第3回
工藤律子さんインタビュー 「スペイン市民運動のいま 15M・ポデモス・時間銀行」(前編)
2018.08.11更新
スペイン語圏を中心に取材活動をするジャーナリストの工藤律子さんは、2016年に『雇用なしで生きる―スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(岩波書店)という著書を発表した。2008年に起きた金融危機の甚大な影響を受け、不況と高い失業率に苦しんだスペインでは、2011年からはじまった15M(キンセ・エメ、5月15日)運動以降、政治・経済・社会をつくりなおすためのさまざまな実践が生まれている。「経済」については、既存のシステムの枠を超えたモノのやりとりや仕事のしかたが模索され、各地で生きる人びとの手によって、多様なバージョンの「時間銀行」や「地域通貨」が花開いた。また運動は、市民参加による政治のための政党「ポデモス」にも結実した。
本書は、平川克美さん著『21世紀の楕円幻想論―その日暮らしの哲学』(ミシマ社、2018年)でも紹介された。では、ルポの発信から2年半が経ったいま、15M運動やポデモス、各地でおこった試みのその後はどうなっているのだろうか。
工藤さんは、メキシコに関する取材・執筆活動も長年続けておられる。わたし(角)に、メキシコの地を踏むきっかけや、社会運動を深く知るきっかけを与えてくれた人物のひとりが工藤さんである。今回はそんな大先輩に、めひこ日記の番外編として、スペインの運動の現在についてたずねてみた。
雰囲気が変わった、「15M後」
15M運動一周年でマドリード市・ソル広場に集まる人々。 撮影 Yuji Shinoda
―― 『雇用なしで生きる』では、50~60万人が街頭に出て抗議運動を行い、多くの人によってこれまでの政治・経済のありかた、ひいては生き方の再考がはじまったスペインの様子が描かれています。律子さんは当時、スペイン在住のご友人から、「スパニッシュ・レボリューションが始まった!」という連絡を受け取ったそうですが(笑)、スペインの社会運動について、どのような印象を持たれますか。
工藤 「このままではまずい」と思ったときに大勢の人たちが一気に立ち上がる、その行動力の強さが特徴的だと思います。日ごろからデモやストライキはよくあって、数千人から二~三万人規模の集まりは珍しくありません。大きな問題意識が共有されれば、何十万人が立ち上がるということも、ふつうに起こります。民主主義や権利は自分たちで立ち上がって要求して勝ち取るものだ、という意識が一人ひとりに備わっているという印象を受けますね。こちらの言うことを聞いてもらうには、どれだけの声をしつこく一斉にあげなければいけないかを、わかっているのです。
歴史的に考えると、スペインはフランコ独裁の時代(1939年~1975年。スペイン内戦の結果、フランシスコ・フランコが国家元首となり、独裁的な政治体制を敷いた)が終焉してからまだ40数年しか経過していません。権利が認められない状態がいかに苦しいものであるかを、鮮明におぼえている人びとが多い。そして、その後の歴史のなかで、みんなで民主主義を求めて動いたからこそ今があるんだ、という自負を持っています。だから、その誇りを奪われないためにどうするか、という考えかたにつながるのだと思います。
15M運動は、日常の過ごしかたの再考にまで人びとを動かしました。一時の運動に留まらず、次のステップへ踏み出した人々の規模も大きかった。そのような点にも、もちろん全員ではありませんが、スペインの人びとの多くが持つ意識のありようがあらわれています。
工藤律子さんと、"Ínsula Co-working"(詳しくは次回記事に登場)とつながる有機農園の運営者たち。 撮影 Yuji Shinoda
―― 運動が湧き起こったとき、そこに次のステップのためのアイデアを提案できる人たちがいたことも、15Mが息のながい出来事になった理由なのではないでしょうか。
工藤 たとえば、本書に登場するフリオ・ヒスベール(スペインの時間銀行の第一人者。時間銀行については、のちほど詳しく紹介)のような人物が15M以前から活動していたし、時間銀行をやっている市民団体や役所もあった。でもそういう試みは、実際に関わっている人を除いて、一般の人たちが広く知っているものではありませんでした。運動が始まったことで、マスコミでも取り上げられるようになったし、一般の人たちが知る機会が増えた。それまでは広い関心を集めていなかった「社会的連帯経済」(①協同組合・NPO・財団などが担う領域=「社会的経済」と、②新自由主義的経済システムから取りこぼされた貧困問題等を当事者たちが自力で解決するために創出された経済活動(例えばフェアトレードなど)=「連帯経済」が、合流したもの。次回で詳しく紹介)の担い手たちが集会に呼ばれて話しに行く、ということも起きたりしました。
「15M」という目に見える運動や、路上でデモするものすごい数の人たちは2~3年で目立たなくなったので、ふつうの人からすれば「15M、終わったねえ」みたいな感じに見えるんだけど、その効果は、それぞれの街で静かに実を結んでいます。15M運動に触発されて、ポデモスを支持したり、自分たちで地方政党を作って町議会選に出たりしている人がたくさんいます。わたしの友人の中からも、元看護師や大学院生が地方議会の議員になりました。それから、住宅立退き反対運動をしていた活動家のアダ・コラウがバルセロナ市長になったり。政治の様子が大きく変わりました。
社会を変えていくために、あらゆる分野に関わろうとする人が増えたことは確かですね。盛り上がったものが低調になって終わり、でもなければ、政治や経済の問題が参加者によって別々のテーマとして捉えられているわけでもない。社会全体が変わるとはこういうこと、という視野の広さを示していると思います。
ポデモスのいま
―― 2014年のポデモス結党は、日本でも話題になりました。党首パブロ・イグレシアスのある種のカリスマ的な存在感や、市民の直接参加を基盤にした民主的な組織づくりが注目され、新しい左派勢力として当初は好評価を受けたように思います。ただ、最近はとくに、良いニュースだけを聞くわけではないですね。
工藤 ポデモスは、ウェブサイトから無料で簡単に党員登録ができ、党員となった人たちはサイト上で意見を提案したり、党の基本方針や政策を選択する投票を行ったりします。活動に共感する人は、自分が生活する地域で「シルクロ(=サークル)」という支持者グループをつくって応援する。この流れのなかから、新しい市民政党や政治組織がたくさん生まれました。だれでも党員になれて、15M運動をきっかけに気づいたことを自分たちで実現するための手段がある、という理由から、既存の政党とは毛色の違うポデモスが支持されたのです。
ただし、私たちの目に触れるメディアが「ポデモス」を取り上げるときは、パブロをはじめとするリーダーの発言や、下院議会、つまり国政政党としてのポデモスの動向・支持率が取り扱われます。結党から4年以上が経ったいま、下院議員たちは派閥によって立場が分かれていたり、マスコミに叩かれたりもする。その情報ばかり受け取っていると、「やっぱり、ポデモスだめだね」 「ポピュリスト政党じゃん」みたいな印象になってしまいます。
だけれど、先に述べたようなネットワークでつながる人たちにとって、国政は一側面に過ぎない。みんなで投票してつくったマニフェストを支持し、それを自分たちで実現するために、各州、各地域で政党をつくって動いている人たちの存在があります。同じポデモスといっても、メンバーは多様なんです。
実際に、バルセロナ、マドリード、サラゴサ、バレンシアなどの与党はポデモス系の地方政党・政治組織で、その政策は高い評価を得ています。
2015年地方選挙でポデモスの一員として活動する人々。 撮影 Yuji Shinoda
―― 個別の地方政党に目を向けたときに、そこでポデモスの真価が光っているということは興味深いですね。リーダーや政党の中核ではなく、それにつづくふつうの人たちの力が、政治を地道に動かすための力になっているようにも思えます。
工藤 地方のほうが、声を直接反映させて政策を実現できる確率が高い。運動が喚起した問題に向き合うには、やはり、市民自身が政治・経済を考え形づくる場、ポデモス支持の友人たちが「民主主義の基本」だと考える「市民参加」の場が存在しつづける必要があるんですね。
時間銀行ってなに? ―「経済」の再考
―― スペインでは、緊縮財政、高い失業率、住宅バブルの崩壊といった状況のなかで、「経済」のありかたを問い直す試みが生まれました。本書では、まずフリオ・ヒスベールという人物と「時間銀行」が紹介されます。
工藤 フリオは、『雇用なしで生きる』という本書のタイトルのもとになったスペイン語で "VIVIR SIN EMPLEO" というウェブサイトを運営しています。時間銀行や地域通貨といった「もうひとつの経済」を模索するための取組みをスペインに積極的に紹介した人物のひとりです。
「時間銀行」とは、「銀行」に登録した人びとが「時間」を交換単位としてサービスをやりとりする仕組みです。誰かにサービスを提供すると、そのためにかけた時間分だけ「時間預金」ができる。貯められた時間をつかって、こんどは自分が誰かからサービスを受ける。サービスを受けた時間分だけ、「預金」が差し引かれる。そのようにして、メンバーが多方向的に仕事の交換、助け合いを行います。
―― フリオさんは、「既存の経済とそれを補完するもうひとつの経済の両方が存在し、それを人びとが選択できることが大切」という立場を取っているのですよね。その中間的なスタンスがおもしろいなと思います。
工藤 本当の銀行員でもあるフリオは、いまの経済システムを頭から否定しようという発想ではなくて、もっと別の経済のかたちもあるのでは? という問いに少しずつ取り組んで、そのアイデアを広げていこうとしている人です。「資本主義を一気に覆そう」という立場ではないけれど、いまこの状況から具体的にどう行動すればいいか、を考えて実行しているところがおもしろい。ある意味で、こういうスタンスの人がいるからこそ、「もうひとつの経済」に向けて一歩踏み込もうと思える人がほかにも出てくるのだと思います。そうやってみんなが少しずつ感覚を変えていけば、オルタナティブの可能性が広がりますよね。
(次回につづく)