第1回
めひこ再訪前編 到着までの道のり
2018.05.04更新
こんにちは。角智春(すみちはる)と申します。
わたしは、1年ほど前まで、みんなのミシマガジンで「すみちゃんのめひこ日記」という連載をしていました。これは、当時大学3年生だったわたしが、目の回るような1年間のメキシコ(=スペイン語流に言うと、「メヒコ」)留学の最中に出会った、おもしろいこと、衝撃的なこと、感動的なこと、考えこんでしまうようなことを、リアルタイムで、日本語で、日記のように綴っていくというものでした。
メヒコの空気に満たされたまま1年前に日本へ帰国したわたしは、大切なひとたちから、「メキシコがきみを変にしてしまった」などと煙たがられつつ、日本での暮らしを送ってきました。
そして今回、1年ぶりにメキシコを再訪することとなりました。わずか1か月のメキシコ滞在ですが、そこで受け取ったものを、また文章にしてみます。よろしければ、お付き合いください。
メキシコの友人たちから、音と匂いまで伝わってきそうな屋台のタコスの写真とともに「ほら、これを見て。もう戻ってきなさい」といった催促のメッセージを再三送ってもらっていたわたしは、こころをはげしく揺さぶられながら、手帳の春休みのページをぼんやりと眺めていました。
そうしたとき、たまたま3月上旬にメキシコ南部で、ある社会運動のイベントが開かれることを知り、やはりこれはもう一度メキシコへ行くしかないと思い込んで、今回の渡航を決めたのです。
そのイベントの名前は、「第一回 世界の闘う女性たちの国際集会」です。なんだか、自分で書いていても、「イカツいな・・・」という感じの名前です。どうしていま、メキシコで、「闘う女性」の国際集会をやるのでしょうか?
今回の旅の目的は、通りのタコス屋で、友人の集う大学で、社会運動の現場で、メヒコのいろいろを思い出したり、あたらしく学んだりすること、になります。なぜメキシコで女性の集会? という問いを含め、わたしがふたたびメキシコのなかで考えたり悩んだりしたことを綴ってみます。
メキシコには、「サパティスタ民族解放軍(略してサパティスタ、あるいはEZLN =Ejército Zapatista de Liberación Nacional)」という先住民運動の組織があります。EZLNの活動の主眼は、先住民のコミュニティが、メキシコ政府の政治や資本主義経済システムとのあいだに抱えているコンフリクトの存在を訴えること、そしてそのうえで、同じ問題意識を共有できる多様な人々とともに、「別の世界のありかた」を模索していくことです。現代の社会運動の担い手のひとつとして世界的に有名な組織で、これまでに幾度となく、様々な問題を社会に鋭く問いかけ、世界中に散らばる人々が同じテーマのもとで集うためのイベントを開催してきました。
わたしは1年前のメキシコ滞在中、このEZLNの運動にずっと関わりました。「先住民」という立場をベースにしているとはいえ、彼らのメッセージには、現代の政治・経済・社会のありかた全体に対する批判力が宿されています。彼らの生きている遠い場所は、日本にいるわたしの生活とも地続きなのです。
そんな特別な組織が、いまのメキシコと世界にとっての喫緊の主題であるとして、「女性だけで、女性のことを考える」イベントをすることになりました。しかも参加者は、3月8日~10日の3日間、EZLNが拠点を構える自治区(土地を自主的に占拠して、「政府による行政の効力は及ばない」と宣言した場所)に泊まり込むというプログラム。
たまたま「女性」であるわたしは、それゆえこのイベントへの参加資格を得ており、同じく「女性」の友人たちと一緒にテントを担いで、自治区のある南部チアパス州の、密林地帯の入口へと向かうことにしました。
東京を出発し、メキシコシティ国際空港に着いたわたしは、間をあけずにチアパス州へ飛びました。「きみはいまメヒコにいるんだから、ね。男性が女性をエスコートする国だよ」などと、重い荷物を代わりに持ってもらったり、席を譲られたりしながら、「ああ、わたしは女か・・・」と思ったりして、乗り物を乗り継いでいきます。
チアパス州は、この国の最南端に位置する土地とはいえ、州内の各地域の気候は、地形や標高によっておどろくほど変化します。いつも温暖で湿度の高い州都(トゥストラ)の空港に降り立つと、そこから東に向かってバスに乗り、友人たちとの待ち合わせ場所であるサンクリストバルという街を目指します。到着すれば、そこはすっかり冷涼な高地の山あいです。この街からは友人たちの自家用車に乗って、自治区をめがけ、さらに東へ。ふたたび、日差しが強く気温が高い地域に入ります。
ただし、ものごとはそう簡単には進みません。会場にたどり着くまでのその道のりにおいて、まさに、メキシコへ再入場したわたしへの「パンチとハグ」とでも呼ぶべき出来事が待っていたのです・・・。
はじめ、サンクリストバルでの集合時間を午前10時から10時半にすることさえ渋っていた友人たちは、結局12時を過ぎても待ち合わせ場所に現れません。そのあと、絶望して座り込むわたしのプリペイド携帯に「車の1台が壊れた」との一報が。細かい悶着の描写は省きますが、最終的には、夕方の5時にサンクリストバルを出発し、バッテリーを変えても、ガス漏れを直しても、それでもたまに、ボンッ!と排気口から赤い火を噴くワーゲンと、後ろを走りながらその小爆発をぜんぶ見る羽目になってしまうジープの2台体制で、ぐねぐね進みます。
山道での一進一退を繰り返し、道中で助けを求めて立ち寄った村々のひとたちには「大丈夫だよ。着ける着ける」と謎に励まされたりして、ついに自治区に着いたころには、予定が8時間ちかく遅れて深夜になっていました。
しかし、ここは、ふだんの想像力が届かないところです。旅のメンバーは、わたしを除いて、みんなぜんぜんイラついていないのです。
わたしひとりだけ、暗がりのなか、日記のノートに「やっと到着。トラブルが続き、数時間火を見つづけ、消耗している」とこっそり記入している背後で、友人たちは「ブラボー!車は半壊だけど、着けた!!」と盛り上がっています。
これなら別の交通手段を使えばよかったかも・・・、と思い、チャーターバスで会場についた友だちに話をきいてみることに。すると、事も無げな顔で「わたしが乗ってたバス、メキシコシティから12時間で着く予定だったんだけどね。結局着いてみたら24時間経ってたの。なんでだろう」という返答が。
ここで、わたしのちからは完全に抜け、「着けたんだから、何も問題ないじゃないか。なにくだらないことでイライラしているんだ」という、正しいモードに移行します。
誰が車を整備しなかったせいだ、とか、バスのドライバーが道を下調べしなかったんじゃないのか、とかいう責任の所在探しは、はじまらないのです。何が原因だったのか、どうせはっきりとはわからないんだから、もういいじゃん、着けたんだし。誰の問題でもない、みんなに降りかかっちゃった問題。たしかに、そう振る舞うほうが、うまくいくことって多いのではないかという気がしてきます。
なんとか会場に着けました。こうして、わたしはやっと、メヒコに足を踏み入れたのです。
(つづく)
深夜にたどり着いた、「第一回世界の闘う女性たちの集会」入口。「世界の女性のみなさん、ようこそ」と書かれた青い横断幕。たくさんの参加者が詰めかける。