第1回
序 〜怒られの人〜
2022.01.13更新
新年あけましておめでとうございます。今年も、懲りずにこっそり実録レポートを書き記していきたいと思いますので、みなさんも懲りずに読んでみてください。
10月に発表した『その農地、私が買います』が想像以上に話題になってしまって、私は内心ヒヤヒヤしていた。ありがたいことに新聞をはじめ取材依頼もひっきりなしで、ドキュメンタリー撮影の依頼まで来てしまい、それはさすがに断った。
親戚たちが私のTwitterをこっそり見ていると小耳に挟んでからは戦々恐々としていた。近所の人や親族が新聞の文化面を読み飛ばしますようにと祈った。
発売1ヶ月で重版がかかり、さらに3刷が決定し・・・まずい、まずいぞ。こんなに売れるはずじゃなかったのに! 話題書として地元の書店でも展開されるようになっていた。私は白装束に着替えて切腹の準備をはじめた。
そんな本を出すなよ、ということなんだけど、やっぱり出す必要のあった本だと思っている。でも自分の中でも矛盾が生じて、しっちゃかめっちゃかだった。
「自分もずっと思ってきたことを、よくぞ書いてくれました」
「全然知らなかった農のことが知れてすごく勉強になった」
「今まさに同じ状況で、頑張っています」
など、嬉しいお手紙も多くて、色んな場所で同志たちが頑張っているんだなと思うとすごく励みになった。
「自分も諦めずに行動すればよかった」
と、農地を手放してしまった後悔を綴ってくれている方も多くいた。
一方で、
「自分は都会に住みながら理想論だけ言っても駄目だろ」
「タイトルのわりに土地を買う詳細が書かれてないじゃないか」
という厳しい意見も寄せられた。
ちなみに連載時は「高橋さん家の次女」というタイトルだったけれど、農業書だと分かりづらいからと、ミシマ社のみなさんが現在のタイトルを考えてくれた。農地取得について書かれているのは前半だけなので飛躍しすぎかな? とも思ったが、自分では到底思いつかない面白いタイトルに惹かれて、こっちにした。
発売から2ヶ月が過ぎたが、大きな騒動にはならなかったので私は胸をなでおろしていた。いつも応援してくれている地元紙が連載を読んでくれて「今回は安全を考えて掲載はやめましょう」と配慮してくれたのも大きかったと思う。そこまで赤信号だったんだ・・・。
暮れに1本の電話がかかってきた。
親戚からだった。しかも、この本には登場してこない親戚だった。
日経デジタルの著者インタビューを読んだあと、本を買ったという。私は青ざめていく。
第三者として読んだら面白いけれど、親族としては見過ごせない。それこそ家族は住めなくなるよ。なにより、お父さんに黙って出すのは良くないでしょ、と。
「で、ですよねえ」
それに、田舎に住む者として、こういう書き方をされては良い気はしない、と。
配慮して書いたつもりなんだけど、すみません。
東京に住む私が口出しするのがそもそも筋違いで、そこまでやりたいなら、こっちに移住して農業法人でも立ち上げるしかないと言う。私は活動家になりたいのではない。ただ、全く農家の現状を知らない都会の人に少しでも意識共有をしてもらいたいと思って書き始めた。今起こっていること、私の見たこと思ったこと、体験したことを書くのが私の役目ではないかと思う。コロナになる前は、1年の3分の1は帰って農業の手伝いをしてきたつもりだ。それでも、根っこを生やさない限りは認めてはもらえないのだろうか。
「それで、お父さんに電話で本の話してるから」
「!」
怒られの高橋、今年は本格的に怒られの年なのだろう。それでもまた飛び込み台に立とうとしている自分がいる。農業がしたいなら、実家以外の土地に移住した方が早そうだけど、多分そういうことではない。故郷がソーラーパネルで真っ黒になる前に、抗いたかった。それで無理なら諦めもつく。同じように思っている人もいるけど、波風を立たせたくないからみんな言えなくて、だから私が狼煙を上げて、行動しはじめた。でもコロナで帰れなくなった。それだけのことなんだ。父に黙っていたのは悪かったけど。
11月、ぼうぼうに草が伸びた、使われていない方の畑を延々と草刈りしながら、日本は自己責任の国だなと思った。失敗した者に容赦ない。
ちなみに、「怒られ」という言葉、周防大島に移住したミュージシャンでお百姓の中村明珍さん(近著『ダンス・イン・ザ・ファーム』ミシマ社)とリモート対談したとき、「僕も怒られなんですよー。実は、かくかくしかじか」と、地元の方に叱られた話をしてくれて、怒られ仲間だなとほっとしたのだった。その後、SNSを通じて鳥取でパン屋さんを営むタルマーリの麻里子さん(近著『菌の声を聴け』ミシマ社)も怒られ仲間であることが判明。ミシマ社って、怒られファミリーやなあ。
「ペンはピストルに勝るって言うよなあ」
長電話をしていたとき母が言った。私はドキッとした。私のペンでいくら多くの人を感動させたとしても、家族や親戚を傷つけていたなら、作家として人間として失格なんだろう。正月、もんもんと考えていた。じゃあ、家族や親戚を失望させないために私の人生はあるのだろうか。ううん、そんなことないはずだ。きっとやり方があるはず。
母がその後でまた言った。
「ほやけどな、お姉ちゃん、Webの連載読んだらしくてな、めちゃくちゃ面白い、そりゃ、みんなこの本買うはずじゃ。って言うとったよ。これのどこがいかんのん?って」
さすが私の姉である。というより、人ぞれぞれなのかな。まあ、お父さんには謝るしかないのです。
11月に帰って父にいろいろな農機具のメンテナンス方法、気をつけるところなどを教えてもらった。ちんぷんかんぷんだった。燃料がガソリンのものもあれば、灯油もあって、そこにエンジンオイルを50:1で混ぜたりしなくちゃいけない。
こんなややこしいことしてたのかと、尊敬した。やめたいやめたいと言いながらも、実際にこの地で農業をしてきたのだから。その米を食べて私は育ったのだから。私はやはりこの人達に学ぼうと思った。
さあて、再来週の高橋さんは〜。お正月とは少しずらして、1ヶ月ほど柑橘のメンテナンスや黒糖作りの手伝いで愛媛に帰ります。11月にも、みかんの収穫や草刈りなんかで1ヶ月愛媛に帰っていたんです。まずは、その時の話をしようかな。
ということで、「太陽光パネルその後どうなったん?」「進め、黒糖ボーイズ」「もう一人じゃどうにもならん」の3本です。
再来週もまた、読んでくださいね〜。