おせっかい宣言おせっかい宣言

第126回

講義と講演

2025.02.13更新

 都内の女子大で20年、さらにその前3年ほど厚生省(当時)の研究機関でディプロマ、修士、博士など大学院レベルの教育にも携わっていた。約四半世紀近く、「講義」というのをやってきた。本務校だけではなく、非常勤講師を務めていたこともあるし、年一回の単発授業というのを担当していたこともある。

 勤め先だった津田塾大学はいわゆるリベラル・アーツ・カレッジ、といういわば教養大学、アメリカにあるセブンシスターズと呼ばれたブリンマー、スミス、ウェルズリーなど、大変レベルの高い小さな女子大を模した学校だったから、当然のように学部教育中心の大学であり、大学院は他の学校に進めば良い、という感じで、実際、英語と論文作成、スピーチなどが極端に鍛え抜かれる学校だから、卒業後は大体どこの国立大学の大学院でもすぐ受かるような人になっていた。大学内にも大学院が併設されていたが、そこは、どうしても学内の先生について勉強したい、と思うような人のためのもので、私の所属していたところは国際関係学研究科、という名前はついてはいたが、担当する教員は国際関係や政治経済のみに在らず、文学などの人文系の教員もおり、私のような医学公衆衛生系の教員もいたので、専門教育というより、リベラル・アーツ教育の延長上にあるようなものだったが、大学院に進むからには専門教育が必要だ。私のところに来た4名ほどの大学院生には、公衆衛生関係の学会に入り、他の研究機関でアルバイトしてもらったりして、なるべく専門の雰囲気が経験できるようにしていた。ともあれ学部教育中心の大学であったことは間違いない。

 講義の準備はそれなりに時間のかかるものだ。自分の専門性に近いものであるとはいえ、担当していた公衆衛生/国際保健やセクソロジーと言った分野は時事問題と大きく関わる。在任中に、ある程度の予測はされていたものの、実際に起こることは覚悟していなかった新型コロナパンデミックのような世界の流れを変えるようなことまで起こってしまったから、常にアップデートしていないと話せなかった。講義は、系統的なもので、さらに、継続的なもので、タームごと、あるいは年度ごとにまとまりのあるものでなければならない。独りよがりな話し方になっては誰も聞いてくれないから、学生たちが興味があるように作り上げていかなければならない。講義をしているときは、いつも頭のどこかに講義のことがあり、新聞やテレビや雑誌やもちろんインターネットも含め、常にアンテナを張り、現在的な課題と齟齬がないようにまとめ上げていかなければならない、と感じていた。

 何より、少なからぬ人数の前に立つ、という独特の緊張もあった。これは講義には限らないものではあるが、講義では、同じ学生たちがまとまって何度かきているわけだから、話のめりはりと講義の順番、組み合わせなど、微妙な調整が必要になる。十分な準備をして、常時、パワーポイントによる資料を準備する。あらかじめ資料を学生に配布する準備をし、講義の10分前には講義室に到着するようにし、パソコンやタブレットなど、授業で使うものをセッティングし、きちんと映るかどうか、試し、大きめの教室の場合はマイクを確認する。

 勤め先在任中の後半は、階段教室と呼ばれる入学式、卒業式をする600名以上はいる大学で一番大きな部屋を講義で使っていた。ここは、いわゆる大きな舞台や緞帳のある講堂のような部屋だから、ここで講義をするときは、誠に、舞台裏から入って、舞台に出る覚悟をする、というような感じで、毎回気合が入った。講義と講義の間隔は10分しかないが、この階段教室大舞台では10分では準備が足りないので、この教室を使いそうな講義は、いつも昼休みを挟んですぐ午後の授業を選ぶようにしていた。そうすると20分前くらいから講義室について、すべて準備した後、舞台裏を降りて、近くの洗面所で鏡を見る時間も取れた。それだけ時間をかけても、AVシステムの変更などが頻繁にあることもあって、プロジェクターがオンにならないとか、画像が出ないとか、トラブルはあり、ヘルプデスクにおいでいただいたことも一度や二度ではない。

 一回一回の講義は、やはり、大変気合の入るもので、毎週、その週の最後の講義が終わると本当に安堵して、ああ、これで気分的に少しゆっくりできる、と感じていた。津田塾生たちの反応はすこぶるよく、彼女たちが毎回書いてくれるコメントシートは実に立派なもので、読み応えがあり、励まされも、した。これは私の講義が特別というわけでは決してなく、津田塾に講義する先生が常勤非常勤に関わらず、多く、感想として述べられることだから、津田塾生のレベルと意識の高さを表すものである。非常勤で他の大学の講義も持っておられる先生方は特に、いやあ、他の大学で学生がこれだけコメントシートを書いてくれるところはないですよ、と津田塾での講義を楽しみにしてくださるのである。

 というわけで、在任校での講義を20年以上続けてきたことになるが、2024年3月に退職した。在任中は在任校の講義のみでなく、冒頭に書いたように、あちこちの大学、特に助産や公衆衛生という分野の講義をさせてもらうこともあって、それらも受けてきた。しかし、退職と同時に、すべての講義をやめることにした。退職しても非常勤で1コマとか、単発の講義などをやることは珍しいことではないのだが、いや、これは続けることはできない、と全て辞めた。毎年単発の講義を頼んでくださっていた方々は、私がどこに行こうと旅費は出してくださるというありがたい設定でオファーをくださったのだが、申し訳ないが、断った。「講義」は1回であろうが連続であろうが、上記に述べたが、「講義をする」という意識のもとに、常に気を張って、アンテナを張って、情報を収束させて、自分を整えて、やっとできるものだからで、「ずっと講義をし続ける」か、「すっぱりやめる」か、のオールオアナッシングの二択しかないのである。つまりこれは、系統的に学ぼうとしている人たちの前には、系統的な学びでこちらも対峙することが求められるから、そのための系統的な動きなしには、講義はできない、と私は理解していた、ということでもある。

 「講演」は、異なる。講演はあるテーマのもとに、明確にこういう話をしてほしい、と依頼され、そのことに対して、話をまとめていき、その話を聞きにくる聴衆に向けて語る、というタイプのもので、系統的な講義とは一線を画する。「講義」では、詳細な資料を作り、パワーポイントも使って、あらかじめそれらの資料を学生の元に届けるようにしていた。系統的な学習だから、学び損ねてもらっては困るのである。講演でも、学会などのように詳細な資料を見せる必要などがあってパワーポイント資料を作ることもないわけではないが、まれである。ほとんどの講演は、「私」の話を聞きに「私」がどういう人間か、を見にくる方々だから、詳細で系統的な知識の伝授ではなく、その人のその時の状態に響く言葉を一言でも届けることが求められている。だから資料は使わない方がふさわしい、と思う。

 だから、「講演」の場合それがどのくらいの長さであっても、ほとんどの場合、資料なしでその場に立つ。もちろん、いただいた、あるいは、つけたタイトルに合わせて準備はするし、大体の話の流れは組んでいく。小さなキーワードを書いたメモは手元に持つようにしているものの、実際それを見たことはない。講演の前は、自分の体を整えることが最も大切だと考えているので、私にとっては身体調整の基礎である、ゆる体操をはじめとする高岡英夫師に習っている方法で自分を調整する。控室があれば、そこで、なくても舞台の裾やトイレなどで、体を調整する。それがすべてだと思っている。

 講演は、あくまで、その場に来ている人と私の関わり合いによって話すことが決まるところがあるから、その流れを確認しながら話をつないでいける自分の状態にするように、自分を整えておくことが最も大切で、そこができていれば、舞台に上がった時に話し始めれば、その場で話すべきことは流れていく、と信じる、ということである。いつも、何もなしで、所定時間、話せるのかな、と思わないこともないが、必ず話せるので、話せると信じて、講演の場に立つ。話せなかったことは一度もないので、話せるはずだ、と信じている。

 つまりは、一発勝負というか、その場の空気と共に作り上げるというか、そういうまことにアナログというかややスピリチュアルというか、一つ一つ系統的に積み上げて今日はこの部分を伝授する、というピースミールエンジニアリングなやり方でおこなう「講義」とは違うのが「講演」、なので、こちらは、アカデミアと系統的講義を後にしたフェーズでも、まだ対応できる、ということだ。書きながら、「講義」と「講演」は異なるものだ、と改めて確認する。「講義」を、私はもうすることがない。長い間私に講義をさせてくれた大学と、聞いてくれた学生たちただ、ありがとうございました、といいたい。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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