第3回
川崎昌平さんに聞く 情熱ある編集者になるにはどうしたらいいですか?
2019.10.28更新
こんにちは。編集チームの新人スガです。
今回の「教えてください」は、編集者としても作家としても活躍されている、川崎昌平さんにお話を伺いました。作家としては、実際に文章の書き方など表現の持つ力を伝える本や、ふと立ち止まって生活を見つめ直させてもらうような本を書かれたり、マンガの執筆もされたりなど幅広く活動されています。
『書くための勇気 --「見方」が変わる文章術--』川崎昌平(晶文社)
私・スガは入社から一カ月ほど経ったある日、川崎さんの『ぽんぽこ書房 小説玉石編集部』というマンガに心を打たれました。
社長から休刊を命じられた文芸誌、「小説玉石」を立て直すため、奮闘する主人公のコン藤さんなど編集部員の姿が描かれています。
「待つ以上のことはするなってことですか? 編集長!」「苦しむなら一緒に這いずりまわってあげましょうよ」「クソも言葉もアンタから出るモンは全部オレが受け止めます」「読者を言い訳にする編集者は嫌いだ」......情熱的に働くぽんぽこ書房の編集部員たちの姿に憧れて、川崎さんに取材を申し込みました!
編集者の仕事について、これからの出版について、刺激的なお話を伺いました! ぜひお楽しみください!!
(聞き手・構成:須賀紘也、写真:星野友里)
自分でやれることは自分でやるべし
ーー 本日はありがとうございます。『ぽんぽこ書房 小説玉石編集部』のコン藤さんの生き様には胸を打たれました。駆け出しのうちに全部読んどいてよかったなと思いました。
川崎 あんなふうに仕事できたらいいですよね。
川崎昌平さん
ーー 作中で何度か出てきた、「這いずり回る」という言葉が印象的でした。
川崎 編集者として働く上で、下手なプライドを持っちゃつまんないなと思っています。著者さんとかデザイナーさんとか印刷会社さんとか書店員さんとかいろんな出版や本に関わる人たちがいるなかで、みなさんに感謝しながら、「俺もその一員として出版業界を支えてるんだ」という心構えを持つことが、「這いずり回る」の意味の一つ目ですね。決して版元勤務の編集者が偉いなどとは思ってはいけない、ということです。
あとは自分が動いて解決できることであれば自分で動くことですね。
ーー 自分で動くというのは?
川崎 例えば、翻訳本を担当する場合、翻訳者さんが原書のこの部分がどうしてもわからないという部分があるときに、その分野の専門家にお金を払って解決するのではなく、自分でできそうな部分であれば自分で国会図書館に出かけます。
私は映画やアートの本の担当を任されることが多いのですが、あるとき、日本では上映されたことのないアメリカの映画のタイトルが本に出てきて、翻訳者から「この映画では本当にこういうセリフが出てくるのか、不安だから確認してくれないか」と言われたことがありました。いろんなビデオショップを探し回ったり、映画マニアの人に聞いてみたりと、手を尽くしてやっと映像を手に入れて、確認をとったことがあります。
ーー それは大変そうですね......。
川崎 映画の専門書とかね、マニアの人が買うようなマニアックな本をつくっていると、マニアなクレームがくるんですよ、ときどき。「この作品72年公開になっているけど、この監督の故郷のフィンランドで先に公開されてるから71年が正しいよ」、とかね。「もうお前が書いてくれ」と思ったりして。
ーー(笑)
川崎 まあそんなこともありながら、今編集している本に対して最大限やれることを徹底的に探がしてやる、というのが這いずり回るということなのかなと。
やっぱりそうやって働くほうが楽しいと思います。なんで楽しさを重要視するかというと、楽しくない本を編集したこともいっぱいあるからなんです、特に編プロ時代に。ジャンクフード紹介の記事の担当になって、メーカーから送られてきた資料をもとに、食べてもいないのに「プリッとしたエビが......」とか書いてみたり。
ーー (笑)
川崎 他にも編プロにいたとき、いきなり版元に呼び出されて「今はやりの日本刀で一冊つくれ!」と命じられて......さすがにそのときはちゃんと調べました。図書館にこもったり、美術館にいったり、ネットを参照したりしつつ、ライターを立てる予算もなかったので、私が自分で書いて仕上げたりしていました。
ーー そういえば『書くための勇気』に、「批評の前に『知らない世界』を調べてみよう」という項目がありました。
川崎 そうですね。こういう本のつくり方はどうかと思いますが、調べること自体は楽しいので、ぜひやってみてもらいたいと思います。まったく興味なかったジャンルに詳しくなれるというのは編集者の魅力かなと思っています。編集者になる前は、もっぱら美術のライターでしたから、アート関連の知識はあったけど、他はからっきしでした。でも編集者になった途端、漫画やらゲームやらジャンクフードやら歴史やら経済やら......いろいろと無理やり詳しくなってしまいました(笑)。
「著者がいない本」に興味がある
ーー そうやって興味がないことに取り組むということも、編集者には必要でしょうか?
川崎 そうだと思いますよ。「私はこれの専門家だからな」と自分の中で決めてしまうと、新しいアイデアが湧きにくいと思います。本当に専門性の高い出版社の編集者は別ですけど。常にいろんなことに興味をひっぱられるようでないと、編集をやっていて面白くないんじゃないかな。
ーー 新しく何かに興味を持つことは、結構難しいのではないかと思ってしまいます。どうすればいいのでしょうか?
川崎 這いずり回って働いていると、いろんなところで出会いがあります。そこを大事にしたいですね。
私のいちばんの編集ヒット作は、あるアニメーターさんが書いたイラストの描き方についての本です。私はもともとイラストの本についてはそこまで興味がなかったのですが、たまたま自分も出展していた同人誌即売会で出会って、「こんな熱い人と一緒に働いたら楽しそう」って思いました。その人が即売会で出品していた本は、本当に手作りの本で文字組みがうまくいっていないところもあったんですが、そこも含めて熱さがありました。会社の人も誰も売れると思ってなかったと思いますが、当時の会社史上最も売れた本になりました。
ーー そういう本の書き手との出会いは、どういうところにありますか?
川崎 予算まわりが関わってくる話なんですけど、もうすでに名が立っていて面白い本をいっぱい書いてる人にお願いすることは、なかなか難しいんです。
ーー やはりそうですか。
川崎 自分が心動かされるのは、まだ本を書いたことがない人も含めた、これからの書き手ですね。未来の著者と出会って、その方とまだ見ぬおもしろい本をつくるプロセスが、編集者をやっていて一番燃える瞬間です。
あとは著者がいなくても成立する本にも興味があります。
ーー 著者がいない本とはどういう本でしょうか?
川崎 簡単に言えば著者が亡くなられている本ですね。既にある本や原稿を再編集して生み出す本というニュアンスでもあります。パブリックドメイン(著作権保護期間の満了などによって、公有化された著作物)になった原稿などを集めて再編集した本でおもしろいものも最近はたくさんあります。たとえば左右社さんが出された、『〆切本』は、読んだ時にやられた、それを私がやりたかった、とここ5年でいちばんの衝撃を受けました。
ああいう本は、「出来上がっている原稿を集めるだけでいいから楽」というわけではないんですよ。版元に再掲載(再利用)の許諾申請をしたり、まだ存命の方(著作権者)にはペイをいくら払うかの交渉をしたりなど、いろんな手順を全部やってあの本はできてます。そういう過去にあるものを再編集しての企画もやってみたいってのはありますね。
どんな本が残る?
ーー 企画のネタは本屋さんで探すことが多いですか?
川崎 どこで探すかなあ。最近はネットで探すことも多くなってきましたが、アイデアを思いつくのは本屋かなあ。他には同人誌即売会などですかね。おもしろいアイデアを本というメディアを使って発信しようとしている人に会えるのは、やはりリアルの世界が多い気がします。ネットで情報を見つけるのが早い編集者はいっぱいいますよ。誰かがツイッターでつぶやいて、それがバズる頃にはもう企画をオファーできている......みたいな動きの速い編集者もいます。すごいなと思いつつも、そうした方々と戦うには、私は少しネットリサーチ力が足りていない(笑)。
ーー (笑)。そういう社会をウォッチするみたいなことは意識して取り組まれていますか?
川崎 どちらかというとここ1、2年、もっとローカルに、人に根ざしていけたらと思っています。たとえば、その土地のそのおばあちゃんの話を聞いて、その話が面白かったってことからもっと広げていけないかなとか思っています。
そのためには人間に会いに行くことをしなきゃなあ、と思います。あいまいな言い方になりますが、人間に会って、その人独自の観点を知る。あと、その人の話がめちゃめちゃ視野の広いことを言ってなくていいから、その狭さからその人なりの目線での、物事の見え方も拾えたらと思いますよね。これだけの情報があふれる時代においては、狭いってことは実は欠点ではないんです。狭さが深さにつながっている人はいて、そういう人はその人独自の意見を同調圧力に負けずに育てている人だったりします。そして、そうした特徴は本が残っていくためにも大切なことでもあると私は思います。
ーー 「残る本」の話がでましたが、SNSなどを使えば誰でも書き手になれるといった状況で、どういう本が残っていくのでしょうか?
川崎 現在広く読まれている本がそのまま残ってゆくのかどうかというのは、あやしいところかもしれません。たとえば当時は大ヒットしていた直木三十五の作品ですが、今ではほとんど読まれないじゃないですか。直木賞で名前だけは知っていても、作品を読んでいる人は少ない。つまり、必ずしも同時代のマスにヒットしたものが残るわけではないのだなと思います。
ーー どういうジャンルの作品が残っていきそうだと思われますか?
川崎 おそらく、インデックスとして参照される本が残ると思うんですよね。意外とネットで調べられることはたかが知れてるという分野もあります。例えば文化や芸術に関連する領域では、案外20世紀前半のトピックスについては、ネットは頼りにならない場合が多い。最近の話題こそネットの言説も充実していますが、過去については本のほうが信頼できるメディアだったりする。少なくとも映画と美術についてはネットより本のほうが優秀だなと思います。その意味では、時代の瞬間的流行に乗った言説より、一定期間の時代をアーカイブした、データベースとしての書籍のほうが、100年後には参照されやすいと考えています。
ーー では、出版界は「データベースを作る」という点で可能性があるのでしょうか?
川崎 そうですね。そのためには、まだアーカイブされていないところのアーカイブを作ることも大事です。それも本が持つ根源的な役割の一つですから。そのアーカイブされていないものはなんだろうと考えてみると、意外と身近なものなのかもしれないです。ある地方のその人しか知らない味や伝統が、どこかにあるかもしれない。地方に旅行に行ったりしたときにリサーチしてみると、「もっと文化として確立できるはずなのにな」と思うモチーフと出会うことがよくあります。そのためにも、「物理的に移動して、いろいろな空間と状況で、様々な人と会う」ということが大事になります。
表現手段
ーー 『労働者のための漫画の書き方教室』を読んで、表現することは生きる力になるのだなと改めて思いました。
川崎 そうですね、表現しないと苦しいばっかりになってしまうのではないかなあと私は思います。美術予備校で講師をしていたころ、生徒が減っちゃって受験生以外にも門戸を開いたら、近所のおじいちゃんやおばあちゃんたちが待ってましたと言わんばかりに来て。
そのおじいさんおばあさんたちも予備校講師もどっちも楽しそうでした。受験の絵ってテクニックが重視されるので、つまらないといえばつまらないんですよ。本当はもっとのびのび描いたら楽しいんだろうなって子も、「ダメ、これじゃ受からない」って指導が入って、結果として絵としての面白さが失われてしまう。おじいさんやおばあさんたちは描きたいという欲求のまま表現するんです。「このでっかいキャンバスに孫の絵を描きたいんじゃあ」とか言って、50号ぐらいのキャンバスにすごくいい絵を描くので感動した記憶がありますね。
ーー やっぱり自由って大切ですね。
川崎 大切ですね。受験やコンペに出して受かる・褒められるってことを目標にするとどうしても自由には表現できなくなる。そういうものを捨てて、単純に「表現して面白い」という体験を皆で味わえたら、すごく幸せなことだと思いますけどね。
ーー みんなで味わえるという意味では、先ほどの同人誌即売会なども大きな意味を持ちそうです。
川崎 同人誌即売会は、作家としても編集者としても大きな気づきを与えてくれた場所でした。作家として本を出して人に伝えるってどういうことなんだろう、編集ってそこに対して何ができるんだろうみたいな疑問に対して、根源的な気づきみたいなのを与えてくれたなーと思って感謝しています。例えばコミティアというイベントでは、みんな自分の予算の中で必死に、表現の工夫を尽くしています。そこで出会える表現は、私にとって気づきの宝庫です。彼らの情熱に触れることで、作家としての私も、編集者としての私も、元気になれるというか。
私は2007年に『ネットカフェ難民』という社会批評もどきの小説を出したのが作家としての振り出しなので、もともとマンガは書いていませんでした。でも、2011年頃、今の妻と一緒に同人誌即売会イベントとかに出るようになって、そこで自分もマンガ描いてみようかなと思いました。「漫画描いてみようかな」も一種の編集行為じゃないですか。川崎昌平という人間がいて、川崎昌平という人間が伝えたい行為を、どういうメディアでどういうプロセスで経てどう伝えれば、ユーザーに伝わるかと考えてみて、今までずっと書いてきた青臭い文章を、私はそこで一旦捨ててみたんです。
ーー そうなんですね。
川崎 あの頃、そこまで築いてきたものを捨てて、漫画というメディアに自分自身を再編集していなければ、私は編集者にも作家にもなっていなかったと思います。同人誌即売会というリアルな空間で、自分を編集する楽しさを知ったからこそ、私は作家として表現をするおもしろさを継続的に味わえるようになったし、編集者として編集する行為そのものへの情熱を見つけられるようになったのだと思います。
ある現実へ飛び込んでみて、そこで這いずり回ることで、編集の意味や表現の意義というものを再発見する、あるいは再編集する。それがこれからの時代における「編集」の最適解になる......と言ったら大げさかもしれませんが、私はそう思いながら行動するようにしています。出版に関わる多くの人々に、その視点を少しでも持ってもらえたら、あるいは考えてもらえたら......というのが今の私のモチベーションですね。
川崎 昌平 かわさき しょうへい
1981年生まれ。埼玉県出身。東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。
作家・編集者。昭和女子大学、東京工業大学非常勤講師。主な著作に『ネットカフェ難民』『知識無用の芸術鑑賞』(ともに幻冬舎)、『若者はなぜ正社員になれないのか』(筑摩書房)、『自殺しないための99の方法』(一迅社)、『小幸福論』(オークラ出版)、『流されるな、流れろ! 』(洋泉社)、『重版未定』『重版未定2』(ともに河出書房新社)、『編プロ☆ガール』(ぶんか社)、『労働者のための漫画の描き方教室』(春秋社)、『書くための勇気』(晶文社)、『ぽんぽこ書房 小説玉石編集部』(光文社)、『無意味のススメ』(春秋社)などがあります。