第4回
穂村 弘×丹所千佳 京都ワンダーランド(1)
2018.09.27更新
京都に住み、京都を愛する編集者・丹所千佳さん。この度5月に、春夏秋冬を彩るかわいい、おいしい、切ない、心踊る「京」の断片を綴った『京をあつめて』が手売りブックスシリーズから刊行になりました。
丹所さんと旧知の仲であり、「けっこう京都に行ってるよ」という歌人の穂村弘さんを京都にお招きして、京都について語った一夜の様子をお届けします。はじめに穂村さんに本書の感想を伺うと、どんどん話は広がり、しまいにはなぜかサーフィンの話に・・・!?
だんだん涼しくなり、いろんなところに足を運びやすくなるこの秋の季節。『京をあつめて』を片手に京都を歩きたくなる対談、全2回でどうぞ。
(2018年7月28日、恵文社一乗寺店にて収録)
噛み砕かれてなさが闘志を掻き立てる
穂村 京都の本や雑誌での京都特集って、ものすごくたくさんありますよね。常に出てると言ってもいいし、僕も『ダ・ヴィンチ』という雑誌で去年京都を取材して、いろいろやらせてもらったことがあります(2017年6月号)。でもガイドとして書かれた本は、意外と楽しめないみたいなところもあるよね。もちろん、初めて行く海外の街に24時間しか滞在できないみたいなことだったら、ガイドとして書かれた本でいいんだと思うんだけど。
丹所 いわゆる名所が要点を押さえてまとめられているガイドブックは便利ですよね。
穂村 そうそう。でも京都だと生涯で1回しか行けないという感じでもないし。なんだろう、「ここがおすすめ」というのをわかりやすく教えて貰ってもどうも興奮できないということは、土地に限らずあることのような気がして。たとえばファッションでも、雑誌の通常のファッション特集号は僕はまったく読まないんだけど、たまに「私物特集」っていうのがあるんだよね。いろんな、ファッションにうるさい人が「もうこれは手に入らない」みたいに自慢してくるわけ。それは熟読する癖があります(笑)。変な興奮があるというか。
この丹所さんの『京をあつめて』も、やや私物特集的京都案内というような、容赦のなさみたいなものがあるんだよね。なんかこう、「わかんねぇよ!」みたいな、かなり知ってる人にしかわからないようなことも書いてあるし。
丹所 容赦のなさ・・・(笑)。たしかに、地図もないし、不親切といえば不親切ですね。
穂村 でも、それが逆に闘志を掻き立てるというか。「噛み砕かれてない本気感」があるよね。だって、すべてのものを把握することってできないでしょう。その人によって、おいしいものが好きだったり、ファッションが好きだったり、本が好きだったり、骨董が好きだったり、神社仏閣が好きだったり、茶道に興味があったり。
丹所 人によって、興味のあるポイントや行ってみたい場所は全然違いますね。
穂村 うん。霊的な、お化けが見えるスポットとか、そういう理由で京都に来る人もいるみたいだし。僕にとっては本以外のものはまったく猫に小判なんです。去年『ダ・ヴィンチ』で京都特集をやるときに、僕は八坂神社というものを知らなくて、全員に衝撃を与えてしまったの。「それであんた、京都特集やる気なの!?」みたいに言われたよ(笑)。アスタルテ書房には何度も行っているのに、八坂神社の存在を知らない人は日本で僕だけかもしれないなんて・・・でもまぁ、その偏りみたいなものかなぁと思うけどね。
丹所 偏りは出てきますよね。まんべんなく把握してる必要も回る必要もないですし、そもそもそんなことは無理。
へぼいご飯のときもネットにあげてくれ!
穂村 でも、食べ物かな? この本のなかで濃度が濃かったのは。
丹所 おいしいものが好きなので、食べ物は必然的に多くなっていますね。私は生まれてから高校まで京都で、大学から東京に7年間住んでまた戻ってきたんですが、高校時代までと戻ってきてからで一番違うのがそこかもしれません。10代の頃より食への関心が広がりましたし、大人だからお金もあるし、たくさん食べてます。
穂村 丹所さん、めちゃくちゃおいしそうなものをよくネットにあげてるよね。なんか、すごい圧を感じる・・・。僕、10回以上「へぼいご飯のときも(ネットに)あげてくれ」っていうリクエストをしてるんですよ。
丹所 圧を出してるつもりはないです(笑)。へぼい食事もしてるんですよ、平日のお昼ごはんはショッピングモールのフードコートとか行きますし。あと、仕事で疲れて帰ってきた日なんてひどいです。こないだは、晩ごはん、ちくわでした。袋から直接むさぼるの。そんなのアップしても、おもしろくもなんともないでしょ?
穂村 おもしろいよ。興奮度が高い。
丹所 えっ。ちくわの写真、おかしくないですか?
穂村 知り合いの古本屋の女性が、お正月にかまぼこを買いに行ったらしいんだけど、でもお正月ってかまぼこが高いから買えなくて、すごすご帰ってきちゃったんだって。代わりにちくわを買って、それを裏返して、かまぼこだと思って食べたって。「ちくわを裏返して」ってところがね、その人のことがすごく好きになってくるでしょ。それからその人が店番をしてると、「あぁ、ちくわを裏返してかまぼこだと思って食べたお姉さんだ」と思うんだよ(笑)。部屋とかでもそうだよね。「ここなら見られても大丈夫」っていう素敵なところはあまり興奮要素がなくて、「ここはちょっと・・・」っていうところに興奮要素があるというか。
丹所 普通わざわざ人に見せないようなものを目にすると興奮する、というのはわかります。
丹所さんが差し入れてくださる京都のお菓子はいつもおいしくてかわいい(編集部談)
ショックを受けた京都の本屋
穂村 僕はもう何十年も前に京都を歩いているときに、近くに本屋があったから何も考えずに入ったらそこがすごくて、「生まれてから一番すごい本屋に入っちまったな」と思ったんだよね。それが三月書房だったんだけど。そしてそのすぐ近くにアスタルテ書房があって、「京都の本屋って、みんな、こんななの・・・」ってなりました。もちろんみんながあんな感じじゃなくて、あそこだけがあんなで(笑)。でもすごくショックを受けた。
アスタルテ書房って、ジュエリーハイツっていうそれも冗談みたいな名前の、古い建物の一室にあるんだよね。本当に普通のマンションなんだけど、ドアを開けると別世界で。真っ黒で、スリッパが並べてあってそれに履き替えて、なんかわからないけど音を立てたら怒られそうな緊張感だった。
丹所 それこそ、圧がすごいですよね。もう亡くなっちゃったけど店主が玄関のほうを向いて座ってて、黒い大きなソファが置いてあって、木馬が飾ってあったりもする。ここで粗相があってはならぬという感じがありました。
穂村 そう。でも物を落としたりしても、べつに怒られなかったんだけどね(笑)。
それで、三月書房とアスタルテ書房に来るためだけに京都に来る、みたいなことが何年もあってね。しばらくしてインターネットの時代になったら、恵文社やガケ書房という名前をよく見るようになり、何かのときに連れて来てもらって完全にびっくりしたというか、「あっ、そういうことか」と思ったんです。アスタルテ書房と三月書房にだけ行っていたときは「ものすごくマニアックな人がものすごくマニアックなことをしているんだ」と思っていた。でも恵文社に行ったときに、「あぁ、これはつまり、セレクトショップなんだ」と初めて認識した。それまで僕が普通だと思っていた本屋のシステムがむしろおかしいんだと。お洋服屋さんや雑貨屋さんにはセレクトショップっていっぱいあるのに、本屋さんにだけは「セレクトショップ」という概念がなかったんだと初めて可視化されたんです。今はだいぶ増えていますよね。
丹所 東京にも多いですよね。でも、当時の東京にもそういうお店はあったのでは?
穂村 うん。でもやっぱりここまでの規模ではなかったし、それは今もないでしょうね。
京都は全ジャンルで濃いんだろう・・・と思うと焦る
丹所 街の大きさに対してお店の数が多いように思うので、その密度なども、お店の「濃さ」に関係しているかもしれないですね。
穂村 仕事で日本のいろんな街に行く機会があるけれど、文化度が何に比例するかといったら、やっぱり人口なんだよね。でも100万人都市ってそんなにいくつも日本にないはずなのに、その規模でもけっこうやばいというか、興奮できるようなところがあまりない。そう考えると京都はものすごい特殊空間で、ビビるような本屋が、この規模の、この人口の街にボコボコとある。僕にはわからないけど、きっと本屋だけじゃなくて、食べ物とか着物とか骨董とかお茶とかお花とか幽霊とか、そういう全ジャンルですごい濃度が濃いんだろう・・・と思うんだけど、そう思うと焦るんです。「生きてるあいだにわからないだろうなぁ、自分には」って。
丹所 何度もいらっしゃっていると、ちょっとずつわかってきた感じがあったりしませんか?
穂村 いやでも、さっき言ってた市場、なんて言うんだっけ?
丹所 錦市場?
穂村 そう、そこ。お腹が減っているときにあそこを歩いてると、卵焼きが売っていて。そこで卵焼きを食べたらすごくおいしくて、テンションが上がって数十メートルを歩いたら、またべつの卵焼き屋があったんです。「これは比較しなきゃ」「本の次は卵焼きだ!」と思ったんだけど、でももうその時点ではお腹がいっぱいになってるから、あとから食べたほうが不利なので「今度はこっちから先に食べなきゃ」みたいになるでしょ。でもそのペースだと、自分はこの2軒の卵焼きのどっちが好きかを決めるだけでもすごい時間がかかっちゃうじゃん、わかる?
丹所 田中鶏卵さんと三木鶏卵さんですね。その感じ、わかります、わかりますけど(笑)。果てしないなあ。
穂村 だからもう「自分には本だけでいい」とか決めることができればいいのに、卵焼きならまだしも金平糖とかさ、生まれてきてから一度も意識したことなかったものが京都では視界に入ってくるわけ。「この金平糖は50年モノ」みたいな、そんなことを言われなければ金平糖なんて僕の人生になくたって全然困らないのに、50年モノの金平糖を宝物のように掲げられると、僕がそれをガッと奪ってバリボリと食べたらどれくらいの罪の重さになるだろう・・・とか。別にやりたかないよ、そんなこと。やりたかないけど、突きつけられることでなんかこう、自分の中に・・・
丹所 特別な存在として浮上しますね。急に意識しちゃって。
京都には一元化されていないものがある
穂村 だけど生まれ育った人はいいよね、そこまでの飢餓感がないから。今日明日、金平糖にケリをつけなくたっていいでしょ。京都って特殊な圧をぐっとかけてくるよね? どういうつもりなのかよくわからないんだけど(笑)。
丹所 試されてる感じがする、みたいなことですか?
穂村 そうそう。今の経済って、すべての価値体系がお金によって一元化されているわけでしょう。そこに一元化されないものを見ると、ときめいたり怖くなったり、憧れたり近づきたくないと思ったりいろんな反応を示すんだけど、京都にはすごくそういうものがあるのね。お金を持っていてもダメなものはダメ。
丹所 たしかにそうですよね。お金さえあれば何でも買えるかというとちょっと違うし、そもそも価値の測り方がわからないようなものもあったりする。人によっては魅力を感じないどころか、気にもとめないだろうなというようなものに惹かれるところが私にもあります。そういうものが京都にはいっぱいある気がするんです。喫茶店でお茶を飲んでいたら、お店の人に「猫、好きですか?」と聞かれて、はいと答えたら満面の笑みで仔猫をぽーんと渡されて、そしたらそのまま膝の上で寝ちゃったの。それ以来そのお店に行くと、だいたいその猫がやってきて膝に乗って寝るんです。私はそのままお茶とか飲みながら本を読んでる。そろそろ帰ろうと思って膝から降ろそうとするとめちゃくちゃ怒るので、終電逃したこともありました。――とか、そういう経験、そういうお店、そういう猫。
(左)丹所さん、(右)穂村さん。トークのリズムが絶妙、阿吽の呼吸なお二人
プロフィール
穂村 弘(ほむら・ひろし)
1962年、北海道札幌市生まれ。歌人。1990年、歌集『シンジケート』でデビュー。その後、短歌のみならず、評論、翻訳、エッセイ、絵本など幅広い分野で活躍中。2008年、短歌評論集『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作『楽しい一日』で第44回短歌研究賞、2017年、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞を受賞。他の歌集に、『ドライ ドライ アイス』(1992年)、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(2001年)、自選ベスト版『ラインマーカーズ』(2003年)等。エッセイに、『世界音痴』『短歌ください』『ぼくの短歌ノート』『野良猫を尊敬した日』他多数。
丹所千佳(たんじょ・ちか)
1983年、京都生まれ。編集者、会社員。高校までを京都で過ごし、大学時代と社会人生活で7年間の東京暮らしを経て、現在はふたたび京都で暮らす。「PHPスペシャル」「mille」 編集長。担当した書籍に、穂村弘『鳥肌が』、巖谷國士『幻想植物園』、深井晃子『ファッションから名画を読む』、茂木健一郎『すべては音楽から生まれる』など。