェックは異様なまでに厳しくなった。トランジットだけの客にもアメリカがイミグレーションを通ること、つまりは入国審査を必要とするようになったのもその頃からだった。2022年になるまで一度もアメリカに入国したことはないのに、アメリカのイミグレが感じが悪い、と書くのも、トランジット客に入国審査を要求するようになったことに起因している。直行便のトランジットルームの感じの悪さなど、比較にもならなかったと思うくらい、感じの悪いイミグレーションで、ものすごい行列に並ばなければならない上、それぞれの職員の乗客への態度は本当によろしくなくて、行列しているだけでも怒鳴られるという感じでまさに身ぐるみ剥がされるような荷物検査となっていた。トランジットで空港から出ないのに、全ての指の指紋も取る。さらに、アメリカ入国にはビザ(査証)が必要で、ブラジル人にとっては、アメリカのビザを取るのは本当に大変なことだった。

 と言うことで9.11後、それまで存在はしていても、ものすごく運賃の高かった「ヨーロッパ経由ブラジル行き」とか「アラブの国経由ブラジル行き」といったフライトの値段が安くなり始め、必ずしもアメリカを経由しなくてもブラジルその他中南米の国に行くことが経済的に可能になってきた。先述したように、距離としては地球の裏なのでほとんど変わらないからである。こちらだとブラジルと日本を往復するのにアメリカのビザを取る必要もなければ、アメリカのイミグレを通る必要もないので、あっという間に日本―ブラジル間を往復する人たちの経由地は、フランクフルトやパリにかわっていった。ANAはヴァリグ・ブラジル航空の2006年の倒産と時期を同じくして、JALの方は2010年には直行便を廃止してしまったので、日本―ブラジル間は、経由便で乗り継いでいくしか方法もなくなり、あの感じの悪いアメリカのトランジットルームやイミグレも使わなくても南米に行けるようになっているはずだ、今でも。

 その経験があったから極力使いたくないと思っていたアメリカ経由の便であるが、2015年を過ぎたころから中米エルサルバドルでの仕事に関わり始め東京とサンサルバドルを往復するようになった。中米だと南米と比べ、やはり北米からのほうがヨーロッパからよりずっと近いわけだから、中米の国に行くにはどうしてもアメリカ経由の便を使うことになる。再度、この感じの悪いアメリカのイミグレ等を使うことになったのだが、2017年からANAがメキシコシティ直行便を飛ばすようになって、アメリカを経由せずに中米に向かうことができるようになった。経由便で到着した時のメキシコシティ空港の空港職員の、冗談も言えるような穏やかさに、なんだかほっとしたことを覚えているので、冒頭のその国の感じ、と言うか雰囲気は、空港をみるとだいたい分かる、と言う話になってしまうのである。そりゃあ、不法移民に神経を尖らせるのは、メキシコじゃなくてアメリカの方だから、と、言えばそれでおしまいだが、アメリカはアメリカ人じゃない人にはおだやかに接してくれる国ではない、という刷り込みはどうしても払拭されない。その後2018年、長男夫婦のハワイ旅行のベビーシッターで初めてアメリカに入国する。ハワイはみなさまフレンドリーでさすが世界の観光地、と感服したが、イミグレの感じの悪さ、空港のアンフレンドリーさは、さすがアメリカ、な感じで、こういうことを我慢しながらみなさまよくハワイが好き、と通われるものだ、と、ある意味、こちらも感心した。

 遠く、近く、憧れ、仰ぎ見る、抜き差しならない関係のアメリカ。その思いの複雑さが、アメリカのイミグレを見る私自身の視点を定めてしまったとも言えなくもない。そう思う人は別に、来なくていいですよ、と言われて、それでおしまいなのであるが。まったく。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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