おせっかい宣言おせっかい宣言

第125回

Single story

2025.01.21更新

 WHO(World Health Organization:世界保健機構)ジュネーブ本部が2003年に"A tale of two girls"(二人の女の子の物語)と言うスライドクリップを作っていた(現在はアクセス不能である)。世界の健康格差を理解するために作られた、ということで、日本の熊本に生まれたアイコという女の子と、シエラレオネのフリータウンに生まれたマリアムと言う女の子の二人の人生を年代ごとに対比させた物語になっていた。当時のシエラレオネの平均寿命は、世界でも最も低く、38歳だった。日本は、女性の平均寿命は85歳で世界最高レベルである。

 九州在住のアイコは、産科医、看護婦などプロフェッショナルがずらりといる私立病院で生まれる、マリアムは低体重でビタミンも足りないが、出生時には生き延びた。6歳になったら、アイコは予防接種も終えて小学校に通っているが、マリアムは予防接種も受けられず、学校にもいけなかったが、お友達の十人のうち三人はマラリアとか麻疹とか栄養失調で死んだのだからラッキーな方だった。17歳の頃はアイコは高校3年生、医者になりたいという夢がある。マリアムは17歳で子供を産んだ。その一年前にも最初の赤ちゃんが生まれたが、その子は生まれてすぐに死んでしまった。アフリカでは毎時間五百人の母親が妊娠によって子供を亡くしている。30歳、アイコは最初の子どもをトップレベルの妊婦健診とサポートを受けたあとで生む。彼女自身もその病院で働く小児科医である。マリアムはHIV/エイズの症状が出て、具合が悪い。夫から感染した。薬も手に入らず、子どもの面倒を見ることもできず、働くこともできない・・・。36歳、アイコは子宮がんや甲状腺機能などの検査を受けている。この年齢の多くの日本女性がそうであるように、異常はない。マリアムは今日36歳になるはずだったが実は2年まえにエイズで亡くなってしまった。たとえエイズにならなかったとしても別の病気でなくなっていたかもしれない。80歳、アイコは老人ホームで80歳の誕生日を迎える。日本女性の平均寿命からするとあと5年くらい生きられるだろう。マリアムは貧困とネグレクトの犠牲になってしまったのだ・・・。

 最初に見た時から、無性に気分が悪かった。女性の持つ力を活かし、生まれてくる赤ちゃんの力を最も生かすことができるための出産のありようを、世界でも日本でも追求してきた。精緻を極めた(不要なこともある)医療介入を推し進め、女性に医療がないと子どもは無事に産めない、と不安にさせるような方向ではなく、「出産のヒューマニゼーション」という、人間としての産む力、生まれる力を活かし、何かあったら助けてもらえる、そういうスタンスの産科医療のあり方を探ってきた。生物としての人間の、限界と可能性を追いたい、と思っていたのだ。日本の病院でも、見かけの立派さとか、入院中に出されるごちそうとか(多くの場合は母乳哺育にはあまりよろしくない)、女性の声をきく、という美しい言葉で、女性を好きなようにさせるが、産む女性としての本来のエンパワメントとは方向が違う・・・などという違和感を感じる病院は少なくなかったが、ビデオクリップで取り上げられている病院もそのひとつだったこともある。

 平均寿命というのは、その国に住んでいる人が大体その年齢くらいには死んでしまう、という性格のものではない。平均寿命とはその時に生まれた0歳児が何歳まで生きることができるか、という指標であり、乳児死亡率、すなわち一歳までに何人の子どもが亡くなってしまうか、という指標に大きく影響される。乳児死亡率が高い国では、平均寿命はとても短くなってしまうのだ。今、生きている人がその年齢までしか生きられない、ということを示しているわけではない・・・ということを学生にも、いつも説明してきたから、その違和感もある。

 しかし何より、気分が悪かったのは、その「ステレオタイプ」な見方であった。日本人として、日本の扱われ方も、ただ、気分が悪かった。揶揄されている、と感じた。極東の日本、経済的にも発展して、医療も発展している日本、女性の平均寿命は世界一っていうから、まあ、こういう生活なのよね、みたいに言われているような気がした。これはジュネーブで作られたビデオクリップだが、ヨーロッパ人は自分たちを同じようなモデルにして、ビデオクリップを作るだろうか。絶対に作らないと思う。"西洋側"にいる人たちは自らをそういう「ステレオタイプ」におくことを嫌がるからである。だって、文化と多様性を重要視する民主主義の国なんだもん。これが代表的な、この国の女性の人生、みたいな取り上げ方ができるのは、日本を躊躇いもなくそのステレオタイプに押し込めることができるからなのだ。

 シエラレオネ側についてはいうまでもない。私がシエラレオネの政府関係者、保健省関係者であったら、即刻、WHOに抗議したことであろう。一体どういうことか、私の国の女性たちをどうすればここまで侮辱できるのか。マリアムの人生は厳しいものだったかもしれないが、彼女にも彼女の喜びがあり、人生があったはずだ。貧しくてミゼラブルで虫けらのように死ぬ人生だった、と、誰の人生をも総括できない。彼女の目に映った緑の美しさや、胸に浮かんだ人を愛する思いや、生きることへの敬意が、彼女の人生を生きるに値する時間にしたはずだ。

 セネガルの作家、チママンダ・アディーチェの「シングルストーリーの危険性」[1]は素晴らしいスピーチだった。あるアメリカ人の学生が、セネガルの男性たちはあなたの小説に出てくるみたいに、すぐ女性を虐待するんでしょう、というのを聞いて、アディーチェはあら、私、最近、「アメリカン・サイコ」を読んだんだけど・・・、と返す。みんな一瞬にして彼女が何が言いたいのかがわかり、自らの言ったことに気付いたようだった。

 アメリカン・サイコには猟奇的なアメリカの若者が出てくる。でも、私たちはアメリカの若者たちすべてが異常な性癖の持ち主で、精神にトラブルを抱え、異様な行動に走るサイコティックな人たちだ、と映画をみて、思うわけではない。それは私たちは、「アメリカ」について、実に多様なストーリーを知っているからだ。繰り返し流されるアメリカのニュース、多彩に展開されるハリウッド映画、フィッツジェラルドや、ヘミングウェイや、サリンジャーが多様なアメリカの若者たちを描いたものを読んでいる。ディズニー映画や、多彩な娯楽を通じて、「好きなもの」がアメリカにあることを知り、憧れている。そこには広大な自然と人々の織りなす多彩なストーリーがある。多様で色とりどりのストーリーが可能になる、ということがアメリカン・ドリームだ、と知っている。

 だから「アメリカン・サイコ」を読んでもアメリカの若者すべてが、異常な人たちだと思わないのだ。あ、これはすごく特別なケースを取り上げて小説にしたんだな、と思える。それなのに、なぜアディーチェのえがくナイジェリア人の暴力的な男性の様子を読んで、全てのナイジェリア人がそういう人たちだ、と言ってしまうのか。それは私たちがナイジェリア、というアフリカトップの、世界で六番目の、2億を越える人口を抱えるアフリカの大国の多様さを知る機会がなく、大きく「アフリカ」とひとくくりにして、「貧困と内戦と女性抑圧の大陸」というストーリー、つまりはシングル・ストーリーしか持っていないからだ。

 それに気づくと、なぜ"Tale of two girls"で、「指標の良い国」と、一見"ほめられている"ように見える日本の側から見ても、大変気分が悪かったのか、その理由が見えてくる。そこに描かれている日本は、西洋から見て「日本というシングル・ストーリー」つまりは、ちょっと前まではフジヤマ・ゲイシャの国、現在は、ハイテクノロジーと経済成長の国、男女ともに教育レベルは高く、平均寿命の長い国、しかし、女性はとっても差別されていて、男は死ぬまで働いているような、人生を楽しむことなど知らない国。もっと最近になると、アニメとゲームのエッジの効いたコンテンツを輩出する国・・・、であろうか。どちらにせよ、ある「ステレオタイプ」である。そこには、「あんたたち経済的にはうまくやってるだろうけれど、がむしゃらに働きすぎて余裕なんかないわねえ」とか、「医療のレベルは結構いいらしいけど、人間的に生きる、とかあんまり考えてないだろう」とかいう、西洋的な日本への偏見と、さらに自分達とあんたたちは違う、という優越的な姿勢がほの見えるからである。

 人のせいにばかりできないのはもちろんで、それらの西洋的な他の地域をシングル・ストーリー化する眼差しは、深く私たちの間に染み込んでいる。アフリカを見る目、東南アジアを見る目、ラテンアメリカを見る目として表出する。バイオリニスト黒沼ユリ子が1980年にだした新書『メキシコからの手紙』[2]は心に残る名著である。メキシコ人の人類学者の夫と、息子と三人でメキシコの辺境で暮らす様子は個人的にも深くその像が刻まれ、10年ほど後には、全く同じようにブラジル人の公衆衛生学者の夫と息子と共にブラジルの辺境で暮らすことになっていた、という自分に気づくほど、大きな影響を与えられた本である。黒沼ユリ子さんの当時のメキシコ人の夫は、メキシコにすごくたくさんいる、いわゆる「白人」のメキシコ人である。ところが日本のメキシコ人のイメージは、やや褐色の肌、ソンブレロにポンチョ、みたいなメキシコ人である。日本で夫と一緒に歩いていても、アメリカ人ですか? ヨーロッパ人ですか? と聞かれ、メキシコです、というと、えっ・・・という顔をされるということを書いておられた。私も同様の経験がある。

 ラテンアメリカのどこの国にも宗主国スペイン、ポルトガルの末裔のみならず、西洋諸国からの移民が多く、いわゆる「白人系」の人はたくさんいるのだが、私たちは、シングル・ストーリーから抜け出せない。黒沼ユリ子の本が書かれて45年の歳月が流れているのだが、まだまだ抜け出せない。



[1] チママンダ・アディーチェ: シングルストーリーの危険性(TED)https://www.youtube.com/watch?app=desktop&client=mv-google&hl=ja&gl=KE&v=D9Ihs241zeg&fulldescription=1  2025年1月9日

[2] 黒沼ユリ子「メキシコからの手紙 ―インディヘナのなかで考えたことー」岩波新書 1980年

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 絵本編集者、担当作品本気レビュー⑥「みなはむ×季節の絵本シリーズのはじまり 『はるってなんか』の作り方」

    絵本編集者、担当作品本気レビュー⑥「みなはむ×季節の絵本シリーズのはじまり 『はるってなんか』の作り方」

    筒井大介

    こんにちは、ミシマガ編集部です。今年2月に刊行した、画家・イラストレーターのみなはむさんによる2作目の絵本『はるってなんか』は、春に感じる変化や気持ちがつぎつぎと繰り出される、季節をテーマにした一冊です。編集は、絵本編集者の筒井大介さん、デザインは、tentoの漆原悠一さんに手がけていただきました。そしてこの、筒井大介さんによる「本気レビュー」のコーナーは、今回で6回目を迎えました!! 

  • パンの耳と、白いところを分ける

    パンの耳と、白いところを分ける

    若林 理砂

    みなさま、お待たせいたしました。ミシマ社からこれまで3冊の本(『絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話』『気のはなし』『謎の症状』)を上梓いただき、いずれもロングセラーとなっている若林理砂先生の新連載が、満を持してスタートです! 本連載では、医学古典に精通する若林さんに、それらの「パンの耳」にあたる知恵をご紹介いただきます。人生に効く、医学古典の知恵。どうぞ!

  • 『RITA MAGAZINE2』本日発売です!

    『RITA MAGAZINE2』本日発売です!

    ミシマガ編集部

    3/18『RITA MAGAZINE2 死者とテクノロジー』が発刊を迎えました。利他を考える雑誌「RITA MAGAZINE」=リタマガが創刊してから、約1年。『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか?』(中島岳志・編)に続く第2弾が本誌です。

  • 松村圭一郎さん推薦文「答えを出すのではなく、踏みとどまるために」

    松村圭一郎さん推薦文「答えを出すのではなく、踏みとどまるために」

    ミシマガ編集部

    2024年12月に刊行された、後藤正文さんと藤原辰史さんの共著『青い星、此処で僕らは何をしようか』。本書を読んだ、人類学者の松村圭一郎さんから、推薦コメントをいただきました。『うしろめたさの人類学』や『くらしのアナキズム』の著者であり、後藤さん・藤原さんと同世代である松村さんは、どんなことを思われたのでしょうか?

この記事のバックナンバー

04月16日
第128回 アダン葉帽子 三砂 ちづる
03月07日
第127回 隠れられる場所 三砂 ちづる
02月13日
第126回 講義と講演 三砂 ちづる
01月21日
第125回 Single story 三砂 ちづる
12月16日
第124回 思いつき 三砂 ちづる
11月21日
第123回 グローバルとインターナショナル 三砂 ちづる
10月28日
第122回 再 ロングショットの喜劇  三砂 ちづる
09月26日
第121回 その国の雰囲気 三砂 ちづる
08月26日
第120回 よく眠れる 三砂 ちづる
07月29日
第119回 縁起が悪い 三砂 ちづる
06月25日
第118回 学び続ける姿勢 三砂 ちづる
05月27日
第117回 タレフェイラ 三砂 ちづる
04月26日
第116回 道楽 三砂 ちづる
03月30日
第115回 時間がない 三砂 ちづる
02月29日
第114回 教師生活の終わり 三砂 ちづる
01月29日
第113回 洗濯機鎮魂 三砂 ちづる
12月29日
第112回 戸籍 三砂 ちづる
11月28日
第111回 家計簿 三砂 ちづる
10月26日
第110回 文化の衣と哀悼と 三砂 ちづる
09月29日
第109回 呪縛 三砂 ちづる
08月30日
第108回 one to one 三砂 ちづる
07月28日
第107回 自分の機嫌は・・・ 三砂 ちづる
06月27日
第106回 つかないぱんたー 三砂 ちづる
05月30日
第105回 タバコのある風景 三砂 ちづる
04月24日
第104回 人間が生きているということ 三砂 ちづる
03月29日
第103回 手仕事と伝統工芸 三砂 ちづる
02月28日
第102回 拒絶される恐怖 三砂 ちづる
01月28日
第101回 嫁と姑 三砂 ちづる
12月27日
第100回 もしも 三砂 ちづる
11月27日
第99回 子供と危険 三砂 ちづる
10月28日
第98回 結婚 三砂 ちづる
09月28日
第97回 オフレコ 三砂 ちづる
08月25日
第96回 子どもについて 三砂 ちづる
07月29日
第95回 ボーダ 三砂 ちづる
06月24日
第94回 長寿県転落 三砂 ちづる
05月29日
第93回 顔が見えない 三砂 ちづる
04月16日
第92回 初めての北米 三砂 ちづる
03月16日
第91回 ダーチャ 三砂 ちづる
02月13日
第90回 プリンセス 三砂 ちづる
01月06日
第89回 寒い冬、寒い日本 三砂 ちづる
12月09日
第88回 タレフェイラ、シュトレイバー 三砂 ちづる
11月17日
第87回 前提 三砂 ちづる
10月12日
第86回 産まなかった人は 三砂 ちづる
09月08日
第85回 ウォラムコテ 三砂 ちづる
08月19日
第84回 マジョリティーの変容 三砂 ちづる
07月18日
第83回 マスク 三砂 ちづる
06月08日
第82回 ペットの効用 三砂 ちづる
05月09日
第81回 名前 その2 三砂 ちづる
04月08日
第80回 名前 その1 三砂 ちづる
03月29日
第79回 運転 三砂 ちづる
02月24日
第78回 かけおち 三砂 ちづる
01月28日
第77回 夢をみた 三砂 ちづる
12月24日
第76回 若い女性を愛する 三砂 ちづる
11月26日
第75回 ナラマニヤン先生 三砂 ちづる
10月26日
第74回 クリス 三砂 ちづる
09月21日
第73回 知らなかった力 三砂 ちづる
08月05日
第72回 胸痛む夏 三砂 ちづる
07月12日
第71回 失われる教育 三砂 ちづる
05月25日
第70回 道ならぬ恋の行方 三砂 ちづる
05月06日
第69回 その次のフェーズには 三砂 ちづる
03月27日
第68回 還暦を超えても楽しい 三砂 ちづる
02月19日
第67回 献身のエトス 三砂 ちづる
01月23日
第66回 親を許す 三砂 ちづる
12月20日
第65回 更年期  三砂 ちづる
11月22日
第64回 記述式 三砂 ちづる
10月16日
第63回 スキンシップと強さ 三砂 ちづる
09月15日
第62回 かわいやのー 三砂 ちづる
08月15日
第61回 屈辱感 三砂 ちづる
07月10日
第60回 "きれいにしていなくっちゃ"遺伝子 三砂 ちづる
06月06日
第59回 クローゼット 三砂 ちづる
05月08日
第58回 男女の心中 三砂 ちづる
04月06日
第57回 アイ・ラブ・ユー、バット 三砂 ちづる
03月13日
第56回 再発見される日本 三砂 ちづる
02月08日
第55回 求められる、という強さ 三砂 ちづる
01月07日
第54回 そういう時代 三砂 ちづる
12月10日
第53回 女性活躍 三砂 ちづる
11月12日
第52回 共有する物語 三砂 ちづる
10月10日
第51回 変わる家族 三砂 ちづる
09月10日
第50回 アジアの旅 三砂 ちづる
08月07日
第49回 仏壇 三砂 ちづる
07月08日
第48回 ランドセル 三砂 ちづる
06月09日
第47回 自営業の減少 三砂 ちづる
05月17日
第46回 「手紙」という資料 三砂 ちづる
04月09日
第45回 爪を染める 三砂 ちづる
ページトップへ